「ご飯できたわよ」
妻の声が階段の下から聞こえてきたが、俺はパソコンの画面から目を離さなかった。
「また今日も部屋で食べるの?」
「悪いか。俺は忙しいんだよ」
「部屋にこもって何してるのよ。たまには食卓で食べたら?」
「なんだよ、寂しいのか? 今さら夫婦の会話なんていらないだろ」
「家族としての会話は必要でしょ。私のことより、まゆとみゆとだって全然話してないじゃない」
「今プロジェクトを任されてるんだよ。連日出張したり、会社に泊まり込むくらい忙しいんだ。お前らのために働いてやってるんだから、ぐだぐだ文句言うな」
「……わかったわ。じゃあ、今日も部屋の前に置いておくわね」
「ああ」
しばらくして、俺は皿を部屋の前まで取りに行ったが、すぐに箸を置いた。
「やっぱりいらねえわ」
「はぁ? なんで今言うのよ。せっかく作ったのに、もったいないじゃない」
「捨てればいいだろう」
「食費だってただじゃないのよ」
「飯うるせえな。頭の中、それしかないのか。お前みたいな古臭い女はうんざりだ」
「主婦なんだから、食事のことを考えるのは当然でしょ」
「もう限界だ。しばらく出ていく」
「どこに行く気?」
「俺だってな、こういう時に止めてくれる女の一人や二人、いるんだよ」
「何それ? 浮気してるってこと?」
「浮気とか、そんな軽々しい関係じゃねえ。タイミングが悪かっただけで、これは真実の愛なんだ」
「それを世間では浮気って言うのよ」
「とにかく、今から家を出るから」
三十分後。
「エミ、大事な話があるんだ」
「家族との時間を捨ててまで家を出た人が、なんの用よ」
「ついさっき、俺は彼女にプロポーズした。だから浮気じゃない」
「結婚なんかできるわけないでしょ」
「若い女と再婚するから、ばばあのお前とは離婚だ。今すぐ家を出ていけ」
「まゆとみゆも連れていけよ」
「私一人で高校生の双子の面倒を見ろってこと? 無茶言わないでよ」
「どうしても出ていかないっていうなら、ガキどもだけでも先に出ていってもらう」
「あの子たちはまだ高校生よ。未成年を追い出せば、あなたは犯罪者になるわよ」
「だからお前も一緒に出ていけって言ってんだろうが。とにかく、先にまゆに連絡するわ」
五分後。
「まゆ、話がある」
「何? 直接会って話せないこと?」
「お父さんは今外にいるから無理だ。だからここで単刀直入に言う。お父さんとお母さんは離婚することにした」
「ああ、そうなんだ」
「驚かないのか。無理しなくていいぞ」
「別に無理してないよ。むしろやっとかって思った。いつ離婚するのかなって思ってたもん」
「はぁ? なんだと?」
「顔を見れば小言か嫌味しか言わないし、遊びに連れて行ってもらった記憶もないから。親の離婚を願うなんて、不孝なクソガキめ」
「そりゃ願うでしょ。この家にいる意味ないもん。みゆもそう思ってるよ」
「やっぱりあの女の娘たちだな。性格悪いところがそっくりだ」
「パパに言われたくないんだけど」
「俺だってお前らみたいな娘なんて願い下げだよ。双子で俺の血が繋がってるはずなのに、懐かないなんて」
「そういうことだから、お前が先に出ていってよ。そうすりゃママも出ていくでしょう。みゆにもそう伝えといて」
「出ていくのはパパだよ。何勘違いしてるの?」
「は? なんでそうなるんだよ」
「理由を知りたければ、ママに聞きなよ」
「めんどくせえな」
さらに五分後。
「おい、みゆに出ていくのはパパだって言われたぞ。俺が世帯主なのに。どういう教育してんだよ」
「どういうって、人に迷惑をかけない常識は教えたつもりよ」
「なってねえんだよ。お前らを養ってやってるのに、この報いは何だ」
