あの日、娘の結婚式の朝、私は何度も夫の電話をかけた。十五分後、ようやく折り返しが来た。「今起きたところだ。準備して出るから、娘たちは適当に待たせておいてくれ」——まさか、父が娘の人生最大の日に、この台詞を吐くとは思わなかった。二十年間、借金も女遊びも隠して耐えてきた。でも、娘は知っていた。「お母さん、もういいの。あんな人、父親じゃない」。そして娘が言った。「私がお母さんを支えるから、離婚して…

あの日、娘の結婚式の朝、私は何度も夫の電話をかけた。十五分後、ようやく折り返しが来た。「今起きたところだ。準備して出るから、娘たちは適当に待たせておいてくれ」——まさか、父が娘の人生最大の日に、この台詞を吐くとは思わなかった。二十年間、借金も女遊びも隠して耐えてきた。でも、娘は知っていた。「お母さん、もういいの。あんな人、父親じゃない」。そして娘が言った。「私がお母さんを支えるから、離婚して...

まさか、結婚式の日にあの人が来ないなんて。

私は携帯を握りしめ、何度も電話をかけ直した。何度かけても、夫の彰は出ない。十五分ほどして、ようやく折り返しの電話がかかってきた。

「ああ、おはよう。ようやく連絡がついた」

「あなた、今どこにいるの?」

「今は家だよ」

「家?どういうこと?娘の結婚式よ。忘れてたの?」

「今起きたところだ。準備して出るから、娘たちは適当に待たせておいてくれ」

「ふざけないで。娘の結婚式よ?『適当に待たせておけ』って、どういうこと?」

「まあまあ、そんなに怒るなよ。俺も出張で疲れてたんだ」

「そもそも、娘の結婚式の前日に出張なんておかしくない?」

「断れないんだから仕方ないだろう。出張先から式場で直接合流しようって話になってただろ。今準備してるから、一時間くらいで行く。待っててくれ」

「一時間も?今日はあみの特別な日なんだから、できるだけ早く来て。私だって、こんな日に怒りたくないわ」

「めんどくせえな。一時間くらいで怒るなよ。今から準備するから」

電話を切った後、私はため息をついた。あみに連絡しなければならない。正直、顔を見るのが怖かった。

式場に着くと、あみは控え室でそっと私の顔を見た。

「お母さん、お父さんは急な仕事でちょっと遅れるって」

「遅れるって……娘の結婚式に?」

「どうせ嘘でしょ?お父さん、来ないんだよ。だって私が連絡しても返事すらしないもの。結婚式のこと、忘れてたに決まってる」

「お父さんは来てくれるわ。父親だもの」

「お母さん、もういいよ。実は私、知ってたの。お父さんのこと」

「え?」

「最低なクソ野郎でしょ、うちのお父さん。ギャンブルも借金も女遊びもしてさ」

私は言葉を失った。あみは小さい頃からずっと知っていたのだという。私が彼女を守るために必死に隠してきたこと、全部に気づいていたのだ。それでも私が悲しむと思って、ずっと知らないふりをしていたのだと。

「あみ……あなたに心配かけたくなくて」

「ありがとう、お母さん。でも、もういいの。あんな人、父親じゃない。お父さんなんて、最初からいなかったことにして始めよう。私の中で、とっくにあの人は父親じゃないんだから」

「ごめんなさい。あみに、幸せな日にこんな思いをさせてしまって」

「待って待って。お母さん、何か勘違いしてない?」

「え?」

「まさかとは思うけど……私が、お父さんが結婚式をドタキャンして悲しんでると思ってる?」

「そうじゃないの?」

「全然。来てほしくなかった。それにおかげで、お母さんにちゃんと気持ちを伝えられるから、むしろラッキー」

「どういうこと?」

「私ね、ずっと言いたかったの。お母さんは、私に経済的な苦労をさせたくなくて、ずっと我慢してた。でもね、私はもう大人だよ。私のために我慢しないで、もう自由になってほしいの。お母さんが我慢してるのを見るのが辛いから」

