「明日から出張だ。いつもの荷物をトランクにまとめておけ。それから来週、チームの部下を家に連れてくるから晩飯も用意しておけ。いいな」——夫はまるで家政婦に指示するように言い放ち、リビングを出て行った。私は何も言い返せなかった。八年間、この家ではそれが当たり前になっていたから。その後、夫の連れ子・メイ子からLINEが届いた。「お弁当の具が地味だから、もっと映える感じにしてくれない?…

「明日から出張だ。いつもの荷物をトランクにまとめておけ。それから来週、チームの部下を家に連れてくるから晩飯も用意しておけ。いいな」——夫はまるで家政婦に指示するように言い放ち、リビングを出て行った。私は何も言い返せなかった。八年間、この家ではそれが当たり前になっていたから。その後、夫の連れ子・メイ子からLINEが届いた。「お弁当の具が地味だから、もっと映える感じにしてくれない?...

「明日から出張だ。いつもの荷物をトランクにまとめておけ。それから来週、チームの部下を家に連れてくるから晩飯も用意しておけ。いいな」

夫の西田友明は、それだけ言い終えると、まるで家政婦に指示を出すかのようにリビングを出て行った。私は何も言い返さなかった。もう何年も、この家ではそれが当たり前になっていたから。

数分後、今度は夫の連れ子であるメイ子からLINEが届いた。来週調理実習があるからと、材料のスクショが送られてくる。買っておいて、エプロンも洗っておいて、と続く。さらに最後にはこう付け加えられた。「お弁当の具が地味だから、もっとインスタ映えする感じにしてくれない? おばさんでも調べれば色々出てくるでしょ」

「自分でやって。来週なら時間もあるでしょ。私だって暇じゃないの」

「はあ? 何、生意気な口聞いてんの? パパに言いつけるから」

数分後、夫から電話がかかってきた。

「おい、メイ子をいびるなよ。俺の娘に何かするな」

「むしろいびられてるのはこっちなんですけど」

「対面では一言も口を聞かないくせに、私に頼らないと何もできないなんて恥ずかしくないの? いい加減、自分のことは自分でやりなさい。そもそもお前が浮気したのが悪いんだろう。これは罰なんだよ。メイ子だって、浮気ババアと口なんか聞きたくないだろう」

「離婚に応じないなら、俺たちに服従しろ。服従しないなら出て行け。いいな」

私は何も言えなかった。なぜなら、私は一度も浮気などしていないから。ただ、そう主張すればするほど、夫はヒステリックに怒り狂い、ついには手を上げることさえあった。弁護士を立てると言った時、殴られたのは一度や二度ではなかった。

別の日。夫が言った。

「おい、来週メイ子の誕生日だからな。あのケーキ屋でメイ子が好きなやつ……なんだっけ。イチゴンブランだっけか。何でもいいから予約して買ってこいよ。他にも寿司とチキンも買い揃えとけ」

「あなたがやったらどうですか? 私がやるよりあの子も喜ぶでしょう」

「もちろん俺がやったことにするに決まってるだろう。お祝いの席にもお前は来るな。メイ子が友達を連れてくるらしいし、お前みたいなババアがいたら盛り下がるだろう」

「余計に私がやる意味が分からないわね」

「はあ。意味なんて一つだろ。俺と離婚したくないなら従うんだ。俺はお前と離婚してやっても良かったんだぞ。拒否したのはお前だろうが。俺たち親子に逆らうなら離婚。離婚したくないなら命令に従う。お前に用意された選択肢はこれだけなんだよ。分かったな」

五年後。

「喜べ。メイ子の結婚が決まったぞ。しかも相手はあの松星代理店に勤めている男だ。すごい出世だぞ。さすが俺の娘だ。週末、挨拶に来るって言うから、部屋を綺麗にしておけ」

数日後、メイ子が私に言った。

「ねえ、パパから聞いた? 私、結婚するんだ。週末にご両親揃って挨拶に来てくれるんだけど、あんたみたいなブスが母親なんてバレたら恥ずかしいでしょ。だから挨拶の日は出て行ってくれる? いいわね」