「私だって働いてるのよ。養ってるのはあなただけじゃないわ」
「在宅のくせに偉そうに。お前はいいよな、自由で」
「頼まれた仕事はちゃんと完遂しないといけないから、まあまあ多忙よ」
「大して忙しくもないくせに、忙しいアピールすんな」
「それはあなたも同じでしょ?」
「いいか、俺は世帯主なんだぞ」
「だから何よ」
「分からないのか。これだから世間知らずは。この家にいる権利があるのは俺の方なんだよ」
「世間知らずはどっちなのかしら。世帯主ってね、生計を共にする家族の代表者という意味であって、家の名義とはまた別なのよ」
「あ、そうなのか……いや、でも俺が代表者なんだろ。だったら俺が偉いんだから、俺の言うことを聞け」
「『世帯』って漢字が入ってるから勘違いしちゃうのかしら。この家の所有者は私よ。出るか出ないかは私が決めることだわ」
「所有者ってだけで偉そうにされちゃたまんねえよ。名前がお前ってだけだろ」
「全然違うわよ。何より、浮気するような人と一緒に暮らしたくはないわね。まゆとみゆにとっても悪影響でしかないわ」
「もう高校二年生だろうが。大人の事情が分からん年でもないだろう」
「成人すらしてないのよ。大人が守らないでどうするの?」
「色々言い訳して、出ていかないつもりか?」
「まだ分からないの? あなたに私を追い出す権利はないのよ。本当に出ていって欲しいなら、いろいろと手続きを踏まないといけないわ」
「ああ、もう分かった。分かったよ。俺が出ていけばいいんだろう。今から戻って荷物を詰めるから、ちょっと家に入れろ」
「それはつまり、もう戻らないつもり?」
「そうだよ。離婚届も今持ってくるからな。実は前から用意してたんだよ」
「本気?」
「なんだよ、今さら別れたくないってか? 言っておくが、俺の決意は固いぞ」
「結構よ。むしろ大歓迎だわ」
「今までありがとう、お前」
「強がらなくていいぞ。まあ、泣かれても戻るつもりはないが。じゃあな」
一ヶ月後。
「ママ、まだお仕事終わってないの?」
「今スーパーよ。まゆは学校終わった?」
「うん。今家に着いたところなんだけど、大変なの」
「どうしたの?」
「あの人が玄関の前にいる」
「あの人って……パパ?」
「そう。もうパパじゃないけど。なんで家の前にいるの?」
「私、どうしたらいい? あいつに会いたくないんだけど」
「まゆは今どこにいるの?」
「外の物陰に隠れてるよ」
「みゆは?」
「多分まだ部活」
「まあまあ、どうしよう。あの人が何をするか分からないし……とりあえず、一旦学校に戻ってみゆと合流してくれる? その後は学校か、近くのカフェなりで待機してて。大丈夫そうなら後で私が迎えに行くわ」
「分かった。ママ、気をつけてね」
「ありがとう。まゆたちもね」
十分後。
「あなたが家の前にいるのは分かってるわ。この家はね、もうあなたが居ていい場所じゃないの。帰ってくれる?」
「なんだよ、夫が帰ってきちゃいけないのかよ」
「あなたと私はとっくに他人になったわよ」
「戸籍上、俺とお前は法的に繋がった夫婦だろう」
「だから離婚したって言ってるでしょ。あなたが家を出た翌日、すぐに役所に提出したわよ」
「は? 俺は悩んだ上で、あの離婚届を出したってのに。お前はあっさり出したってのか。信じられねえ。なんて薄情な女なんだ」
「黙って離婚届を用意していたあなたに言われたくないわ。離婚したかったんでしょ? 良かったわね。これで晴れて私たちは赤の他人よ」
「そんなこと言って、本当は寂しいんだろ」
「いいえ、ちっとも。むしろ快適だわ」
「そうは言うが、やっぱり女だけの暮らしは不安だろう。やっぱり男の俺がいないと」
