夕方、いつも通り洗い物をしていたら、義母から三年ぶりに電話がかかってきた。出た瞬間の第一声は「うわ、お母さん。」電話の向こうで義母は平然と言った。「大嫌いな嫁にわざわざ連絡してくるなんて、よほどの用事ですね」と私が言えば、返ってきたのは「あら、私の介護をやってほしくて電話したのよ」だった。妊娠中に蹴り飛ばされ、転んだ私を見て笑った相手が、今度は何の相談もなく夫を通じて私に介護を押し付けた。そ…

夕方、いつも通り洗い物をしていたら、義母から三年ぶりに電話がかかってきた。出た瞬間の第一声は「うわ、お母さん。」電話の向こうで義母は平然と言った。「大嫌いな嫁にわざわざ連絡してくるなんて、よほどの用事ですね」と私が言えば、返ってきたのは「あら、私の介護をやってほしくて電話したのよ」だった。妊娠中に蹴り飛ばされ、転んだ私を見て笑った相手が、今度は何の相談もなく夫を通じて私に介護を押し付けた。そ...

「さ子さん、お久しぶり」

その声を聞いた瞬間、私は受話器を握る手に力を込めた。三年ぶりに電話をかけてきたのは、よりによってこの人だった。

「うわ、お母さん」

「うわって何?どういうこと?」

「大嫌いな嫁にわざわざ連絡してくるなんて、よほどの用事ですね。さようなら」

「ちょっとちょっと、三年ぶりだってのに随分じゃない?そりゃこういう反応にもなるでしょう」

「お母さん、ご自分が何をされたか忘れたんですか?」

「三年前のことでしょう?覚えてないわね」

「妊娠中の私を蹴っ飛ばしたんですよ。転んだ私を見て笑ってましたよね」

「そうだったかしら」

「それだけじゃありません。同居してた一年間、毎日毎日、嫁いびりの毎日でした」

「あれは楽しかったわね」

「何も楽しくありませんでした。我慢の限界で文句を言ったら『あんたみたいな嫁は大嫌い、絶縁よ』って言われたのはお母さんの方です」

「だってしょうがないでしょ。私、あんたみたいに言うことを聞かない嫁は嫌いなんだもの」

「こちらもお母さんのことは大嫌いです。良かったですね、両思いですよ」

「まあまあ、修羅場にしないで。そんなんじゃこれからの私の介護、大変よ」

「介護?誰が誰をですか?」

「さ子さんが私を」

「はあ?なぜ私が?」

「ちょっと前に事故に遭ってね、車椅子生活になったの」

「それは一応、夫の両兵から聞いてますが…」

「いや、でもだからって、なんで私が介護するんですか?私だって、あんたに介護されるのは嫌よ」

「あら、でもしょうがないでしょ。うちの長男夫婦は一切連絡取れないし」

「ああ、お兄さんの奥さんにも嫁いびりが酷かったからですよね。失礼しちゃうわね」

「いびられるのは嫁の側に問題があるのよ。それで私が息子から避けられるなんて、意味不明だわ」

「意味不明なのはこっちです。お母さんは何なんですか?世界の中心ですか?」

「そんな重力なんて放ってないわよ」

「重力を放ってるのは地球の中心では?ニュートンもびっくりして、りんごを握りつぶしますよ」

「何をふざけたことを…。まあ、そういうわけだから。嫁のあんたは大嫌いだけど、私の介護をやらせてあげる。絶縁は今日で解除ね」

「バカ言わないでください。お母さんの介護なんて、絶対にやりたくありません」

「嫁の分際で、私の言うことが聞けないって言うの?」

「聞けませんし、聞きたくありません」

「文句ばっかり言ってないで、言うことを聞きなさい。ほら、今すぐに来なさい。両兵もあんたに全部任せるって言ってたんだから」

「え、ちょっと待ってください」

私は電話を切る前に、どうしても確かめたいことがあった。

「介護って、両兵が決めたことなんですか?」

「あら、言ってなかった?そうよ。これは両兵の決定なの。分かったら、さっさとしてちょうだいね」

その日の夜、私は帰ってきた夫を問い詰めた。

「両兵、仕事終わった?」

「え?終わったけど…さ子、どうしたの?」

