姉さん、結婚式は半年後にやるって言ってたわよね。
ええ、そうですね。今は準備の真っただ中って感じです。
そうなのね。決めることがたくさんあって大変そうね。
ほんとにもう、こんなに決めなきゃいけないことがあるのかってくらいで。
式はもちろん大事だけど、仕事の方もきちんと頑張ってもらわないと困るわよ。
仕事、ですか?
そうよ。あなた、サトシと同じで代理店で働いてるんでしょ。
はい、そうですけど。私、女であっても仕事はちゃんと頑張らないとダメだと思ってるんです。昔みたいに女は家庭に入れ、なんて言われる時代じゃないし、女だってしっかりとしたキャリアを積まないと。
まあ、立派な心がけね。
うちの息子はね、しっかりと大手で働いてるのよ。
それに比べてあなたはどう?全然たいしたことない会社で働いてるじゃない。
そんな言い方はやめてください。どんな会社で働いてるかで人を決めるなんて、間違ってますよ。
だって本当のことじゃない。あなた、大手企業に入れなかったから、そんな中小企業で働いてるんでしょ?
……なんで、どうしてそういう言い方になるんですか。
別にひどいことを言ってるつもりはないのよ。ただ、現実から目をそらさずに、サトシの妻にふさわしい結果を残しなさいって言ってるだけ。せっかくうちの家系に入るんだから、恥ずかしくないようにしてもらわないとね。
私は私の会社に満足してますし、成果だって、言われなくてもちゃんと残し続けてます。
ふん、どうだか。
いいですか、これからは仕事で手を抜くことだけは絶対に許しませんからね。私がちゃんとチェックしてあげますから。
そんなものは会社がやってくれてるので、結構です。
――何ですって?
式の準備もありますし、もうこれで失礼しますね。
待ちなさい、まだ話は終わってないわよ。
ああ、もう。今日はどうしてこんなにまとまらないんだろう。
いったい、なんなのよ、あの義母は。
あの日は我慢できたけど、今日みたいに言われると、確かに腹が立ってくる。よし、サトシに話してみよう。何とかしてくれるかもしれない。
――その日の夜。
サトシ、ちょっと聞いてくれる?
なんだよ。こっちは仕事中だって言ってるだろう。
式のことなら、決めるべきことは全部決めたわよ。あとは最終確認だけ。
だったらいいだろ。俺はこれから大事な書類をまとめないといけないんだ。式のことは全部お前に任せてあるんだから、いちいち聞いてこないでくれよ。
分かってる。式の話をしに来たんじゃないの。
じゃあ、何の用だよ。
今日ね、お母さんに言われたの。私が働いてる会社が、あなたと釣り合わないって。
はあ?
それでね、サトシの妻にふさわしい結果を残せって。仕事で成果を出せって命令されたのよ。
ああ、そう。
普通、ないと思わない? 結婚したら仕事をやめろって言われるのは聞いたことあるけど、逆にちゃんと結果を残せって言われるなんて、意味が分からないわよ。
まあ、母さんは俺のことを心配して言ってるんだろう。
心配? あれが心配だって言うの? ただの嫌がらせよ。あの人、昔から世間体をすごく気にするタイプでしょ。自分の息子の嫁が大したことない会社にいたら、恥ずかしいって思ってるのよ。
そんなことないだろ。
あるわよ。私はちゃんと仕事もしてるし、前よりも結果も出してる。なのに、それを否定されたみたいな気分よ。
だったら、そう言えばいいだろ。
言ったわよ。でも、全然聞く耳持たないんだもん。ねえ、あなたからお母さんに言ってくれない? 私を敵だと思ってるのは間違いだって、説明してよ。
いやだな。俺はそういう面倒なことには関わりたくないんだよ。
何よ、それ。
だって、お前が母さんを怒らせたんだろ。
怒らせた? 私、何もしてないわよ。
してるだろ。前、同居の話を断った時に、母さんはずっと気にしてたんだ。
それが理由? 私、最初から同居はしないって言ってたじゃない。それはお互いに納得した上でのことよ。
そうだけど、やっぱり母さんはしてほしかったんだと思うよ。
なのに、お前がはっきり断ったから、悔しがってるんだろう。正直、お前の言い方も冷たかったぞ。
は? 私はちゃんと理由を言って断ったわよ。変に期待を持たせたくないから、はっきり言っただけよ。
それに、同居が前提なんだったら、私だって結婚は考え直したかもしれないわよ。
おい、それは言い過ぎだろ。
本当のことよ。私、家ではちゃんと仕事がしたいの。家に人がいると集中できないから、できるだけ家の中には人が少ない方がいいの。それは最初に説明したはずよ。
分かってるけどさ。
だったら、あなたからも言ってよ。私ばかりが悪者みたいじゃない。
もういいだろ。今日は遅いし、そろそろ寝よう。
――サトシ。
ああ、もう。なんでそうなんだよ。お前はいつも俺に押し付けてくるんだな。
何よ。
俺はな、お前と母さんの争いごとに首を突っ込むつもりはないんだよ。そういうのは自分たちで解決してくれ。
それって、妻の私に立場がないってこと?