「ご心配なく。ご近所さんとの繋がりもあるし、この周辺は警察のパトロール区域だから」
「本当、エミは強がりが得意だよな。そうやってへらへら笑って、後で困るのはお前なんだぞ」
「私が困ろうが、あなたには関係ないでしょ。大体、どうして戻ってきたのよ。彼女と再婚するんじゃなかったの?」
「あの女の目的は家だったんだ。庭付きの一軒家が欲しかったんだとよ」
「なるほど。あなたが家を出たから、話が違うってこと?」
「それだけじゃねえ。あのクソ女、若い男と浮気してやがった。因果応報だな。俺は何も悪くねえだろうが」
「あなたの倫理感、どうなってるの?」
「とにかく、こうして帰ってきてやったんだ。浮気してたことは謝るからさ、全部水に流して家に入れてくれよ」
「どの口が言うの? 水に流すどころか大詰まりよ」
「いいから鍵を開けてくれ。玄関のドアが開かない」
「それはそうでしょうね。だって鍵を変えたもの」
「なんでそんなことすんだよ」
「防犯のためよ。当たり前でしょ」
「俺が不審者だって言いたいのかよ」
「今となってはそうね」
「冗談じゃねえよ。俺たち家族だろう。まゆとみゆだって、俺がいなくて寂しいんじゃないか」
「おかげさまで、あの子たちはあなたがいない方がいいみたいよ」
「なんでそんなことが分かるんだよ」
「かわいそうだと思わないのか?」
「思わないわね。あなたがいた時は耐えない肌荒れに悩んでたけど、今はすっかり良くなって、肌トラブル知らずよ。だからあなたが家に戻る必要性なんて、どこにもないの」
「お前の思い込みで勝手に決めつけんなよ」
「客観的な視点で見た結果を述べてるだけよ」
「もういい。独裁主義のお前に話を聞いた俺が馬鹿だった。とりあえず今日のところはビジネスホテルに泊まる」
「どうぞ好きにすれば。ただ、あの子たちに危害を加えたら、その時は絶対に許さないから。そのつもりでいて」
翌日。
「ママ、やばい。助けて」
「どうしたの? 何があったの?」
「校門の前であの人が私とみゆを待ち伏せしてる」
「何ですって? 家がダメだから学校に来たのね。あなたたち、今どこにいるの?」
「教室だよ。みゆと帰ろうとしたら、窓から校門にいるのが見えたの」
「そこで気づいてよかったわ。何も知らずに鉢合わせしたかと思うと……私が気づいたから、あいつには会ってないよ」
「よかった。じゃあ、すぐに迎えに行くから、そこにいて」
「分かった」
十分後。
「お疲れ。そろそろ学校終わりだよな。お父さんが迎えに来たぞ」
「ママのことをバカにして、私たちを追い出そうとしてあれだけのことしておいて、よく父親なんてできるね」
「それは謝るよ。すまなかった。これからはちゃんとするから」
「いやいや、どうせ口だけなのは分かりきってるから」
「そんなことはないぞ。父さんは約束を守る。もう一度家族に戻ってやり直そう。……みゆ」
「あのさ、私、まゆなんだけど」
「あれ? いや、違うんだ。打ち間違えたんだよ。ちゃんとまゆだって分かってたさ」
「実の親が間違えちゃダメでしょ。友達だって間違えないよ」
「だからごめんって」
「とにかく、もう家族じゃないから、連絡してこないで。みゆにも連絡しないでよ」
三十分後。
「まゆ、仕事が終わってすぐに向かったけど、あの人はまだいるかしら?」
「いないみたい。一時間以上経ったし、さすがに帰ったでしょう」
「ああ、よかった。まゆとみゆに何かあったらと思うと……」
「心配してくれてありがとう、ママ。やっぱり私たちの親はママだけだよ」
「ありがとう。じゃあ帰ろっか。校門の前に横付けして待ってるわね」
「オーケー。みゆに向かうね」