「お母さんの介護の件について、話があります」

「あ、ああ、そのね…本当にごめん」

「ごめんで済む話?」

「いや、勝手に決めて悪いとは思ってるよ」

「だったら、なんで何の相談もなく決めたの?せめて一言くらいあってもいいよね」

「それはそうなんだけど…。ほら、さ子は母さんと仲悪いだろ」

「絶縁を叩きつけられてるからね。そりゃ仲も悪いでしょうよ」

「だろ?」

「だろ?じゃないから」

「ごめん。でもほら、母さんも色々と苦労してるみたいだし。車椅子生活になったから」

「そうでも、だからってなんで私が介護?両兵だって、何があったかは覚えてるよね」

「母さんの嫁いびりについては、もちろん覚えてる。妊娠中に蹴っ飛ばされた挙げ句、転んださ子を見て笑ってたんだろ。お腹の優馬に何かあったかもしれないのに」

「でも、何事もなかったわけだし」

「何事もなかったから良かったね、とはならないでしょ。それにこれだけじゃないよ。私の洋服が増金にされてたこともあった」

「分かってるよ。ただ洋服は、俺が新しいのを買ってあげただろう」

「それは本当にありがとう。でも買い直したからOKって話じゃないの」

「もちろんそれは分かってる。俺だって、母さんとは距離を置いた方がいいと思った」

「なら、なんで今更になって?」

「それは…ほら、母さんも一応は反省してるみたいだ」

「反省してないでしょ。今日もLINEで『大嫌い』って言われましたけど」

「それはごめん」

「両兵に謝って欲しいわけじゃないの。ただ、あの調子じゃ何も変わってないってこと」

「でも車椅子の母さんを一人にはできないだろう。ヘルパーさんを雇うとか、お父さんの遺産があるとか言ってたし」

「そりゃ金銭的には可能だろうけど、母さんがそれで納得すると思う?」

「しなさそうだな…。家族ですら介護されるのに抵抗あるみたいだし」

「でしょ」

「でもさ、さ子の気持ちはよくわかるよ。だから、一週間だけ」

「一週間?」

「そう。一週間だけ様子見の期間を作ればどう?」

「様子見って、一週間介護してみて、やれそうか見るってこと?」

「そうそう。母さんが困ってるのは事実だし。それでも無理ってなったら、やめてくれて構わないから」

「…でも、その間、優馬はどうするの?まだ三歳だよ」

「その点は大丈夫。さ子のご両親が預かってくれるって」

「私への相談もせずに、うちの親に話してたんだ」

「うん…ごめん」

「両兵はどうするの?」

「俺は最近残業も増えてるし…。その代わり、家事とかはできる限り手伝う」

「まあ、私たちのために仕事を頑張ってるんだもんね。分かった。とりあえず一週間だけなら」

「本当か?ありがとう」

「ただし、何かあればすぐにやめるからね」

「分かってる。一応、俺も相談には乗るからさ」

一週間後、私は実家に荷物をまとめて帰ろうとしていた。

「無理。無理。無理。実家に帰らせていただきます」

「さ子、どうしたの?」

「お母さんは一切何も変わってません。あんなのの相手をしてたら、こっちが参っちゃうわ」

「さ子がそこまで言うなんて…何があったの?」

「気に食わないことがあると物を投げてくるの。おかげで私の体はあざだらけよ」

「え、そうだったんだ…大丈夫?」

「一週間様子見ってことだから我慢して付き合ったけど、これ以上はさすがに無理」

「でも、一週間は我慢できたんでしょう」

「我慢…ええ、我慢しましたよ。平気だったわけじゃなくて、無理やり飲み込んだの、私が」

「あのさ、母さんは車椅子だろ」

「そうだけど」

「体を自由に動かせなくて、ストレスが溜まってるんだよ」

「ええ、溜まってるでしょうね。私に向かって『クズ』『ゴミ』『ボケ』って毎日毎日言ってくるくらいにはね」

「何あれ?お母さんの口はナイフでできてんの?」

「そこまで尖ってはないと思うけど…」

「それに、介護される側も色々と大変だろ。少しくらい多めに見てやってくれないかな?」