「……そう。分かったわ」

顔合わせの翌日。今度はメイ子が、これまでにないほど甘えた声で言ってきた。

「ねえ、ママ。今度一緒にランチ行かない? すごく気になってるお店があるんだ」

「何? 行かないわよ。支払いさせられるだけでしょう。お父さんと行ってくればいいでしょ」

「パパじゃ味気ないの。ママと行きたいんだって」

数分後。夫が電話で怒鳴った。

「おい、なんでメイ子の誘いを無視するんだ? 娘と二人でランチもいいもんだぞ」

「それ、本気で言ってるの? 今まで家の中では私の存在は徹底的に無視して、用事があればLINEで言いつけるだけ。とても正常な親子関係とは思えなかったわ。なんならちょっと気持ち悪いわよ」

「まあそう言うなよ。メイ子の婚約者は敬君と言うんだがな。母親が不在だったことを随分気にしてたんだよ。結婚式には是非、両親揃って参加して欲しいと。敬君はあの大手・松星代理店の営業だ。お父さんも松星の重役だ。向こうの機嫌を損ねるようなことはできないだろう。だからメイ子も自分にできることを頑張ってるんだ」

「ああ、そうだとしてもよ。二人で食事に行かなきゃいけない意味が分からないわ。その場だけ取り繕えばいいでしょ」

「ああ、確か家族写真がないのを気にしていたから、お前との写真を撮って送りたいんだろう。だから二人で食事に行きたがってるんだ」

「なるほどね。理由は分かったわ」

「頼んだぞ。娘の玉の輿がかかってるんだからな」

数分後、メイ子にLINEを送った。

「お父さんから事情は聞いたわ。いきなり二人で食事なんて無理だから、敬さんを交えて三人ならいいわよ」

「本当に? すぐ敬さんに確認する!」

数分後。

「敬さんが『是非お母さんとお話したいです』って。LINE教えてもいいでしょ?」

「はあ……まあ、いいけど」

十分後、見知らぬ番号からメッセージが届いた。

「初めまして。高田敬と申します。急な連絡で驚かせてしまい申し訳ありません」

「いえいえ、こちらこそ。直接挨拶もできず申し訳ありませんでした。改めまして、メイ子の母のあ子と申します」

「メイ子さんから、お母さんはどうしても外せないお仕事が入ってしまったと聞いています。漫画の編集者さんなんですよね」

「はい。お恥ずかしながら、作家先生との急な打ち合わせも多いもので」

「とんでもないです。すごいなあ。僕も漫画は大好きなので、今度色々お話しさせてください。両親もお母さんに会うのを楽しみにしているので、是非もう一度顔合わせもさせてくださいませんか」

「でしたら、一度二人で会いませんか? 敬さんがどんな人か、母親として知りたいので。ご迷惑でなければ、是非」

「もちろんです! 僕もお母さんに聞きたいことがたくさんあったので、すごく嬉しいですよ。後でスケジュールを送りますね」

食事会当日。私は久しぶりに気持ちのいい服を着て、玄関に向かった。

「あれ? 今日出かけるの?」

夫がソファからこちらを見た。

「ちょっとね。あなたこそ、敬さんと出かけてくれば? 一緒に住む家探すって張り切ってたでしょ」

「ああ。私にも色々あんの。独身時代最後の時間を満喫中なんだ」

「そうね。結婚するって大変なことだし、色々楽しんでおくといいわ」

「それじゃあ、行ってきます」

その日の夜。食事会の後、敬からお礼のメッセージが届いた。

「あ子さん、今日は本当にありがとうございました。プロの編集者さんに色々話を聞けて、本当に勉強になりましたよ。贅沢すぎる時間でした」

「大げさですよ。こちらこそ、ご馳走になっちゃってすみません」

「いいんですよ。あの食事会の時は言えなかったんですが……うちは母が早くに亡くなってて、今の母は血の繋がりがありません。父が再婚したのは僕が物心ついた頃だったので、受け入れることが難しかったんです。今ではいい関係になりましたけど」

「そうだったんですね」

「そんな時、支えられた漫画が『バキボキ学園』だったんです。その作者さんの担当があ子さんだなんて……もう感激ですよ。はしゃぎまくりですけど、またご飯行きましょうね。これから色々計画しないといけないこともありますし」

