「バーバはATMだからね。」 その声が、まるで刃物のように私の胸を刺した。スマートフォン越しのLINE通話は、切れたと思った後に確かに聞こえたのだ。 間違いなく、嫁の理沙の声だった。そしてその奥から聞こえたのは「あら、良かったわね」と笑う、年配の女性の声。あれは理沙の母親だ。 まさか、二人で私を……。 この四年間、孫の声と写真を心の支えにしてきた。会ったことさえもないけれど、それでも毎月のようにプレゼントを送り、振り込みもしてきた。「バーバ大好き」そう言ってくれたあの笑顔すら、今となっては本当の気持ちだったのか分からない。 だが、この瞬間から、私の人生は変わった。気づいてしまった以上、もう知らなかったふりはできない。 私は今、静かに立ち上がろうとしている。 私は西園寺みえ、七十歳。小さな町のスーパーで週に四日、レジ打ちのパートをしている。夫には十年前に先立たれ、ずっと一人暮らしだ。自分のことは自分でする。それが私のポリシーだった。節約しながらもつましく暮らし、貯金は少しずつ増やしていた。 息子の悠馬が結婚し、孫が生まれたと聞いた時は、心から嬉しかった。嫁の理沙とは会ったことがほとんどなかったが、写真越しに見る限り、しっかりした女性に見えた。孫の蓮には一度も会っていない。それでも、LINE通話で話せるだけで十分だと思っていた。会いたいと伝えるたびに「タイミングが合わなくて」と断られ続けたが、それでも無理に押し付けたくなかった。ただ、愛情だけは画面越しでも伝えたい。そう願っていた。 蓮が生まれたことを知ったのは、悠馬からのLINEだった。「母さん、元気? 昨日、男の子が生まれたよ」そのメッセージに、私は声を上げて泣いた。たった一行の文章が、私の胸をこんなにも熱くするとは思わなかった。すぐに出産祝いとして現金三十万円を振り込んだ。それは誰に強制されたものではなく、ただ純粋な喜びからだった。理沙からは「ありがとうございます。大切に使わせていただきます」という短い返信があった。 それからというもの、月に二回は悠馬と理沙からLINE通話が来るようになって、スマートフォンの画面の向こうに現れる赤ん坊の蓮に「バーバ」と呼ばれた日には、私は涙をこらえるのに必死だった。孫に会いたい、抱きしめたい。でも、距離の問題と先方の忙しさに配慮し、私はその思いを飲み込んできた。 ある日、「蓮に靴を買ってあげたいんですけど、ちょっとだけ援助してもらえませんか?」と悠馬からメッセージが届いた。私はすぐに五万円を振り込んだ。そこには、可愛いスニーカーを履いて笑っている蓮の写真が添えられていた。その日から、お金のお願いと蓮の写真がセットになって送られてくるようになった。 「蓮の保育園の制服が可愛くても高くて」「新しい習い事が始まって、道具が必要なんです」毎回、無邪気な蓮の写真と共に「少しだけ」の支援が求められた。私はお金のことより、写真が嬉しかった。あの笑顔を見るためなら、数万円なんて安いと思った。でも、それが間違いだったのかもしれない。 思い返せば、「会いたい」という私の言葉は、いつも何かの理由で断られていた。「風気味なんです」「理沙の実家に行く予定があって」「保育園の行事でバタバタしていて」決して怒りを感じたわけではなかった。ただ、どこか寂しさが残るだけだった。 そして、蓮が三歳を過ぎた辺りから、通話の頻度が急に増えた。その通話の中で、蓮はいつも何かを欲しがった。「パジャマが欲しいの」「お泊まり会があるの」「お友達がゲーム持ってるの。僕も欲しい」それは、明らかに自分の言葉ではないような調子で話していた。私は笑顔で応じながら、内心どこか引っかかるものを感じていたけれど、可愛い声を聞くと結局またお金を振り込んでしまう。私にとっては、たった一人の孫なのだ。ほんの少しでも役に立てるなら、それでいい。そう思い込もうとしていたのだ。 ある日の夜、LINE通話がかかってきた。画面には蓮が嬉しそうに手を振っている。「バーバ、こんにちは」私は自然と笑顔になった。「こんにちは。元気そうね、蓮」「うん。僕ね、今度お泊まり会があるの。だから、新しいパジャマが欲しいの。