普通の昼下がり、スマホが震えた。夫からのLINE。「今日の検診、どうだった?」その何気ない一文が、私の人生を一瞬で壊すなんて、その時はまだ知らなかった。私はただ、「問題ないよ。お腹の子も順調」と返しただけ。なのに、次の言葉が信じられなかった。「性別は?」。まだ12週で、わかるはずがない。そう伝えると、夫はため息をついて言った。「男じゃなかったら、俺たち終わりだからな。母さんがそう言ってる。」…

普通の昼下がり、スマホが震えた。夫からのLINE。「今日の検診、どうだった?」その何気ない一文が、私の人生を一瞬で壊すなんて、その時はまだ知らなかった。私はただ、「問題ないよ。お腹の子も順調」と返しただけ。なのに、次の言葉が信じられなかった。「性別は?」。まだ12週で、わかるはずがない。そう伝えると、夫はため息をついて言った。「男じゃなかったら、俺たち終わりだからな。母さんがそう言ってる。」...

「今日の検診、どうだった? 」

「問題ないって。お腹の子も順調に育ってるって言われたよ。」

「いや、そうじゃなくて。性別は? 」

「まだ12週だよ。まだわからないって。」

「まだわかんないのかよ。」

「大体14週以降じゃないとわからないんだって。次の検診でわかるかもね、って言われた。」

「次は4週間後か。遠すぎる。」

夫の年尉はため息をついた。私はその顔を見て、すぐに察した。

「もしかして、お母さんが何か言ってきたの? 」

「そうだよ。俺たち結婚して8年だろ。8年かけてやっと妊娠して、これで男じゃなかったら——って、母さんずっと言ってる。」

「ご実家の会社は、男にしか継がせないんでしたっけ。」

「地主だった頃から後継ぎは男って決まってるらしい。古臭い決まりだとは思うけどな。だから俺たちの子供は、絶対に男じゃないとダメなんだよ。」

「私、次がないってこと?

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」

「お前ももう32だろ。今回の妊娠だって8年かかったんだ。これがラストチャンスだと思え。」

「つまり、女の子を産んだら離婚ってこと? 」

夫は視線をそらした。そして、淡々と言った。

「母さんの言うことには逆らえない。俺は今、実家の会社の社長だ。母さんは会長だ。つまり俺よりも母さんのほうが立場が上だ。これ以上我慢させたら、俺が切られる。」

「私たち夫婦でしょ。関係あるでしょ、私の気持ちも。」

「感情論はどうでもいいんだよ。男を産めば問題ない。それができないなら、お前とはそれで終わりだ。」

私はそれ以上、何も言えなかった。2週間後、義母に呼び出された。

「リカ子さん、あなたには失望しました。」

「え、何でしょうか、急に。」

「年尉が切れたって言ってたよ。もう離婚するって。」

「理由がわかりません。私は何もしていませんが。」

「わからない? あんた、それでもうちの嫁か。」

義母は鼻で笑った。

「私は何度も言ってきたはずよ。子供の性別の話を。」

「それがどうかしたんですか。」

「女の子でしょう。年尉が言ってたわよ。」

「いや、でも……私、まだ性別を聞いていません。まさか。」

「私の可愛い息子が嘘をつくわけないでしょう。あんたが妊娠するのを8年も待ったんだからな。なぜ私が8年も我慢できたと思う? あんたの遺伝子が優秀だからよ。有名大学を卒業して、頭も回るし顔も悪くない。あんたの子供なら立派な孫になる。そう思ったから、私は8年も待ったのよ。」

「つまり私は、モルモットですか。」

「その結果が女の子だなんて、到底許されることじゃない。我が家の伝統よ。女は経営者に向かない。女はすぐ感情論で話すからね。理論的思考ができないのよ。」

「お母さんも十分感情的だと思いますけど。」

「そんなことないわ。無駄口を叩かないで。後継ぎを産めない役立たずとは離婚しなさい。すぐにでも新しい嫁を用意するから。」

「わかりました。話し合いの余地はなさそうですね。ただし、確認させてください。お腹の子の性別を断定したのは年尉ですよね。私は知りませんよ、まだ。」

義母はきょとんとした顔をしたが、すぐに鼻であしらった。

「どうでもいいわ。離婚して。お腹の子はくれてやるから。」

私は家に帰り、夫に問い詰めた。

「私、あなたに子供の性別を言ったっけ?