「多めに見て?私、一週間も付き合ったんですけど」

「大変なのは分かるけど、ここまで来て投げ出すのは違うんじゃない?」

「じゃあ、両兵がやればいいでしょ」

「それは…ごめん」

「ていうか、様子見で無理ならやめていいって言ったのは両兵だよね」

「それはそうなんだけど…。できるなら最後まで見てあげて欲しいなって」

「最後っていつ?何年後?それまで私にずっと耐えろってこと?」

「さ子も分かるだろう。母さんがあの調子じゃ、ヘルパーを呼んでもダメだ。すぐに誰も来なくなる」

「それはそうだろうけど」

「お兄さんたちだって、今更介護をしてくれるとは思えない。そうなったら、母さんは頼れる相手がいなくなるんだよ」

「だから私に犠牲になれって?」

「そこまでは言ってないけど…」

「そもそも、なんかおかしいよね」

「おかしいって、何が?」

「なんでそこまで両兵がお母さんの肩を持つのか」

「そりゃ、息子だし」

「私が絶縁を叩きつけられた時、両兵は『さ子が絶縁なら自分も』って言ってくれたのに」

「あの時とは状況が違うだろう」

「無理を言ってるのは分かるけど、どうにかお願いできないか」

「私は一週間っていう義理は通しました。そこをなんとか…」

「どうしてそこまでこだわるのかは知らないけど、これ以上お母さんとは関わりたくありません。どうしてもって言うなら、自分でなんとかしてください。以上」

翌日、義母から再び電話がかかってきた。

「ちょっとさ子さん、早く来てくれる?もう十時なのよ」

「従業員出勤とは、あんた、いつからそんなに偉くなったの?」

「お会いしましたが、私はもうそちらには伺いません」

「はあ?何言ってんの。行ってないで、早く来なさい」

「いいえ、行きません。お母さんの介護は昨日でおしまいです」

「何言ってんの?母の介護は嫁の仕事でしょ」

「知るか、そんなこと。あなたが変わってない以上、付き合いきれません。絶縁の解除を解除します」

「何言ってんだか。私の介護をやめていいと思ってるの?」

「元々、両兵に頼まれたからやっていたことです。やりたくてやってたんじゃありません」

「それで困るのがどっちか、分かってるわけ?」

「お母さんですよね。私たちは一切困りませんから」

「ああ、全く。本当にさ子さんは何にも知らないのね」

「何ですか?」

「私の介護をやめて困るのは、そっちでしょうに」

「なぜ私たちが困るんですか?」

「そもそも、さ子さんが良くても両兵が良くないでしょ」

「そりゃまあ、両兵は続けて欲しそうでしたけど。それと、私たちが困るって話がどう繋がるんです?」

「さてね。まあ、どうせすぐにさ子さんの気も変わるわ」

「変わりません」

「介護したいって言うなら、させてあげるから」

「そんな態度でいいの?」

「問題ありません」

「はいはい。じゃあ、したくなったら来てちょうだい。とはいえ、そこまで固く拒否してるんだから、お願いする時は土下座して頼みなさいね」

その日の夜、両兵が言った。

「ちょっとさ子、母さんが怒ってたよ」

「私はちゃんと、両兵にもう無理だって伝えたよね」

「それはそうだけど、ちゃんと続けて欲しいって頼んだだろう」

「だから、だからじゃなくて。困るよ」

「逆に聞くけど、あの状況で私が行くって本気で思ってた?」

「そういう問題じゃなくてさ。どうするの?」

「どうするもこうするも、無理なものは無理。子供じゃないんだから」

「母さんには俺から言って聞かせるから、お願いだよ」

「それで効果があったことってある?」

「いや…ないけど」

「というか、私は両兵に聞きたいことがあるんだけど」

「聞きたいこと?」

「ずっと疑問だったんだよね。なんでここまで両兵がお母さんの肩を持つのか」

「前にも言っただろう。一応、息子だから」

「優しい両兵のことだから、そういうこともあるかなって思ったけど…」

「それだけじゃないよね」