可愛いやつ。ママとパパとお揃いのやつ」私は一瞬、画面の奥を見た。そこにいるのは理沙だった。スマホを手にしたまま、蓮に何かを促すように口元を動かしている。蓮は続けた。「あとね、お誕生日にアイスケーキが食べたいの。喋るロボットも欲しいの。ゲームもパパとママとお揃いがいいの」私は思わず笑ってしまった。「そんなにいっぱい欲しいものがあるの?」「うん。だって、バーバは何でも買ってくれるんでしょう」 その言葉に、胸の奥が冷たくなった。 通話を終える直前、私は蓮に手を振った。「またね。元気でね。バイバイ」通話が切れる。そう思った瞬間だった。スマホのスピーカーから、はっきりと声が聞こえた。 「バーバ、買ってくれるって言った」「だって、言えば出てくるんだから。何でも言っときなよ」 私は息を飲んだ。その声は理沙だった。だが、さらに別の声が続いた。「良かったじゃないの。あのバッグ、もらったお金で買ったんでしょ。うまくやったわね」奥から聞こえる女性の声。間違いない。理沙の母親だ。「本当、助かるわ。こっちは言いにくいことを蓮に言わせるだけで、ポンって振り込んでくれるんだもん」「たまに『会いたい』って言ってくるけどさ、理由つけて断っておけば大丈夫でしょ」「そもそもさ、バーバって何? 本当の家族は、うちらでしょ」 私はスマホを持った手が震えていた。どうやら通話が完全に切れておらず、マイクが反応したままになっていたらしい。やがて、その通話は強制的に切断された。画面には「通話が終了しました」の表示。私の中で、何かが音を立てて崩れていった。 これまでの違和感が、一気に現実味を帯びて襲ってきた。写真を添えた金銭の要求。孫の口から語られる大量の『欲しいもの』。何度『会いたい』と言っても『都合が悪い』と断られ続ける理由。全てが計算されていたのだ。 私はスマホをテーブルに置き、ゆっくりと深呼吸をした。涙が止まらなかった。悔しいとか、悲しいとか、そんな言葉では言い表せなかった。それでも、私は冷静になろうと務めた。これ以上、自分を責めたくなかった。「信じた私が悪いんだ」と思いたくなかった。 翌朝、私は通帳を開き、これまでの振り込み履歴を一つ一つ確認した。出産祝い、行事祝い、誕生日、クリスマス、緊急の出費、入園祝い、理沙の分として新しいコート代、バッグ代、「私たちもお揃いの服を買いました」と言われて振り込んだ分。合計で、すでに五百万円を超えていた。 私は孫に一度も会ったことがない。それなのに、まるで実在しない家族に全てを注ぎ込んだような気分だった。「会えない分、繋がっていたい」「孫は悪くない」「蓮の笑顔に救われてる」そんな思いを、これまで何度も自分に言い聞かせてきた。でも、もう限界だった。 今の私は、家族でもなく、母でもなく、ただの都合のいい財布。そんな存在に、私はなりたくて生きてきたわけじゃない。 あの日のLINE通話以降、私は息子夫婦に何も言わなかった。怒りをぶつけることも、問い詰めることもしていない。ただ、黙って一切の連絡を絶った。そうすると、今度は向こうから連絡が来るようになった。「お母さん、蓮がバーバに会いたがってますよ」「今度、幼稚園で発表会があるんですけど、ビデオカメラ買ってくれませんか?」「そういえば、また遊園地のチケットが当たったんです。一緒に行けたらいいなって。もちろん、交通費はそっち持ちでお願いできますよね」 もう、何も感じなくなっていた。どれもこれも、私を財布としてしか見ていない言葉にしか聞こえなかった。 思えば、近所の人や古くからの知り合いにも、ずっと私は「幸せそうなおばあちゃん」と思われてきた。「お孫さん、可愛いわね」「いつも贈り物、立派なものばかりじゃない」「息子さんたち、本当にあなたに感謝してるのね」そう言われる度、私は笑っていた。本当のことなんて、誰にも言えなかった。「実は一度も会ったことがないの。写真とLINE通話だけなのよ。贈り物も、全部こちらから提案したわけじゃなくて」そんな言葉は口にできなかった。 私は孤独だった。孫に会えず、息子の家にも呼ばれず、それでも「幸せなバーバ」と思われるのが当然のようになっていた。