「そうですね。私も敬さんと食事できてよかったです。これから色々よろしくお願いしますね」

結婚式四ヶ月前。メイ子が突然、何の前置きもなく言った。

「ねえ、お小遣いちょうだい。ていうか、必要経費ね。久しぶりでしょ。最近は私にお金をせびるなんてなかったのに」

「結婚前に色々お金がかかるの。エステも行かないといけないし、ネイルも美容院も色々あるし。私も仕事やめちゃってるからさ。お父さんに相談したら『無理。この前5万もらったばっかだから』って」

「あんたね……」

「とにかく、これ決まったら玉の輿なんだから。出世払いってことにして。とりあえず5万ね」

「ああ……先が思いやられるわね」

「まさか逆らったりしないでしょうね? パパに言いつけるわよ。いいの? 今離婚になったら困るのはそっちじゃないの?」

「マジで生意気ね。まあいいわ。早く結婚して、こんなババアとパパを離婚させたいわ」

「そうね。そうなることを願ってるわ。5万は自分で何とかしなさい。それじゃあね」

結婚式三ヶ月前。電話の向こうで、夫が怒鳴った。

「おい、お前今どこにいるんだ? 今日が何の日か分かってるのか? いい加減にしろ。どこにいるんだ?」

同時刻、メイ子からもLINEが殺到していた。

「ねえ、早く来てよ! 何回も仕事を言い訳にできないから! 私の結婚がダメになってもいいの? そんなことになったら一生恨むから、早くして!」

数分後、私は敬に連絡した。

「敬さん、もう有能の会場にはいますから、あと三分くらいで中に入りますので、ご両親にも伝えてください」

「了解しました。お仕事お疲れ様です。待ってますね」

数時間後。式の後の控え室で、夫が歯を食いしばって怒鳴った。

「お前、いい加減にしろ。どこに行った? 有能にギリギリ到着するわ、終わったらさっさと帰るわ。一体何を考えてるんだ? この後、向こうの家族とお茶に行くんだぞ」

「今更、あなたたちと仲良し家族ごっこができると思ってるの? 母親として同席してるだけでも感謝してほしいわね。この後、打ち合わせがあってどうしても抜けられないってことは、敬さんご一家には伝えて理解してもらってるわ」

「結婚式には両親揃って参加しないといけないんだからな。バカなこと考えるんじゃないぞ」

「バカなことって何? バックレとか?」

「滅多なこと言うんじゃない。もしそんなことしてみろよ。その時はどんな手を使ってもお前に復讐してやる。あんまり調子に乗るんじゃないぞ。分かったな」

結婚式前日。メイ子が珍しく弱気な声を出した。

「ねえ、まあまあ、いい加減不機嫌な態度やめてくれる? 八年間パパと決託して無視し続けたことは謝るから。明日の式に母親がいないと気まずいし、絶対来てよね。ていうか、そっちが悪いんでしょ。結婚して早々に浮気なんて」

「私が浮気したっていう証拠はあるの? 私は違うってずっと主張してるわよね」

「だって、パパがそう言ったんだもん。私は信じるしかないじゃん。とにかく敬さんの親族に変に思われないようにしてよ。それだけやってくれれば、パパも昔のことは水に流してくれるって言うし」

「分かったわ。明日、楽しみにしてて」

数分後、夫からも念を押すLINEが届いた。

「おい、明日が何の日か分かってるんだろうな。いつまでもガキみたいなことしてんなよ」

「メイ子からも念のLINEが来ましたよ。大丈夫。ちゃんと行きますから」

「本当だろうな。絶対来いよ」

結婚式当日。午前十一時。私の携帯が鳴り続けた。

「おい、どこにいるんだ? 先に家を出るって言っただろう。なんで到着してないんだ? おいっ」

同時刻。式場の控え室で、メイ子がヒステリックに叫んでいた。

「ねえ、何なの? マジで何考えてんの? あれだけ参加してって言ったじゃん! 娘の結婚式に欠席するとか、何考えてんの?」

「私に娘はいませんが」

「ママ……ママよかった、すぐ結婚式に来て! ていうか、娘はいないって何? 私が娘でしょ? わけわかんないこと言わないで!」

「いいえ、もう娘でも何でもないわ。だって、私、今朝離婚届を提出してるもの」

「は? ちょっと、何わけわかんないこと言ってんの? そんなのパパが許すわけないでしょ!」

「むしろ向こうから離婚届を突きつけてきたのよ。と言っても、五年くらい前の話だけどね。『お前が浮気したんだから離婚して家を出て行け。慰謝料も200万払え』ってね。だから言ったの。『違う。そんなことしてない』って。弁護士を立てると言ったら、手を上げられたわ」