」

「え? 言っただろう。聞いた気がするけど。」

「私はまだ検診に行ってないのよ。あなたに伝えたのは、『次の検診で性別がわかるかも』っていうことだけ。性別がわかったとは一言も言ってない。」

「……俺、勘違いしてたのか。」

「なんでそんな勘違いをしたの? 」

「あー、やばい。」

「何がやばいの? 」

「母さんに言っちゃったんだよ。『女の子らしい』って。今さら勘違いでしたって言ったら、何を言われるかわからない。」

「お母さんには、離婚しろって言われたのよ。」

「ああ、わかった。じゃあ離婚しよう。」

「なんでそうなるの?

これ、あなたの勘違いが原因でしょ。今から勘違いだったって説明しに行けば——」

「バカ。そんなことしたら俺が怒られるだろう。」

「怒られればいいでしょ。あなたのせいでしょ。」

「俺の立場を守るためには、離婚が最善なんだよ。わかったか? 」

私は、ようやく諦めがついた。

「そう。あなた、前も言ってたもんね。私よりも立場を選ぶって。現実は厳しいね。」

「悪いとは思ってる。でも母さんに逆らうのは無理だ。」

「じゃあ、離婚しましょう。私もようやくあなたを見限ることができたわ。」

「ああ、そうだ。子供が生まれて、もし男だったら俺に渡してくれ。」

「何を言ってるの? 女の子だったらどうするの? 」

「女だったらいらない。産んだ後、男だったら連れてこい。母さんへの点数稼ぎにはなるからな。」

「ふざけないで。男の子でも女の子でも、この子は私の子よ。あなたたちに、絶対に渡しませんから。」

2週間後、今度は義母が怒鳴り込んできた。

「リカ子さん、あんた、これは何?

慰謝料請求って。」

「ああ、年尉の件ですか。」

「なんで慰謝料? 同意の上での離婚だったでしょう。」

「割と一方的でしたけどね。それでも同意しましたか。でも、慰謝料を請求されるのは当然です。だって、年尉、不倫してましたから。」

義母の顔色が変わった。

「……は? 」

「そもそもの話、私はお腹の子の性別を知らされてませんでした。正確にはまだわかってなかったんです。なのに年尉はなぜ『女の子』って断定できたんでしょう。」

「勘違いか何かじゃないの。」

「普通の状況ならあり得ますけど、あなたの家の状況ではあり得ません。年尉にとって、あなたは母親であり上司。逆らえない存在です。あなたが孫の性別をすごく気にしているのも知ってた。年尉は自覚していた。だからこそ、あの人は子供の性別にすごく敏感だった。神経質なくらいに。そんな状態で、勘違いなんてするはずがないでしょう。」

「……何が言いたいの。」

「年尉が不倫してた相手が妊娠して、その子が女の子だと言われた。その事実を、私との子供のことと取り違えた。そう考えると筋が通ります。証拠もちゃんとありますよ。不倫相手は秘書の咲さん。今は妊娠して育休中です。妊娠したのは私の2週間前。時期から考えて、咲さんの子供の性別はもう判明してます。」

「我が家の社長が社内不倫で、しかも妊娠……。そんなことが表に出たら——」

「不倫の証拠写真もありますよ。二人が揃って咲さんの家に入っていく写真が。」

「こうしちゃいられないわ。揉み消さないと。」

「揉み消せるといいですね。無理でしょうけど。」

10分後、夫が慌てて電話をかけてきた。

「母さん、それどころじゃないんだ。車内で俺の不倫の噂が広がってる。」

「あんたのせいよ。」

「それは認める。でも今は——」

「何で広まったのよ。」

「リカ子が社員に話したんだ。俺が不当にリカを働かせてたこともな。俺の不倫だけじゃなくて。」

「嫁に給料を払うバカがどこにいるのよ。」

「リカ子は社員に頼りにされてたからな。離婚理由を正直に話したら、それが噂になったんだろう。」

「あの女、頭の回転は悪くないからね。どうするの。」

「こうなったら腹を括りなさい。あんたは辞めなさい。」

「辞める? 」

「今さら噂を消せるわけないでしょう。社外に広がるのも時間の問題よ。ならあんたが泥をかぶって会社を守りなさい。自分で巻いた種でしょ。それと、リカ子さんを無給で働かせてた件も、あんたが主導したってことにするから。」