「ありがとう。でも、現実的に厳しいの。私の稼ぎはそれほど多くないし、貯金もない。そんな状況で家を出ていくのは難しいわ」

「お母さん、そこは心配しないで。ちゃんと考えてる。二十年以上、お母さんは私を守ってくれた。その恩返しをさせて。今度は私がお母さんを支えるから」

「どういうことなの?」

「とにかく詳細は後で。今は幸せな結婚式にしようよ。目いっぱい幸せアピールして、あの人がいなくても平気って見せつけてやらなきゃ」

あみは笑った。その笑顔が、少しだけ痛々しかった。

半日後。私は受話器を握り、必死に怒りを抑えていた。相手はもちろん、彰だ。

「結局間に合わなかったわ。疲れて寝ちゃったんだ。写真、後で送ってくれよ」

「『準備する』とか言っておいて、最初から行くつもりなかったんでしょ?」

「仕方ないだろう。俺だって遅くまで仕事してたんだし」

「娘の結婚式を忘れてたのは、仕事のせいで免罪符にはならないでしょ。どれだけ大切な日だと思ってるの?」

「はあ。なんでそんなに切れてるんだよ。どうせ俺なんて、いても邪魔なだけだろ」

「そんなことないわ。あなたはあみの父親なのよ。親として見送る責任があるでしょ?」

「責任って言っても、俺がいなくてもいいってのは本当のことじゃん。家に帰っても何も言ってこないし、LINEだってほとんど返してこない。冷たい家族のくせに、こんな時だけ家族らしくって、ちょっと図々しくないか?」

「帰ってきても何も言われないのは、あなたが何を言っても『ただいま』の一言すら言わないからよ。それに、半年に一回くらいしか家に帰ってこないでしょ。何度も注意してるのに、直そうともしない。家族だからって甘えて、空気にしてきたくせに、何が『冷たい』よ。愛情が覚めるようなことをしてるのは、そっちでしょ」

「うっさいな。結婚式くらいでガタガタ言うな」

「あみは強がっていたけど、父親の席に誰もいないのを見て、悲しそうな顔をしてたわ。娘として父親に祝福されないのが、どれほど悲しいことか」

「甘やかしすぎなんだよ。俺の時代は、父親なんてそんなもんだった」

「あなたの時代って何よ?今は令和よ。昭和じゃないの」

「うるせえ。これが俺の家計のやり方なんだよ」

「そんなやり方、受け入れられないわ。だからこそ、あみが『お父さんはいない』って言うのよ」

「え、あみが?冗談だろ」

「本気よ。あなたのことを父親だと思ってないって」

「俺だって、父親としてあみを愛してきたのに。お前が変なこと言って邪魔してきたんだろう。お前が俺を嫌うのは勝手だけど、だからって娘に俺の悪口を吹き込むとか最低すぎる」

「『変なこと』って何よ?あなた、話聞いてた?普段から家族を大切にしないから、こうなったって言ってるのよ。それなのに、会社の『家族イベント』には無理やり参加させて、いい父親ぶって。気持ち悪い」

「はあ。お前、俺をバカにしてるのか?」

「バカに?これが事実でしょ。学習能力がないから同じことを繰り返し、娘に嫌われていることを自覚しない。バカ以外の何者でもないわ」

翌日。あみが私を呼び、新しい住まいの話を始めた。

「お母さん、私たちの新居に来ない?」

「え?昨日結婚式を挙げたばかりでしょ。早々にお邪魔するのも悪いわ」

「そうなんだけど、実は新居は二世帯住宅で、お母さんの部屋も用意してあるの」

「二世帯住宅って……同居ってこと?」

「そういうこと」

「でも、お父さんは?」

「お父さんは来なくていい。私はもう二度と、あの人を父親だと思いたくないから。私の気持ちは伝えたよね。お母さんを苦しめた二十年間、絶対に許さないから。今度は私がお母さんを幸せにしたいの。私のために耐えてくれた分まで」