そういう意味じゃない。ただ、俺は中立でいたいんだ。
だから、味方になってよって言ってるの。
甘えてくるなよ。俺はどっちの味方でもないんだからな。
――ちっ、何なのよ、あいつは。
しばらくして、部屋のスマホが震えた。
……はい。
あ、あかねか? 元気にしてるか?
何よ、兄貴か。突然どうしたの?
いや、別に用がなくてもいいだろ。兄貴として、妹のことが心配になっただけだよ。
あの前、実家で会ったばかりじゃん。
それはそうなんだけどよ。……実はさ、ちょっとお願いがあって連絡したんだ。
お願い? 珍しいね。何?
その、式のことなんだけどさ。
うん。
俺の友達に話したらさ、みんなが俺たちも行きたい、盛り上げたいって言ってくれてるんだよ。
え、ちょっと待って。あの中学からの仲いい人たちのこと?
そうそう。俺たちの仲間内だよ。
みんな、俺たちの晴れ姿をどうしても見届けたいんだってよ。
ああ、うーん。
あかねも知ってるだろ? みんな、お前のことを妹みたいに可愛がってくれてたじゃないか。せっかくだから、その恩返しもしたいって言ってるんだ。
ありがたいけど、式はちょっとなあ。
マジかよ。
ごめんね。せっかくの申し出なのに。
そうだ! だったら、式は無理でも、別に食事会を開こうよ。私も久しぶりにみんなに会いたいしさ。
まあ、それならいいけど。
ただし、お兄ちゃんの仲間内だけの食事会ね。結婚式みたいに大人数じゃなくて、こぢんまりとやりたいから。
分かったよ。それで、その時はご祝儀とかは――
さすがにそれはいいから。お互いに気を使わなくて済むように、お返しもなしでいこうよ。
おいおい、そうは言っても、あいつらが納得するかどうか。
いざとなったら、お兄ちゃんがきつく言ってくれればいいでしょ。
まあ、そうするか。
とにかく、式には呼ばないってことでよろしくね。
分かったよ。じゃあ、俺からみんなに言っとくわ。
お願い。
――そして、1週間後の結婚式当日。
披露宴も無事に終わり、ホッとしたのも束の間、新しい家で2人きりになった瞬間、サトシはスマホをいじりながら言い放った。
なあ、あかね。俺、今日はこれから仕事だから。
は? 何言ってるの? 今、式が終わったばかりでしょ。
それがさ、急に大きな仕事の話が舞い込んできてさ。確認したいことがあるんだよ。
ちょっと待ってよ。今日はさすがに仕事に行くのはやめなよ。
うるさいな。分かってるだろ。仕事ができるやつは、こういう時こそ結果を残すんだよ。
でも、せっかくの結婚式だったんだから、私と2人でお祝いしようよ。
祝いならもう十分しただろ。それに、俺はお前と違って、家に仕事を持ち込むタイプじゃないんだよ。どうしても外でやらないといけないことがあるんだ。
分かったわよ。
――その日から数日後。
ピーンポーン。
はーい、どちら様ですか。
インターフォン越しに会ったのは、舅と姑だった。
あら、お母さんたち? どうしたんですか?