「嘘だろ。あれは母さんが——」

「私は会長よ。経営には口を出すけど人事は別。社長であるあんたの責任でしょ。リカさんへの慰謝料も養育費も全部あんた一人で払いなさい。慰謝料300万、養育費は月6万。あんたが夫で、あんたが父親なんだから。いつまでも母親を頼ろうとするんじゃない。秘書の咲さんもクビ。これは決定事項よ。異議は認めない。」

数日後、夫が私の家に転がり込んできた。

「リカ子、やっぱり俺にはお前しかいない。」

「何、急に。」

「知ってるだろ、俺が母さんに切られたってこと。不倫が表に出る前に、辞任って形でな。」

「早かったね。」

「あのクソババア、今まで俺がどれだけ言うことを聞いてきたと思ってんだ。あっさり捨てられたよ。」

「あなたが嘘をつくからでしょ。」

「リカを無給で働かせてたのまで俺のせいにされたんだぞ。ふざけんなってんだ。」

「お母さんのやりそうなことだね。咲さんはどうしたの?

」

「あの女もクソだ。俺が社長じゃなくなった途端、連絡も無視だ。ありえないだろう。」

「ああ、そっちにも捨てられたんだ。」

「違う。俺が捨ててやったんだ。」

「いや、状況的に、捨てられたのはあなたでしょ。」

夫はムッとしたが、続けた。

「結局、母さんも咲も俺のことを見てなかったんだよ。母さんは後継ぎが欲しかっただけ。咲は俺の立場と金が欲しかっただけ。」

「なんというか、情けないね。」

「は? 俺のどこが情けないんだよ。」

「お母さんに逆らえないから、私と離婚したんでしょ。咲さんとの不倫だって、あなたが勝手にしたこと。私よりも咲さんが良かったからじゃないの? それなのに、自分の立場が悪くなった途端に、お母さんが悪い、咲さんが悪い、自分は捨ててやった。情けないにも程があるでしょ。」

「リカ子だって、母さんには苦労させられてたろ。」

「させられてたね。それに咲さんも、あなたと不倫してた。私にとっては二人とも敵だよ。」

「なら、なぜ俺を攻めるんだ。」

「あなたが二人と同類だからだよ。自分勝手で、人の人生を何とも思ってない。あなたと結婚して8年間、私は自分の人生を浪費してきたのよ。」

「浪費って。」

「お母さんに逆らえない。平気で不倫して、不倫相手を妊娠させる。あげく、自分勝手な理由でその人たちを下げる。あなたは本当に、くだらない男だったのね。」

「でも今回は俺、本気なんだ。色々あったけど、やっぱりお前しかいない。やり直そう。」

「ごめんだけど、私にはあなた以外に、大事な人がいるから。」

「お腹の子か。子供一人を育てるのは大変だぞ。」

「大変でもやる。それが母親だから。」

「俺も父親だしな。」

「知りません。あなたは自分のいい思いをしたいだけなんでしょ。お母さんも咲さんも私も、あなたの立場や自尊心を満たすための道具だったんだね。そんな人が父親だなんて、冗談やめてよ。この子がかわいそうでしょ。」

「そんなこと言うなよ。」

「私はこれから、この子と二人で生きていくわ。そこにあなたが入る隙はない。分かったら、あなたは一人で生きていって。自分が大好きなあなたには、それがお似合いよ。」

翌朝、義母から電話がかかってきた。

「リカ子さん、子供の性別は? 」

「……もう検診は受けましたけど。男の子です。」

「よっしゃ!

でかした! 年尉は本当に失敗作だったわ。あんなに大事に育てたのに。それに比べてリカ子さんは立派よ。嫁として後継ぎをちゃんと作ったんだから。」

「そうですか。」

「じゃあ、生まれたらちょうだいね。」

「は? 何を言ってるんですか。」

「何って、私の孫でうちの後継ぎでしょ。私が育てるわ。」

「バカ言わないでください。私の息子です。」

「ああ、めんどくさいわね。いくら欲しいの? 」

「いくらって……。」

「お金よ。子供を渡すなら、いくら出せばいいの?