「何よそれ……」

「とりあえず従うしかないと思って、八年間耐えてきたの。その時、離婚届にお互い記入して、金庫に保管しておくことになったのよ。あの人、酔っ払うと何も分からなくなるから。試しにロックの番号を聞いたら、ぺらぺら喋ったわよ」

「は? まさかそれを勝手に出したの? ふざけないでよ! どんなズルい……」

「そんなの向こうよ。向こうにするなら、弁護士でも何でも入れて、正式に離婚裁判してやるわ。もう我慢の限界だからね。とにかく、結婚式には参加しませんので」

数分後。式場は騒然としていた。新郎の父・高田氏が、息子の敬に告げた。

「お母さんと連絡がついた。さすがに結婚式当日に仕事は入らないだろうし、何があったの?」

「ママがひどいの。私のこと娘じゃないとか言って、結婚式に出てくれないって……え? 昔からそうだった。私のことが気に食わなくて意地悪するばっかりで、可愛がってくれた記憶もなくて。敬さんが両親揃って式に参列して欲しいって言うから、頑張ってママにお願いしたんだよ。でもダメだった。ごめんなさい。でも、パパもいるしおばあちゃんもいるから安心して。ママの代わりはおばあちゃんがやってくれるから」

「……下手くそな芝居はやめてくれよ」

敬が、静かに、しかし冷たい声で言った。

「何を急に? どうしたの?」

「うちが両親揃っての出席にこだわっていたのは、あ子さんに出席して欲しかったからだよ」

「待ってよ。どういうことなの?」

「メイ子たちは知らなかったんだろうけど、あ子さんのお父さんは、僕の父の御恩人なんだ」

「は……?」

「あ子さんのお父さんは、うちの父がまだ若くて、会社の揉め事に巻き込まれて参っていた時に、匿名で話を聞いてくれた和食屋さんのご主人なんだ。僕たちもそれは知らなかったんだけど、メイ子が家族写真を見せてくれただろう? その時、あ子さんの顔を見てピンと来たそうなんだ。あ子さんはお店でバイトしてて、父はあ子さんにも良くしてもらったから。あ子さんのお父さんが亡くなってお店を閉めてから、疎遠になってたからね。あ子さんの写真を見た時の父の顔は、今も忘れないよ」

「そんな話、聞いてないよ。なんで黙ってたの?」

「顔合わせの日に言おうと思ったよ。でもあ子さんは欠席だった。だから、変に思って『両親揃って結婚式に出席して欲しい』っていう建前で、あ子さんに連絡先をつないでもらったんだよ。あ子さんのお父さんの葬儀で話した時、すでに漫画編集者っていう夢を叶えているからお店は閉めたって話してたのを聞いてたから、ほぼ間違いないって思ったんだ」

「嘘でしょ? そんな……」

「あ子さんから話を聞いて絶句したよ。八年も父親と決託して母親を無視するなんてどうかしてる。しかもLINEであれこれ命令してたなんてありえないよ」

「それは、ママが浮気してたからパパが罰を与えるって……」

「どこにそんな証拠があるの? 一度でもその証拠を見たことがあるの? きっとメイ子はお父さんに洗脳されて、お父さんが言うことを何でも正しいと信じて疑わなかったのかもしれない。でも、そんなことはありえないんだよ」