「でも……もう、お母さんがあの人に縛られる理由はないでしょ。私には立派な夫がいるし、私自身、お母さんを大切にできる経済力もある」

「知ってるわ。あなたは頑張って看護師になったのだもの」

「あのさ、お母さん。私が看護師になったのは、お母さんを守りたかったからなんだよ。もうお父さんに頼らなくていいの。一緒に暮らそうよ。夫も賛成してくれてるし。嫌なら、落ち着いてから出ていけばいい。今は、あいつから逃げることを考えてほしいの。お願い、お母さん」

「あみ……」

「私、知ってるんだよ。お母さんが離婚届を用意してたのも、経済的に厳しくて我慢してたってこと。でもね、もう守る娘もいないし、経済的支援だってできる。よく考えてほしいな。お母さんが幸せに生きていける方法を」

「ありがとう、あみ。そこまで言われて、それでもこの生活を続けるほど、私も鈍感にはなっていないわ」

翌朝。私はあえて普段通りに、洗濯物の前で立ち止まった。

「自分の洗濯物くらい、片付けて」

「はあ?それくらいお前がやれよ。畳むくらい、お前でもできるだろう。俺は疲れてるんだ」

「そうね。畳むのは簡単よ。でも、その簡単なこともできないあなたは何?そんなに疲れてるって、何してるの?年でもないし、病気でもない」

「お前は汗水流して働いた経験がねえから、そんなことが言えるんだよ」

「私だって働いてるわよ」

「安いレジのパートだろう。偉そうにすんな。とにかく俺は疲れてるんだ。家では休ませろよ」

「そう。疲れてるなら、休みも必要ね」

「だろ?だから俺は休む」

「なら、私もたまには休みたいわ。あなたも休んでるんだし、いいわよね」

「なんだよそれ。休みって、お前今日、元々休みだろ」

「一切の労働をしないってことよ。だから今日は家事もしません。洗濯も料理も掃除も、全部適当にやってください」

「そんなの許されるはずないだろう。どうして家事は嫁の仕事だろう」

「そうね、仕事よ。でも、疲れてるんだから休むわ。あなたもそうなんだから、文句は言わないで」

「俺は外で働いてるんだぞ」

「私も中で働いてるけど」

「屁理屈言うなよ。大体、『適当にしとけ』って投げ出すなんて無責任だ」

「娘の結婚式も『適当に待たせとけ』って言ったわよね。同じことよ。自分から言ってきたんでしょ」

「そういう意味じゃねえっての」

「とにかく、ご飯が食べたいなら、買ってくるなりして。私は今日、外でするから。それじゃあね」

私は言い返す隙を与えず、玄関に向かった。後ろから、なにかを叫ぶ声が聞こえたが、振り返らなかった。

翌日。彰が珍しく早く帰ってきた。いや、帰ってきたのではなく、私の荷物が減っていることに気づいて、慌てて飛んできたのだ。

「おい、なんだよ。さっき、いきなり帰ってきたかと思ったら、荷物まとめて出て行きやがって」

「要件は言ったはずよ。離婚したいの」

「はあ?何それ?結婚式のことでまだ怒ってるのか?グチグチ言ってるんだよ」

「あなたが本当に疲れて寝ていたのなら、怒るだけで済んだかもしれないわね。でも、あなたが結婚式を『疲れて寝ちゃった』理由、実際はお酒で起きられなかったからでしょ。そんな身勝手なことして、どうして許されると思ってるの?」

「何言ってるんだよ。俺はそんなことしてない」

「結婚式の前日、夜遅くまで近所の山田さんとパチンコして、その後、飲み屋で飲み続けてたんでしょ。そりゃ起きられないわね」

「俺はそんなことしてない。出張に行ってたんだぞ」

「おかしいわね。あなたの同僚の佐々木さんの奥様から、連絡があったのよ。佐々木さんに聞いたら、あなた、出張なんて言ってないそうよ。どうやら、結婚式の前日は『結婚式の準備』と言って、午後は休みを取っていたみたいね。わざわざ隣の市のパチンコ屋に行くために」