1000万までなら出すわよ。うちの後継ぎの値段としては破格でしょ。」

「ふざけないでください。そんな、売り物みたいに。」

「じゃあ、咲さんが産む子と交換はどう? 女の子はきっと可愛いわよ。咲さんも500万でいいって言ってたし。」

「咲さんは関係ないでしょう。お母さんが決めることじゃない。というか、私は息子を売るつもりは一切ありません。」

「まあ、拒否権はないけどね。私はお金も地位もあるのよ。あんたから息子を取るくらい余裕よ。かわいそうだから、交渉してあげてるの、わかる? 」

「……そうですか。わかりました。お話だけは、伺います。」

「分かってるじゃない。じゃあ、レストランの予約でも取るわ。食事しながら詳細を決めましょう。」

「ええ、お願いします。」

数日後、私は義母と高級レストランに向かっていた。

「この前はありがとうね。有意義な話し合いができて、私も満足よ。」

「私も満足してますよ。」

「出産はいつだっけ? 」

「今16〜17週目なんで、あと半年後くらいですね。」

「楽しみだわ。早く後継ぎの顔が見たい。」

「いや、無理ですね。」

「は?

」

「何を見るって、お母さん、すぐ逮捕されますから。」

「え、逮捕? 」

「この間のレストランでの話し合い、録音してました。『交換してくれたらおまけで500万出す。交換しないなら無理やりにでも奪い取る。それができる社会的立場とお金がある』——あなたが言ったことです。ついでに、その子供の交換に関する契約書も渡してくれましたよね。」

「渡したけど、まだ何も決めてないわ。」

「提案してきた時点で罪になるんですよ。日本では、人間の売買は禁止されていますから。それに、子供を奪えると明確に言いましたよね。録音とLINEも証拠があります。脅迫罪も適用されますよ。咲さんのほうも逮捕されるでしょうね。まだ未遂とはいえ、合意してしまってますから。」

「あいつのことはどうでもいいわ。」

「どうでもよくありませんよ。お母さんも合意してるんですから。複数人への売買の提案、一方への同意、私への脅迫。全部合わせて、懲役5年は堅いと警察の方が言ってました。」

「ちょっと待って。今、警察って言った? もう通報したってこと?

」

「証拠も全部渡してます。」

「嘘でしょ。私が捕まったら、この会社は株価暴落で終わりよ。つい先日、社長の辞任があったばかりなのに。先祖代々守ってきた会社が……。」

「お母さんの代で終わりですね。ご先祖様たちも、ぶち切れてるでしょうね。」

「ふざけてる場合じゃないわよ。今すぐ取り下げなさい。」

「それはできません。お母さんが社会にいることが怖いからです。私の息子を狙ってる人がいる。恐怖でしかありませんから、排除します。」

「排除って……。」

「やめませんよ。自分の子供のためですから、何でもします。この結果を招いたのはお母さんです。感情的で、理論的に考えられないバカだったからです。経営者は理論的思考ができないと勤まりませんからね。感情だけでは、こうして道を踏み外すんです。」

「……あんたに言われるなんて、いい勉強になったわ。」

「まあ、この学びを生かす機会は、一生来ないでしょうけど。」

その後、義母と咲さんは逮捕された。咲さんは懲役3年、義母は懲役7年。事件はニュースでも大きく取り上げられた。義母の会社は株価が暴落し、辞任したものの取締役の席に残っていた年尉も、結局は責任を問われて会社を追われた。会社はその後、倒産。義母と年尉は多額の借金を背負うことになった。咲さんの子供は、咲さんの両親が引き取ることになったという。

そして私は、事件から半年後に無事出産した。生まれたばかりの息子と一緒に実家に帰り、今は両親と家族4人で暮らしている。自分だけのことを考え、他の誰かを利用し、利用された結果があの人たちの辿った末路だ。私はそうなりたくない。そして、息子がそんな人生を歩まないように。この経験をしっかりと胸に刻んで、伝えていこうと思う。