この年齢になると、誰かに本音を言うことがどれほど難しいか、思い知らされる。私が唯一心の内を明かせたのは、亡くなった夫の仏壇だけだった。「あなたなら、どうしたと思う?」仏壇の前に座り、そうつぶやくだけ。返事が帰ってくることはない。 スーパーで会うご近所さんに「お孫さん、可愛いわね」と言われ、「まだ会ったことがないの」と言うと、気まずそうな顔をされる。「そうなんだ。大変ね」と心から共感してくれる人はいなかった。おそらく、誰もがこう思っていたのだろう。「それって、本人のせいじゃない。ちゃんと距離を縮めなかったあなたにも問題があるんじゃないの?」私は何も言い返せなかった。家族の問題は、外から見ればどこか他人事で、一歩間違えれば「自業自得」と片付けられてしまう。 私の悩みは誰にも届かなかった。いや、誰にも届けようとしていなかったのかもしれない。 理沙の実家の近所では、どうやら「仲のいい家族」として評判らしかった。息子もその中でうまくやっていることとして認められている。私の存在は、そのどこにもなかった。彼らの中に、私はいなかったのだ。そんな事実を突きつけられても、私は怒鳴ったり泣きついたりしなかった。ただ、黙っていた。まるで自分の存在を小さく消していくように。 「バーバ、ねえ。聞こえてる?」「今度の発表会、衣装がいるの。ミッキーの帽子もいるし。あと赤いズボン。ママが言ってた。バーバ、買ってくれるよね」LINE越しに聞こえる孫の声は無邪気で真っすぐだったけれど、それを後ろから促すような理沙の声も、はっきりと聞こえていた。「ちゃんと言うんだよ。ほら、バーバに買ってもらうの」「ママも、それで助かるんだから」 ああ、またか。私はスマホを握りしめながら、無言で頷いた。「うん。考えておくね」それだけを言って、通話を切った。その後、キッチンの椅子に腰を下ろし、深く息をついた。もう何度目になるのだろう。孫が欲しがるものは、ゲーム機、洋服、キャラクターグッズ、オンライン教材、お揃いの浴衣。そのほとんどは、私の財布から出ていた。しかも、それを「自分の意思でしている」と思わせるような巧妙さで。だが実際は違う。彼らは私を「喜んで支援する母親」に仕立て上げていただけだ。断る自由も、疑問を持つ権利も与えられていなかった。「だって、蓮が喜ぶから」「お母さんだって、孫のためならって思ってるでしょう」「そんな細かいことで、いちいち気にしないでくださいよ」どの言葉も、私の口を塞ぐためのものだった。そして、私はその甘さに黙って従っていたのだ。 夜になっても眠れない日が続いた。テレビの音も耳に入らず、ふと見上げた天井のシミだけがやけに現実的に見えた。何をやっているのだろう。私は息子の幸せを願ってきた。だからこそ、揉めたくなかった。孫に会いたかった。ただそれだけだったはずなのに。知らぬうちに、私はATMになっていた。 そんなある日、ポストに一通の招待状が届いた。理沙の実家の母親が主催する、ホームパーティーのそれだった。表書きは達筆で「親戚」と記されていた。その中に、私の名前が含まれていたことに驚いた。まさか。息子に確認しても、「まあ、多分全員に出してるだけだよ」とそっけない。私はそのまま封筒を破らず、机の中へしまった。あの人たちのパーティーで、どんな顔をすればいいというのか。何も言えない私を見て、また「都合のいい存在」として笑うのだろう。 それでも、私は誰にも言わなかった。知り合いにも、親戚にも、理沙にも、息子にも。ただ黙っていた。その沈黙の中で、自分を責め続けていたのだ。「もっと強くなれたら」「もっと言い返せたら」だけど、今更どうすればいい? そう思っていた、あの日までは。 きっかけは、思いがけない出来事だった。銀行の通帳を整理していた時、目に留まったのはここ数年の送金履歴だった。蓮への仕送り、理沙への振り込み、孫のために買った品々。ざっと合計すると、五百万円を超えていた。私は一枚のノートを取り出し、項目を区別に記録し始めた。ゲーム機四万五千円、誕生日プレゼント二年分で十二万円。細かく計算していくと、思っていた以上に出していたことが分かった。これは、もう援助の範囲ではない。 