「敬さんに何が分かるの? 勝手に決めつけないでよ!」

「詳しいことはこれから聞かせてもらうけど、君との結婚は取りやめにさせてほしい」

「どうして? 嫌よ! 第三者さんがこんなに集まってるのよ! そもそも、そんな話を聞いてたなら結婚式を中止にすればよかったじゃない!」

「あ子さんに言われたんだ。『前日までに欠席の話をしたら、何をされるか分からない。逃げ場のない当日まで待つ方がいい。たとえどんな損害が出たとしてもね』って」

「最低! 最低よ! このバカ! 慰謝料払ってもらうからね!」

「あ子さんの言った通りだな。僕だって最後までメイ子を信じたかったよ。君が前日あ子さんに送ったLINEの内容が送られてきた時、もう無理だって分かったんだ」

「私とのやり取りをスクショして送ったの? あの女、マジ最悪。プライバシーの侵害じゃん!」

「メイ子は自分があ子さんに対してどれだけひどいことをしたか自覚がないのか。今のやり取りでよくわかったよ」

「だって何もしてないし! パパだって、おばあちゃんたちだってやってたし!」

「もういいよ。何も聞きたくない。新郎側の参列者には事前に連絡してあったから、そこまで驚いてないと思う。今から挨拶して、ご祝儀を返してくるよ。新婦側にも僕が説明するから、君は帰宅するといい。詳しい話はまた後日、改めて」

「嫌よ! いや、私の話を聞いてよ! 敬さん! 敬さんはあの女に騙されてるの! ねえ、敬さん!

一時間後。家に帰ると、夫が待ち構えていた。

「お前、何てことをしてくれたんだ。メイ子から聞いたぞ。勝手に離婚届を出したって。そんなの無効だ!」

「不服があるならどうぞ申し立ててください。あなたも合意の上で記入した離婚届でしょ? 効力がないとは言えないと思いますけど」

「母親としての義務を果たそうと思わないのか!」

「何が母親よ。私にとっては血の繋がりのない赤の他人だわ。八年前に結婚した時、あなたの連れ子だったから戸籍上親子になっただけよ。結婚前は優しくていい人たちだと思ったのに、結婚してすぐ、あなたたち親子は豹変したわよね。それもあなたたちの手口なのかしら? 一人目の奥さん、早苗さんの時みたいにね」

「なんだよ! 何言ってんだお前! なんでお前の口から早苗の名前が出てくるんだ!」

「あなたたちの態度の変わり方、汚いやり口。どうもおかしいと思ってね。探偵所にお願いして早苗さんの連絡先を調べたのよ。私、漫画編集者だから。浮気とか不倫とかモラハラ、パワハラ対策のネタ集めはもちろん、当事者や弁護士、新聞社への取材経験も豊富なの。だから仕事でつながりのある新聞社に相談したら、すぐ調べてくれたわ。そして早苗さんとつながったの」

「俺の許可もなく、何てことをしてくれてるんだ!」

「早苗さんに対しても、そうやって圧をかけて洗脳状態にしていたのよね。早苗さんは離婚してしばらくは実家から出られなくて、拒食症で随分辛い思いをしたそうよ。離婚できたのも、異変に気づいたお姉さんが助けに来てくれたからだってね。結婚して以来、実家にも帰れない。連絡もほとんどつかない。年末年始に電話があるだけ。あとは年賀状のやり取りのみ。そんなの誰だっておかしいと思うわよ。まるで監禁だわ」

「あんな役立たずのことはもうどうだっていいんだよ」

「役立たず? ふざけないで。早苗さんがくれた情報のおかげでこうして戦えてる。早苗さんを馬鹿にすることは許さないわ」

「うるせえんだよ! この結婚がまとまれば、俺は松星代理店に入れたかもしれないんだぞ! それを全部台無しにしやがって! ふざけんな!」

「入れるわけないでしょ。敬さんも敬さんのお父さんも、あなたに怒ってるんだからね」

「お前みたいな女の言うことなんか信じるわけないだろ! とにかく結婚式を台無しにした損害賠償を請求するからな。覚悟しておけよ! 離婚したって逃がさねえぞ!」

その日の夜。敬の父・高田氏から、夫宛に電話が入った。

「どうもお世話になっております。本日はお疲れ様でした。西田友明さん」

「そんな堅苦しい挨拶はやめてくださいよ。これから親子になろうって言うのに」

「いえ、なりません。娘さんにはすでにお伝えさせていただきましたが、婚約は破棄させていただきます。入籍前なので、特に手続き等は不要かと思いますが」

「そんな一方的な話が通じると思ってるんですか?」

「天下の松星代理店がそんなことして、世間的にもかなり風当たりが強くなると思いますがね」

「週刊誌に売り込みたいならどうぞご自由に。こちらはすでにマスコミ用にリークする記事と情報を用意しています。あ子さんが八年間かけて集めてきた、夫と娘によるパワハラ・モラハラのLINEのデータ音源。それと、あなたの長年にわたる不倫の証拠も全て抑えてありますよ」