「それだけじゃないって、何?」

「お姉さんから聞いた」

「お姉さんから、何を?」

「お母さんの介護を引き受けたら、遺産の相続で優遇してくれるんだって」

「え?なんでその話をお姉さんが…」

「お母さんね、両兵に話をする前にお兄さんたちに話したんだって。介護してくれたら相続で優遇するぞって」

「兄貴たちに先に声をかけてたのか…。そんなことは、母さんから一言も…」

「それよりも説明して。両兵は遺産のためにお母さんの介護を引き受けたの?」

「う…それは、ほら。優馬はまだ三歳だろ。これから色々と金がかかるわけだし」

「だから、私に何の説明もなしに、介護を…家族のためになると思ったんだ」

「なら、少しくらい説明してくれてもいいよね。それとも何?私には話せないような事情でもあるの?」

「そんなことない。ただ…お金のためって言ったら、嫌がるかなって」

「そりゃそうでしょ。でも、これで分かっただろう。母さんの介護をすれば、優馬もさ子も助かるんだ。全部、家族のためだったんだよ」

「なら、お兄さんたちにお金を借りようとしたのは、なんで?」

「あ…少し前に、両兵が頼んできたって言ってた。後で必ず返すから、すぐに貸して欲しいって」

「それは…確かに、優馬の将来を考えればお金が必要なのは分かるけど、すぐに欲しいわけじゃないよね。それこそ借金してまで必要はない」

「いや、ほら。母さんの介護をするってなったら、さ子も色々と疲れるだろう。だから、少しでも何かしてあげられたらなって」

「何かって、何?」

「その…ちょっと豪華なご飯を食べたりとか」

「それ、借金してまでする必要ある?」

「どうだろうね…」

「どうだろうねって何?というか、介護もそうだけど、借金も黙ってするわけ?」

「ごめん」

「ごめんじゃないんだよ。そんな言葉だけで流せるようなことじゃないでしょ」

「それはそうかも…」

「あんなことが続くなら、もう両兵を信用できない。悪いけど、優馬も連れて実家に帰るから」

「え、ちょっと待ってくれよ。なんで…」

「言ったでしょ。信用できない。少し、私も両兵も頭を冷やした方がいいよ。今は距離を取った方がいいと思う」

「そんな…」

「また頭を冷やしたら連絡するから。それじゃ」

数日後、両兵から懇願するような電話がかかってきた。

「頼む。早く帰ってきて」

「どうしたの?」

「母さんの介護、やってるんだけど…。こっちの言うことを聞かないし、物を投げてくるし。こんなの続けられない」

「それを何の了承もなく私に押し付けたのは、両兵です」

「だよね…。ごめん。けど、これ以上は無理。助けてくれ」

「助けてくれって言われても、私はもう帰らないから」

「帰らないって…」

「あなたとは離婚するから」

「いやいやいや。ちょっと待ってくれよ。いくらなんでも急すぎない?」

「私ね、両兵の話を聞いて、ちょっと思ったんだよね」

「何?離婚と関係ある話?」

「ある話。思ったのよ。両兵が欲しがった遺産って、絶対私たちのためじゃないなって」

「なんでそうなるんだよ。俺は家族のためになると思って…」

「いや、どう考えてもおかしいよね。疲れてる私に贅沢させたいから借金?言い訳にするにしても、もうちょっとあると思わない?」

「いや、確かにその理由は俺もどうかと思うけど…」

「そこで、私は色々と調査しました」

「調査?」

「普通に考えて、借金してまでお金を欲しがるってことは、直近でお金が必要だってことだよね。しかも私に黙ってってことは、私には言えないこと」

「いくら何でもさ子の考えすぎだって。俺は別に、やましいことなんて…」

「じゃあ聞くけど。嫁に介護を押し付けて飲むシャンパンは、美味しかった?」

「は?」

「あなたの同僚、友達、お兄さんたち全員に連絡しました。そしたら同僚の方から、興味深い話が聞けたの。なんでもキャバクラにはまってるんだとか?」

「いや、それは付き合いで…」