私の中で、何かが変わった瞬間だった。 その翌週、近所の公民館で開催された高齢者向けの資産管理講座に参加した。講師の女性が言った。「家族だから仕方ないと諦めていませんか? あなたの財産は、あなたの人生を支えるものです。誰かのために使う前に、自分を守るために使いましょう」その言葉に、私は息を飲んだ。まるで、自分に向かって言われているようだった。講座の後、個別相談も受けられると知り、思い切って申し込んだ。 相談員は、親身になって話を聞いてくれた。「援助は任意です。強制されるものではありません。お孫さんへの支援も、ご自分の気持ちが第一です」「援助を整理し、次からは一切行わないと明確に伝えることが重要です」 私は、その日のうちに手紙を書いた。息子夫婦にそれぞれ一通ずつ。内容は「これまでの支援は全て私の意志でした。今後は、私自身の生活と健康を最優先にするため、金銭的援助は全て断ち切ります。孫を利用しての要求は受け付けません。私の人生は私のものです。どうかご理解ください」筆を前に、手書きで丁寧に記した。そして、投函した。 翌日から、LINEの通話は一切来なくなった。数日後、息子から一本の電話があった。「母さん、手紙読んだ。ちょっと急すぎない?」その声に、私は静かに答えた。「あなたは、私の気持ちを聞こうとしたことある?」電話の向こうで、息子は黙った。「理沙さんが言っていたの。『バーバはATMだって』。その言葉、忘れられないの。私を何だと思ってるのかしら」しばらく沈黙が続いた。「ごめん。俺、何も知らなかった」「あなたが知らなかったことも、知ろうとしなかったことも、もういいの。ただ、私はもう耐えないと決めたのよ」 その言葉を伝えた時、不思議なほど心が軽くなった。ようやく、私は自分の声を取り戻した気がした。 手紙を出してから、私は思い切ってスマホの連絡先を整理した。理沙の連絡先も、LINEの送受信履歴も、全て削除した。もう、自分に嘘をついて生きるのはやめよう。そう決めた矢先のことだった。近所のスーパーで、ばったり古い知り合いに再会した。真弓さん。かつて公民館で一緒に朗読ボランティアをしていた女性だ。「みえさん、久しぶり。最近見かけなかったから、心配してたのよ」真弓さんは笑顔で話しかけてくれた。「あのね、今度、子ども食堂のスタッフが足りなくて。みえさん、前に読み聞かせしてたじゃない。また一緒にやらない?」私は驚いた。もう、誰かに必要とされることなんてないと思っていたから。「私なんかで、大丈夫かしら?」「何言ってるの? あなたの声、子どもたち好きだったわよ。『あのおばあちゃん、また呼んで』って言ってたの、覚えてない?」思わず笑ってしまった。そうだった。私は確かに、誰かの役に立てていた。誰かの心に、何かを届けることができていた。 その夜、私は古いファイルを開いた。朗読に使っていた本の台本、イベント写真、子どもたちからの手紙。「おばあちゃん、大好き」「また来てね」震える指で一枚一枚めくるたびに、胸が熱くなった。「まだ、終わってなんかないわ」そう声に出した時、自分でも驚いた。 翌週、私は子ども食堂のミーティングに参加した。そこで出会ったのが、リーダーの栞さんという若い女性だった。「みえさんの活動、すごく興味あります。今後、読み聞かせイベントの企画もあるので、ぜひ一緒にやっていただけたら嬉しいです」栞さんは、まっすぐな目で私を見た。私のことを、ATMではなく人として見てくれる人がいる。そう感じた。 活動を始めてから、家に閉じこもる時間が減った。朝は早起きし、献立の買い出しに同行し、子どもたちと話す。何気ない毎日が、私の心を少しずつ癒していった。ある日、子ども食堂で小さな女の子が言った。「おばあちゃんって、ニコニコしてて、あったかい」私は思わず涙ぐんでしまった。孫に直接会ったことはない。でも、誰かの心に触れることはできる。もしかしたら、私は自分の家族にこだわりすぎていたのかもしれない。血の繋がりだけが愛の証明ではない。過去に築いた繋がりが、今の私を支えてくれている。 そして、私はもう一度、自分の人生を始める準備が整ってきたのだ。 … Read more