「買い物してから帰りましょう」
「じゃあさ、怖い思いしたから高いアイス買っていい?」
「しょうがないわね。今日だけだからね」
「とか言いつつ、いつも買ってくれるじゃん」
「わがままな双子を持つと苦労するわ。……いつもありがとうね。さて、今から向かうわね」
一時間後。
「諦めたかと思ったら、なんで家の中にいるの?」
「バレたか。なんで分かった?」
「驚かそうと思ったのに。車の窓から明かりがついてるのが見えて」
「それか。やっちまったな。車で待つべきだった」
「ふざけないで。どうやって鍵を開けたのよ」
「ああ、それか。業者を呼んで鍵を壊してもらったんだ」
「この家の住人じゃないのに、どうやって資格確認を?」
「免許証の住所がまだ変更してなかったからな。それを見せたら、いけたぜ」
「信じられない。勝手なことして、家の中に入らないで」
「そうしなきゃ家に入れないだろう」
「なんで、よく考えたら俺は一家の大黒柱だ。お前らにかかる金は、俺が稼いだものだぞ」
「あのね、前も言ったけど、私も働いてるの。養ってるのはあなただけじゃないのよ」
「俺がいなくなったことで、収入は減っただろう。金がなくなって困ってるんじゃないか」
「あなたみたいに無駄遣いしないから、困ってないわよ」
「可愛げねえなあ。素直になれよ。お前らのために再婚しようと家に戻ってきたんだぞ。感謝こそすれ、文句を言われる覚えはない」
「感謝もしてないし、文句しかないんだけど。何回強がれば気が済むんだよ」
「何? 私が困ってたら嬉しいわけ?」
「俺を頼れって言ってんだよ。本当、可愛げのない女だな」
「可愛げがなくて結構。あなたがいなくても生きていけるもの」
「どうだか。ただの在宅に、そこまでの稼ぎと蓄えがあるのかな?」
「在宅は在宅でも、フリーランスよ」
「フリーランスって言えば格好つくと思ってんのか?」
「別に格好つけてるわけじゃないわ。あくまで自由な働き方を総称してるだけで、税務上の扱いとしては個人事業主っていう意味にもなるわ」
「あ、それってつまり、お前は社長ってこと?」
「個人で働いてるからそう呼ばれることはないけど、まあそういうことになるわね」
「なんだよそれ。聞いてねえんだけど」
「ちゃんと話したわよ。あなたがちゃんと聞いてなかっただけじゃない」
「結婚してからずっと専業主婦で世間知らずのお前が社長?」
「あなたが専業主婦になってってお願いしたからでしょ」
「悪い悪い。結婚した後、ちょっとパートもやってたな。大した稼ぎもないパートをさ」
「そうね。稼ぎのないあなたを支えるために、パートをやってたわ」
「喧嘩売ってんのか」
「先に売ったのはそっちでしょ。私はね、その傍らで資格の勉強をしてたの。一級建築士の勉強をね」
「無理やり頑固なお前が、資格に受かるわけないだろ」
「受かってなかったら、独立して在宅なんてやってないわよ」
「は? じゃあ、お前本当に一級建築士の資格を持ってるのか」
「そうよ。だから独立したの」
「独立したところで、どうせ大した稼ぎじゃないだろう。年収百万円とか、そんなところか」
「それよりも、もっと上よ」
「はあ。いくらだよ」
「今年は大きな案件を頂いたから、一千万円を超えたわ」
「嘘つくんじゃねえよ。見栄を張りたいのは分かるけどさ」
「嘘だと思うなら通帳でも見る? 証拠はいくらでもあるわよ」
「本当なのか……」
「だから、さっきからそう言ってるでしょ」
「そうか。頑張ったんだな」
「そうよ。だから、あなたの助けはいらないの。分かったら早く出ていってくれる?」
「分かった。そういうことなら、再婚は諦めてやる」