「ちっ……」

「佐々木さん、驚いてたわよ。『旦那さんがパチンコ屋で遊んでたけど、確か娘さんの結婚式、もうすぐじゃなかったっけ?』ってね」

「余計なことを……」

「余計なこと?ひどいわ。井戸端会議なんて、主婦の娯楽よ。あなたの上司の佐藤部長の奥様も参加してるのに」

「部長の奥さんとも知り合いなのか」

「いつの間に?あなたが、体裁と世間体のためだけに強制参加させた『家族イベント』のおかげで、いろんな人と仲良くなれたわ。今度、お茶でもしながら、お父様の話でもしようかしら」

「おい、会社の人間に変なこと言うなよ」

「変なこと?結婚式の話をするだけよ」

「お前なあ。これじゃ、俺が家族のこと大切にしてないみたいに聞こえるだろう。俺は会社では、家族思いだと思われてるんだぞ」

「実際、大切になんて思ってないでしょうが。あなたは家族のことなんて、どうでもいいんでしょ」

「そんなことない。大切に思ってる。だから仕事も頑張ってるんだぞ」

「そうやって、いつも否定してるけど。それなら、なぜ娘の結婚式より、山田さんとのパチンコを選んだの?」

「わかった。パチンコに行ったのは認める。でも、酒は飲んでない」

「まだ言うの?パチンコは、たまたま出張先で山田さんに会って、それで息抜きしてただけなんだ」

「大体、俺が酒を飲んだ証拠なんてないだろう」

「あるのよ。これがなんだと思う?」

私は、家族カードの利用明細を机の上に置いた。

「あなたが持ってる家族カードがあるでしょ。あれ、結婚式の前日、あなたは出張に行くって言って、宿泊先も取ってなかったわよね。でも、当日、居酒屋で使われてる履歴があったのよ。しかも、深夜にATMでキャッシングした記録もね。自分のカードと家族カードを間違えるって、相当酔ってたのね。そりゃ、結婚式も寝坊するわ」

「なんでそんなものを調べてるんだ。プライバシーの侵害だろう」

「家族カードだから、アプリで通知が来てたのよ。このカードは、家庭に必要なものを買ってきてほしい時に、あなたに渡していたもの。それなのに、どうして居酒屋で一万円も使って、深夜に二万円もキャッシングしてるのかしら? これでわかった?あなたのついた、しょうもない嘘は、全部暴かれてるのよ」

翌日。私は再び、彰に離婚届を突きつけた。彼は顔を真っ赤にして、怒鳴った。

「ねえ、いつになったら離婚届を書いてくれるの?」

「俺はそんなもの書かないぞ。大体、俺は悪くないじゃないか」

「悪くない?どこが?」

「俺だって男なんだから、息抜きくらいしたいんだよ。仕事のストレスもあるし」

「あなたのそれは、ストレス発散の域を超えてるのよ。私の、泣けなしのパート代は、この二十年間、あなたの借金に消えたわ。おかげで貯金は全くできないし、生活費を勝手に使い込まれても、耐えるしかなかった。逃げるためのお金もなかったんだもの」

「その分、ちゃんと養ってただろう。俺の金で生活してたくせに、偉そうなこと言うなよ」

「『養ってた』?ふざけないで。家計が苦しくて、あみの教材費も削ったのに。あなたは平気でパチンコに何万も使って、娘の人生最大の日に息抜き?あなたに父親を名乗る資格なんてないのよ、このクソ野郎」