ええ、ちょっと言いたいことがあってね。
上がらせてもらうわよ。
――居間に通すと、姑は座るなり口を開いた。
あのね、あかねさん。あなた、サトシに何を言ったの?
何って、別に何も言ってないですけど。
嘘をおっしゃい。サトシが、あれからずっと家に帰ってこないのよ。あなたの顔を見たくないって言ってるの。
何言ってるんですか、私が何をしたって言うんです?
知らないわよ、そんなの。でも、あの子がここまで怒るなんて、何かしたからに決まってるでしょう。
だったら、サトシに聞いてください。私は何もしてませんから。
――その言葉を聞いたとたん、姑は立ち上がった。
あなたね、自分の立場が分かってないんじゃない? うちの家柄に嫁いできたくせに、その態度は何?
家柄? 何を時代の古いことを言ってるんですか。
(言い争いになってしまった。どうでもいいけど、サトシはどうしてどこに行ったの?)
――嫌な予感がして、サトシの実家に電話をかけた。
もしもし、サトシ? 私よ。今どこにいるの?
……ああ、あかねか。
ちょっと、あんた、何勝手にいなくなるのよ。お義母さんが家に来て怒ってるんだけど。
悪いな。俺、もうお前とはやっていけないわ。
は? どういうことよ、それ。
そのままの意味だよ。俺な、お前のこと、前々から冷たいと思ってたんだよ。
何言い出すの? 急に。
仕事の話をしても、全然分かってくれないし、家具の配置とか、俺が気に入らないところを全部、俺に決めさせようとするし。
それは、2人の家だから、あなたの意見も聞きたいと思って……
もういいよ。俺、出てくから。離婚してほしい。
――サトシ、それ本気で言ってるの?
本気だよ。サインは書いたから、後はあかねが役所に出してくれ。
ちょっと待ってよ! 今、何て言ったの?
頼むよ。俺のことはもういいからさ。お前も新しい人生を歩めよ。
――ツーツーツー。
サトシ! サトシ!
もう、どうしてよ!
あの日から、サトシは一切連絡を無視している。
――それから数日後。
ピンポーン。
今度は誰?
玄関を開けると、そこには見知らぬ若い女性が立っていた。
あの……どちら様ですか?
あ、あかねさんでいますか? 私、サトシさんの……後輩の山本と申します。
はい。
あの、今、お時間よろしいですか? ちょっとお話ししたいことがあるんです。
何でしょう。
ここだとあれなんで、近くの喫茶店とかでいいですか?
――少し迷ったけど、私はその女性の後について喫茶店に入った。
改めて、私、サトシさんとお付き合いしている山本彩花と申します。
え?
サトシさんから、全部聞いてます。私、ずっと前からサトシさんのことが好きだったんです。でも、サトシさんには今、婚約者がいるって言うから、身を引こうと思ってました。
はあ。
でも、今回、結婚がダメになったって聞いて、もう隠さなくてもいいかなって思ったんです。私、サトシさんのことを支えたいんです。
ちょっと待って。あなた、今、何て言ったの? 結婚がダメになったって言った?
……サトシさん、全部、あかねさんに言ったと思ってました。
――私はその場で、すべてを悟った。
サトシは、私に何も言わずに、私と別れるつもりだったんだ。
それに、私だけでなく、おそらくこの後輩の女の子までも、自分の都合よく使っていたんだ。
――ここまで来ると、何かが可笑しくて笑えてきた。
ああ、そういうことか。あいつ、私と別れるために、いろいろ理由を探してたんだな。
それで、彩花さん。あなたは何で私に会いに来たんですか?
それは……サトシさんの本当の気持ちを伝えたかったからです。
本当の気持ち?