「キャバクラ通いで借金が二百万もできた。で、同僚の方に愚痴ってたらしいわね。頭を抱えてたって聞いたけど。付き合いで借金する?あなたはそれでいいの?」

「ちなみに、あなたが通ってたキャバ嬢さんにも会ってきましたけど。『あの間、高額シャンパンを入れてた』そうよ。嫁と子供がいるくせに、随分と楽しそうだね」

「いや、ごめん…」

「ごめんじゃなくてさ。説明してよ。付き合いって嘘なんだよね」

「最初は仕事の付き合いで行ったんだ。ただ、ちょうど仕事が忙しくて疲れてた時期だったし…」

「それで通うようになって、そのまま借金を作ったの?」

「ごめん…」

「つまり、あなたが遺産を欲しがったのは、私に借金がバレる前に処理するため。お兄さんたちから借りられなかったから、仕方なく、ってことでいいんだよね?」

「…そうだよ。でも、別にさ子のことが嫌いになったとかじゃない。ちょっとした息抜きでしかないんだ」

「キャバクラで?あくまで客としてってこと?」

「そう。だから、何?」

「いや、それはその…」

「私はね、両兵が頼むから、お母さんの介護もした。その間、私がどれだけの目に遭ったか、分かってる?怪我をしたのは聞いた?それだけじゃないよ。『お前みたいな嫁をもらったのは失敗だった』『優馬もお前に似てるから、私のことは認めない』『嫁なんてただの雑用係』…母さんに毎日、毎日、顔を合わせるたびに言われ続けた」

「…母さんに言われたのか」

「一回や二回じゃないよ。それでも一週間って我慢して、笑顔を作って。私が何のためにそこまで我慢したと思ってるの?」

「…俺のため」

「そうだよ。両兵がお願いするから、一週間って我慢した。その結果がこれ」

「本当にごめん。けど、母さんの介護さえすれば借金は解決する。そうなれば、何の問題もなくなるだろう」

「借金のことを黙って、介護のことを黙って。傷ついた嫁にかける言葉がそれ?」

「いや、だから…」

「でも、だって、そうやって言い訳して。あなたって本当にずるい。私はね、あなたの借金を返すために生きてるんじゃないの」

「ごめん」

「謝って済む段階はとっくの昔に過ぎてるから。あなたとは離婚します。借金の返済がしたいなら、一人で勝手にどうぞ。私と優馬を、これ以上巻き込まないで」

一週間後、義母から最後の電話がかかってきた。

「さ子さん、本当に介護しないなんて。一体何を考えてるの?」

「何を考えてるも何もありません。両兵から聞いたでしょう?もう離婚したんですよ、私たちは」

「そんなことは私には関係ありません。あんたが介護に来ないせいで、こっちは大変なのよ」

「今は両兵が介護してると聞きましたが」

「両兵はやってるわよ。けど、全然ダメ。気遣いが足りないし、要領が悪いし。これならさ子さんの方がましよ」

「文句を言える立場ですか?しかも、何?あの子、借金二百万ですって。介護もまともにできないくせに、迷惑ばかりかけて」

「ああ、お母さんって本当にお母さんですね」

「はあ?何?どういうこと?」

「いつだって、自分のことばっかり。まあ、その点は両兵も同じか。世界はあなたたち中心で回ってないんですけど」

「うるさいわね。嫁の分際で、姑に説教でもするつもり?」

「説教ってのは、聞く耳を持ってくれる人にするものです。お母さん相手に説教なんて、そんな時間をどぶに捨てるような真似はしません」

「なんですって」

「そもそも、両兵に不満があるなら、追い出せばいいじゃないですか」

「だめよ。介護させる人がいなくなるじゃない」

「ヘルパーでも雇ったらどうですか?お父さんの遺産があるんですよね」

「これは…その…」

「ああ、そっか。遺産があるなんて嘘っぱちだから、無理なんだ」

「嘘っぱちって何よ」

「事実ですよね?お兄さんたちが言ってましたよ。お父さんが亡くなった時に言ってた遺産よりも、相続の話が多いって。財産目録も偽装ですよね?お兄さんたちは不思議がってましたよ」