「とにかく、調停でも何でもして、離婚してやるから。あなたの借金を立て替えた記録は残ってるわ。慰謝料と借金返済金の即時交渉。何が何でも払わせてやるから」

「嫌だ。そんなの払わないぞ」

「あら、ようやく本音が出たわね。嬉しいわ。結婚して二十年以上になるのに、あなたの本音を聞けたのは、これが初めてなんて」

「お前だって、離婚しなかったのは、金があったからだろう」

「あったのは、娘のためよ。あなたのためじゃない。もう私は、私の幸せのために生きるって決めたのよ」

その頃、あみの元に、彰が乗り込んでいた。

「あみ、お母さんをなんとかしてくれよ。なんか、いきなり離婚とか言い出して。お前の話なら聞いてくれるだろう。説得してくれよ」

「はあ?結婚式をドタキャンして、その謝罪もないくせに、自分の要件だけ伝えてくるわけ?甘えてこないで。あなたなんか、私の父親じゃない」

「おい、父親に向かって、なんだその口の聞き方は」

「私には、優しくて誠実な夫がいるから、お父さんがどれだけクズで最低か、よくわかるのよ。お母さんを二十年も苦しめておいて、今更なに図々しいの?離婚されるのだって当然だし。夫婦の問題に娘を巻き込まないで、ふざけないでよ」

「そんなこと言うなよ。父親が困ってるんだぞ」

「あのさ、気づいてないの?私、新居の住所、教えてないよね」

「え?そういえば、どこなんだ?」

「これから先、教えることはないし、切るわ。お父さんが依存症の病院に行って、ちゃんと治療してくれたら、こうはならなかった。ずっと『俺は違う』って言い訳ばかりして、私たち家族を苦しめたのよ。二度と近づかないで。あんたなんか、私の父亲じゃない」

「はあ。娘の分際で、何言ってんだ。おい、無視するな。返事しやがれ」

あみは、電話を切った。そして、同じタイミングで、私の元へも、怒り狂った彰からの電話がかかってきた。

「なんだよ、あいつ。娘のくせに、父親に向かって縁を切るとか言い出したぞ。こんなふうに言うなんて、娘を甘やかして育てたお前が悪い。不良にしやがって」

「『甘やかした』?育児に全く参加してなかったくせに、今更なに?」

「俺だって参加してただろう」

「へえ。参加してる認識なのね。あみの誕生日を忘れて、卒業式も入学式も遅刻。熱を出しても、『仕事だから』と病院にも連れて行かなかったくせに」

「いや、それは忙しくて……」

「あなたは『家族思い』でも、育児に参加してる『いい夫』でもないのよ。あなたがしたのは、経済的DVと育児放棄だけ。それで、なんで愛されると思うの?あなたは最低な父親なの。いい加減、自覚しなさい」

「DVって何だよ。殴ったことなんてないぞ」

「経済的DVよ。生活費を勝手にギャンブルに使い込んで、家族を経済的に困窮させる、立派な暴力。その証拠は、ちゃんと揃ってるわ」

「そんな、お前が証拠集めとか、卑怯だぞ」

「私が何も言わないから、『認めてる』か『許してる』か『諦めてる』と思ったんでしょ。こうしていつか訴えてやるって、その恨みと、あみへの愛情だけで、この二十年耐えてきたの。ようやく実を結ぶわ。弁護士とも正式に契約したのよ。経済的DVと精神的苦痛への慰謝料として百五十万円。返済を肩代わりした借金、百三十万円。合計二百八十万円、払いなさい」

「二百八十万だと?そんな金あるわけないだろう。お前、頭おかしいんじゃないか」

「あなたの年収と二十年間の被害を考えれば、妥当な金額だそうよ。弁護士さんがちゃんと計算してくれたわ」

「ふざけんな。お前、俺から金を踏んだくって生きるつもりだな。俺はそんな金払わない」

「裁判してもいいんだぞ。そうなれば、金のないあなたに勝ち目なんてないんだから。残念だったわね。家なしのホームレスだ」

「そうかしら。実はね、あみが同居を言い出してくれたの」

「はあ?あみにそんな稼ぎがあるわけないじゃないか」

「呆れたわね。あなた、娘の職業も、娘の婿のことも知らないわけ?あみは看護師で年収五百万。結婚相手は大企業の若手エリートで、年収八百万よ。十分、豊かに暮らせるわよね」