「よかった。やっと分かってくれたのね」
「その代わり、財産分与をよこせ。この家を売った金を分けるんだ」
「ああ、どこまで諦めが悪いの? 言ったわよね。この家の名義は私。あなたにその権利はないのよ」
「お前はやっぱり世間知らずでバカだな。家っていうのは夫婦共同の財産なんだよ。だから離婚したら、ちゃんと分けなきゃいけないんだろう」
「あなたって人は、もう忘れたの? この家は、私たちが買った家じゃないでしょ」
「そうだっけ? 確かに新築じゃなかったけど」
「私のお母さんのお姉さん、おばさんがもう使わないからって譲ってくれたじゃない。その家をリフォームしたのが今の家でしょうが」
「そう、そう、そう。や、そうだったな。二十年近くも前じゃ忘れるわ。でも、そうしたらリフォーム費用は出してるわけだから、その分の費用は財産分与できるはずだ」
「できないわよ。何言ってるの? リフォームの費用は私の親族たちが出してくれたのよ。家を処分するつもりだったから、その分のお金をリフォーム費用に当ててくれたの」
「あれ? そうだっけ?」
「どこまで記憶を改ざんすれば気が済むの?」
「してねえよ。お前が嘘ついてんだろ」
「都合のいい頭だこと。いい? 家もリフォーム費用も、私たちからは出してない。だからこれは財産分与の対象にはならないのよ」
「あ、そういうなら家にかかった修繕費は対象になるかもな」
「じゃあ、それを半分よこせ」
「いいけど、おそらく微々たるものよ。確か屋根の塗装費用が五十万円くらいだったから、あなたに入る金は二十五万円ってことね」
「そうなるわな。俺だって長年住んできたのに、納得いかねえ……そうだ。固定資産税は俺も払ったなら、共有財産になるんじゃないか」
「ああ、それは私の独身時代の貯金で払ってたの」
「なんで俺の金で払ってないんだよ」
「結婚当初、あなたには貯金がなかったからよ。仕方ないから私の口座から引き落としにしてたの。それからずっと口座を変えてないから、財産分与は無理ね」
「ならお前の貯金を半分よこせ。婚姻中に築いた財産は夫婦のものだからな。いくらある?」
「いいえ、八百万円ほどあるけど」
「なら四百万円は俺の分だな」
「あなたがそんなこと言える立場だと思ってるの?」
「なんだよ。そんなに金を渡したくねえのか」
「あなた、浮気してたでしょ。だからその分の慰謝料を請求させてもらおうと思ってて」
「慰謝料? 証拠もないのに」
「証拠ならあるわよ。あなたが家を出た後、探偵に調査を依頼したの。浮気相手のところに通い詰めてたでしょ」
「探偵に依頼とか、卑怯だぞ」
「プロジェクトを任されたとか、仕事で出張やビジネスホテルに行ってたのも、全部浮気のためだったのね」
「別れたんだからいいだろうが」
「浮気したことは事実でしょ。ということで、あなたに四百万円を請求するわね」
「待て待て。ちょっと高すぎやしないか。相場は二百万とか三百万って聞いたぞ」
「まゆとみゆの養育費込みよ。財産分与で相殺するなら、慰謝料と養育費の請求はしない。どうする?」
「勝手にしろ。お前と結婚したのは間違いだったわ」
「そうね。私もそう思うわ。ただ、あなたのおかげでまゆとみゆに会えた。それだけは感謝してるわ」
「……負け惜しみか」
「さて、そろそろ家から出ていってくれるかしら」
「嫌だ」
「ああ、今度は何?」
「頼む。考え直してくれ。今まで家族として長く一緒に暮らしてきたじゃないか」
「形式上はね」
「まゆとみゆだってまだ高校生だ。子供は父親がいた方がいいだろう」
「もう高校生よ。父親がいた方がいい時期はとっくに過ぎたわ」
「なんでだよ。子供にとって親は、いつだって親だろう」