「そんな……嘘だ。あんな女にそんなことできるわけがない」

「あ子さんは非常に優秀な編集者なんです。これくらいのこと、簡単だったんじゃないですか」

「それなら、なぜすぐ離婚しなかったんだ……」

「さあ。あ子さんに聞いてみてください。そうだ、あ子さんから預かっています。『ご機嫌よう』と。あの小娘め……許さねえ」

一時間後。夫が今度は私に直接、臓腑を引き裂くような声で怒鳴った。

「てめえ、何がしたかったんだよ! 俺を落とし入れて何が楽しいんだ!」

「別に楽しくはないわよ。楽しくないけど……早苗さんのことを知ったら、ただで離婚するなんて絶対にできないと思ったの。あなたたちが人生で一番いいタイミングで、この証拠を世に出して離婚する。そうしないと、今まであなたたちにされて傷ついてきた人間が報われないわ。私はそのためにできることをやろうって決めた。だから離婚しなかったの。八年で肩がついたのはラッキーだったわ。十年以上かかると思ってたし」

「今すぐ記事を出すのを取りやめにしろ! こんなことして、人として許されると思ってるのか!」

「人として許されないことをしてきたのはどっちよ? 早苗さんの十三年間の結婚生活、私の八年間の結婚生活。二十一年間、好き勝手やって生きてきた分、ここで償ってもらうわよ。それじゃあ、週刊誌の発売をお楽しみに。ご機嫌よう」

一ヶ月後。敬から連絡が来た。

「お久しぶりです。ご連絡が遅くなってしまい申し訳ありません。色々と進捗が出たのでお知らせさせてください。例の週刊誌発売後ですが、すごい反響で、友明さんの務める会社から連絡が来て、当時者に謝罪していただきました。彼は松星で雇ってもらうつもり満々で、同僚や後輩に自慢していたことが判明しました」

「うわ……痛いですね」

「さらに社内調査したところ、部下へのパワハラや業務中のお酒、会社の備品を持って帰るなどの悪行だったようで。え? なんで今までバレなかったんですか? どうも他にもグルになってる中年社員がいるらしく、これを機に社内調査をすることと、友明さんを含む三名の社員の懲戒解雇が決定しました」

「そうだったんですね。ありがとうございます。私もこれから友明たちに対して慰謝料請求を行います。バトンタッチですね」

「頑張ってください。何でも力になりますから。あと、父が是非あ子さんと食事したいと言っていまして。ご予定はいかがでしょうか?」

「もちろんです。この後スケジュール送りますね」

私はその後、長年の結婚生活における精神的DV・パワハラ・不倫の慰謝料として五百万円を請求し、一括支払いを要求した。友明は車と家を売り、貯金もなくし、借金まみれになった。メイ子も玉の輿に乗ると思ってカード払いで買い物をしていたらしく、とんでもないことになっているようだった。親子はお互いに責任をなすり付け合い、実家へ戻ることになった。

友明の両親から私の会社に長文の手紙が来たが、内容は「毎日辛い。金がない。お金を送金して欲しい」というものだった。もちろん、すぐに捨てた。

私は引っ越して、番号も変えた。もう、あの親子と接触する心配はない。

今回の騒動をネタに、泥沼不倫が得意な漫画家さんに新連載を提案してみようと思っているところだ。せっかく八年もネタを集めたんだから、仕事にしないともったいない。早苗さんに読んでもらうのが楽しみだ。

ちなみに早苗さんは、長い時間をかけて少しずつ回復。理解のある旦那さんと二人で、今は穏やかに暮らしている。それと、新連載が決まったら取材費用として早苗さんにお金を包む予定だ。慰謝料を回収できなかった分、少しでも補填になればと思って。

これで、やっと私の八年のミッションもコンプリートだ。私の第二の人生、今から楽しみでしょうがない。

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