「あの子たちに、ちゃんと財産目録は見せたわよ」

「それ、偽装ですよね。お父さんが亡くなった時、言ってた遺産よりも多いんでしょ」

「…まさか、あの人が何か言ってたの?」

「亡くなる前に、謝罪されたそうです。残せる遺産は実家だけだけど、その実家はお母さんに残したいって。だから、お兄さんたちには何も残せなくてすまないって」

「あの人が…そんなことを」

「だから、あの子たちは私の介護を断ったのね」

「単純にお母さんの性格の問題もありますけどね。でも、こうなるとおかしい部分があると思いませんか?」

「何がよ」

「実家が残ってるなら、実家を売ればいいじゃないですか」

「何を馬鹿なこと言ってるの?この家は家族の大事な思い出があるの。そう簡単に手放せるもんですか?」

「お母さんじゃなければ、それで納得しましたけど。お母さんは私のことが大嫌いですよね」

「ええ、そうよ」

「それが、そんな大嫌いな私に介護されるくらいなら、実家を売って介護施設にでも入りますよね。なら、なんでそうしなかったのか。答えは単純。売れないから」

「何を失礼な。売れるわよ」

「でも、採算が合わないですよね。その家はお父さんのご実家と聞いてます。築年数はもう五十年以上ですし、立地も悪い。売るならリフォームは必須でしょう」

「別に、家なしで土地だけでも売れるわよ」

「その場合は、リフォームではなく解体費用がかかります。どちらにしても、売って手元に残る金額は雀の涙です」

「知ったような口を聞いて」

「でも、当たりですよね。じゃないと、偽の遺産をでっち上げる意味がありません。このこと、両兵は知ってるんですか?」

「あの子は知らないわ。今も介護してるのは、うちにお金があると思ってるから」

「このことを両兵に言ったら、どうなりますかね?」

「あなた、何を考えてるの?やめなさい」

「冗談ですよ。両兵に伝えるつもりはありません」

「そうなの?」

「ただし、お母さんが今後、私たちに関わらなければの話です。言ってる意味、分かりますよね?」

「脅すつもり?」

「脅すも何もありません。私はもう、あなたたち親子に振り回されたくないだけです。介護も借金も遺産も。やりたければ、二人で勝手にやっててください」

「でも、あの子じゃ介護も下手だし…。いや、何もないよりはましか」

「でも、あの子は今、離婚のショックで介護も適当だし。それに、もし遺産の真実がバレたりしたら…そこまでは面倒見きれません。お母さんが土下座で頼んできたとしても、私はもうあなたたちに関わる気はありませんから」

その後、義母と両兵は今でも同居して介護生活を送っている。義母は随分と気が立っているようで、八つ当たりは日に日に悪化している。両兵も、仕事に家事に介護にと、離婚したばかりのショックから立ち直る暇もない日々に、心身ともに疲弊している。それが原因で、また介護の質は落ちて。義母はストレスで髪が抜け落ち、顔色も最悪なんだとか。びっくりするくらいの悪循環だ。

ちなみに、私は両兵と離婚した時に優馬の養育費を請求した。両兵が作った借金は財産分与の対象にはならず、そのまま二百万の借金を抱えた状態で、月五万の養育費を払うことになった。慰謝料については、残念ながら請求しても回収できる可能性がなかったため、断念した。そこで、養育費だけはしっかりといただくことにした。

金銭的な負担に、精神的な負担、肉体的な負担。それらを抱えた両兵にとって、唯一の希望は義母の遺産だ。しかし、その希望である遺産すら存在しないものだと知ったら…。この事実を義母が自分で言うことはないだろう。私も言うつもりはないし、お兄さんたちにも勇気はないようだ。

これから何年後の未来かは分からない。しかし、その未来が来たとき、時限爆弾はきっと両兵にとどめを指すことだろう。

一方、私はといえば、今は実家に帰り、優馬と両親と共に生活を送っている。シングルマザーとして大変なこともあるが、それでも、耳障りのいい言葉を吐くだけの夫との生活よりは幸せだ。

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