「そう思うなら、どうして私が助けて欲しい時に助けてくれなかったの? 私はずっと昔から、SOSを出してたわ」
「何をどう助けろってんだよ」
「まゆとみゆがまだ赤ちゃんだった頃。ミルク、おむつ、お風呂、着替え。他にもいろいろ助けて欲しかったわ」
「そんな、やって当たり前のことできなかったのかよ」
「双子の育児よ。普通の育児とは訳が違うの。頭がおかしくなりそうだったわ」
「情けねえな」
「でも、おかげで今の絆があるんだと思うの。だから、私たち家族の中にあなたがつける隙はないわよ」
「なんでそんなこと言うんだ? 俺だって身内だ。何より血の繋がった親子じゃないか」
「本当にそう思ってるなら、離婚した時、あなたについて行くはずよ」
「それは、母親の方に情がいくのが普通だからだろう」
「なら、どうしてあなたから面会したいって言われないのかしら」
「年頃の娘だから、恥ずかしいんだろう」
「違うわ」
「じゃあ、なんだよ」
「答えは簡単。あなたのことを父親とも何とも思ってないから」
「まゆもみゆも、俺のことパパって呼んでくれるけど」
「あくまで家族間における役割の名称を呼んでるだけで、心の底からパパなんて思ってないわよ」
「そんなことないだろ」
「じゃあ、あなたは手紙をもらったことある? 抱きしめられたことは? 大好きって言われたことは?」
「それはないけど……」
「ないでしょ? 産んだだけじゃ親にはなれない。どう関わるかが一番大事なの」
「だって俺は俺で忙しかったし」
「とっくの昔から、私たちはバラバラだったのよ」
「嘘だ。そんなはずない。だったら、なんで今まで一緒にいたんだよ」
「いつか変わってくれるって信じてたからよ。でも、無駄な時間だったみたいね」
「そんなことない。俺たちは仲良し家族だったはずだ」
「いい加減、この事実を受け止めなさい」
「嫌だ。頼む。もう一度チャンスをくれ。俺たちやり直そう。今度はちゃんと父親やるから」
「もう、結構よ。どうしても出ていかないというのなら、不法侵入として警察を呼ぶわよ」
「大げさな。俺だってこの家に住んでたんだ。だから不法侵入にはならないだろう」
「もう離婚していて赤の他人なのに、何を言ってるの? そろそろ百番通報したいから、LINEは終わりにするわね」
「いやいや、それは待ってくれよ」
「さようなら。夫にも父親にもなれなかった人。この家に住むのは私たち家族三人よ。他人のあんたは、三秒で出ていきなさい」
その後、警察に連れて行かれたテルオは、住居侵入罪に問われ、執行猶予付きの懲役三年という判決が下されました。このことが会社にも知られ、テルオは当然のように懲戒解雇されます。実家からも追い出され、元彼女からも拒絶され、テルオはどこにも行く当てがなく、住まいもありません。
そんなテルオが行き着いた場所は、公園のホームレス生活。当然お金もありません。お腹をすかせたテルオは万引きに手を出してしまい、執行猶予中の再犯を犯したとして執行猶予を取り消され、懲役刑となるのでした。屋根のある住処ができたようで良かったですね。ただ、皮肉にもそこは刑務所ですが。
一方、私はと言いますと、まゆとみゆと三人であの家で幸せに暮らしています。今回の件をきっかけに、まゆとみゆは進路が決まったようです。まゆは困っている人たちを助ける弁護士に、みゆはたくさんの人たちに素敵な住まいを提供する建築士に、それぞれの道を歩んでいます。あの子たちの親である限り、まだ道のりは続きますが、私自身が設計したこだわりのあるこのリビングで、ひと段落した子育てにほっと一息つくことにします。ああ、このコーヒー、美味しい。