「そんなに稼いでたのか……」

「そういうこと。まあ、あなたが知らないのも無理ないわ。あの子、必死に隠してたもの。バレたら、たかられるってわかってたし」

「たかる?お前もだろうが。娘に寄生するつもりか?情けない。恥ずかしくないのか」

「『寄生』?二十年間、自分で借金も返さず、生活費を勝手に使い込んでいたのは、どちら様でしたっけ?今まさに、私に寄生しようとしてるあなたが、何を言ってるのよ。特大ブーメランとか、そんなレベル超えてるわよ。まあ、頭に刺さっても、学習能力のない小さな脳みそだから、特に問題はなさそうだけど」

「うるさい。とにかく、お前だって寄生中じゃないか」

「それがね、前に言ったけど、私、田中部長の奥様と仲がいいの。奥様から、人手不足で困ってる職場があるって、正社員のお仕事を紹介してもらったのよ」

「はあ?お前、仕事するのか?」

「そういうこと。さすがに、娘に養ってもらうほど、落ちぶれてないわ。私一人でも、十分自立できるの」

「そんなこと……俺の知らないところで、いろいろ動きやがって」

「負け惜しみはもういいかしら。もう二度と、夫面も父親面もしないで。これからは一人で、みじめに生きてね」

「くそ。いい気になりやがって。結局は金かよ」

「そうね、お金も大事よ。でも、あなたは失うものがどれだけ大きいか、自覚してないわね。これから、生活の自立ができるかしら?家事って大変なのよ。料理も洗濯も掃除も、全部一人でやらなきゃいけないの。あなたには無理でしょうね。だって、仕事でとっても疲れてるんだもんね。帰っても温かい食事もない、お風呂もない。疲れても、自分で全部しないといけない。シャツが仕上がりが悪くて、清潔感がなくなったら、それこそ仕事に支障が出るわよね」

「嫌だ……そんな生活。ちょっと待ってくれよ。俺が悪かった。本当に反省してるから、離婚だけは勘弁してくれ。一人じゃ何もできないし、慰謝料だって払えない。あみにも謝るから、もう一度だけチャンスをくれ」

「今まで、散々チャンスをあげたじゃない。その度に、あなたは裏切ったでしょ。あなたが結婚式当日に言った言葉、覚えてる?『娘たちは適当に待たせとけよ』って。でも安心して。私たちはもう、あなたを『適当に』扱わない。完全に忘れて、幸せに生きていくわ。あなたは必要ないし、関わらない。だから、『適当』にもならないの」

「そんな……俺の家なのに。俺一人なんて、寂しすぎるだろう」

「あら、あなたはいつも一人だったでしょ。自分だけの都合のいい家族を、私たちに押し付けて。二十年の積み重ねが、孤立を生んだのよ。これは、あなたが選んだ道。それじゃ、これからは頑張ってね。『適当に』できるほど、生きるって簡単じゃないんだから」

その後、半年が過ぎた。彰は結婚式をすっぽかしたことはもちろん、仕事中にパチンコをしていたことが職場にバレて、懲戒解雇になった。慰謝料などの支払い総額二百八十万円は、分割払いで支払い続けているという。一人暮らしで料理も洗濯もできず、コンビニ弁当とコインランドリーの日々を送っているそうだ。

一方、私は奥様の紹介で正社員となり、自立しながら、あみ夫婦と二世帯住宅で暮らしている。今はあみも妊娠中で、私があみを支えている。あみは「私がお母さんを支えようと思ったのに」と申し訳なさそうにしていたが、いくつになっても、親は子の世話を見たがるものだ。その気持ちは、きっとあみも、自分の子を抱いたらわかることだろう。

我慢ばかりだった私の人生も、今は間違いなく、人生で一番幸せだ。私は私の幸せと、そして娘夫婦と、もうすぐ生まれてくる孫の幸せのために、これからは我慢せずに生きていこうと思う。

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