サトシさん、今でもあかねさんのことが好きなんだって言ってましたよ。
は? 何言ってるんですか、それ。
本当なんです。聞いてください。
――彩花さんが話してくれたことは、私が知らないことばかりだった。
サトシは、私が姑に冷たくされたことを気にして、私のために怒ってくれていたらしい。
でも、自分が黙っていれば、時間が経てば母も分かってくれるだろうと思って、何も言わずにいたんだそうだ。
ところが、それが逆にこじれてしまった。
あの日の夜、私に「冷たい」と言われたサトシは、ふと昔のことを思い出したの。
実は、私には付き合っている人がいたんだって。
でも、自分と結婚するために、その人と別れてくれたって。
その話を聞いて、俺はこの人と結婚してもいいと思った。
妻は、俺のために何かを犠牲にできる人であることが大事だと思ってたんだ。
でも、あなたは違った。
――ああ、そういうこと。
私、結婚するにあたって、仕事を辞めるつもりはなかった。
それは、あなたも同じでしょ? あなたも私に仕事を辞めてほしくなかったはずよ。
それが、サトシの中で何か違うと感じたんだ。
そういうこと。
――それから数日して、再びサトシから連絡があった。
「会って話したいことがある。今からそっちに行く。」
――私はただ、「分かった」とだけ返した。
――再会した2人。 サトシが口を開いた。
改めて、言わせてほしい。俺たち、やっぱり離婚しよう。
もう決めたのか。
ああ。
――私はしばらく黙って、サトシの顔を見つめていた。
分かった。私もそれでいいと思う。
……本当にいいのか?
うん。多分、そういう選択もありだと思う。
――私は自分でも驚くほど、心は落ち着いていた。
サトシとの結婚で、私は大切なことに気づいたかもしれない。
それは、私は私の人生を生きていくってことだ。
誰かにとって都合のいい女になる必要はない。
同時に、サトシのために何かを犠牲にする必要もない。
私の幸せは、私が決める。
――そう思ったら、なんだか肩の荷が下りた。
それから数週間後。私は荷物をまとめて、家を出た。
慰謝料や慰留はもらわなかった。
――私たちは、綺麗に別れることができた。
ああ、すっきりした。
これで、私は自分の人生を歩ける。
――そう思ったとき、アパートのポストに見覚えのない封筒が1通、入っていた。
送り主は「サトシ」。
中には手紙が1枚。
「元気か。先日は色々とありがとう。
初めての育児で大変だろう。
もし、よかったら会ってほしい。話したいことがあるんだ。
連絡を待ってる。」
――私は手紙を握りしめた。
あいつは今、何を思って手紙を書いてきたの?
まあ、いいわ。
――1時間後。私は喫茶店にいた。
そこにサトシが現れた。
やっぱり来てくれたんだ。
うん。久しぶりだね。
――穏やかな再会だった。
こんなふうに家を出る前のようにはいかないんだね。
そうだな。
2人並んでコーヒーを飲みながら、サトシは重い口を開いた。
あの後な、母さんから聞いたんだ。仕事を辞めたらどうかって。
何かあったの?
いや、あの日もな、仕事を取るために、実は大手のライバル会社と戦ってたんだ。
それで、まあ、そのまま倒れちゃってさ。しばらく入院するって言われたんだよ。
そんなことになってたの?
ああ。お前がいなくなって、俺も冷静になれたよ。
母さんもな、言い過ぎたって反省してる。
そのうち、お前にも謝りたいって言ってたよ。
――私は何も言えなかった。
それで改めてな、言いたいことがあるんだ。
何?
結婚してほしい。
もう一回、やり直したいんだ。
――予想外の言葉に、私はまた何も言えずにいた。
もう、二度と仕事のせいでお前を悲しませるようなことはしない。
俺が、もっと早くちゃんと話をすればよかったんだ。
なあ、俺の妻になってくれないか。
前みたいに、結婚してほしい。
……サトシ。
最後まで、ちゃんと私の話を聞いてくれる?
ああ。
――私はゆっくりと、逆の質問を投げかけた。
ねえ、あなた、私の何がよかったの? 私、ずっと思ってたんだ。
何で、こんな私と結婚しようと思ったの?
それは……
私、仕事もできるし、家事も料理も、あなたのためにちゃんとしてきたつもりよ。
でも、あなたは私のこと、何にも見てなかったじゃない。
そんなことない。
じゃあ、何? 私のどこを見てたの?
あんたが、俺のそばで笑ってくれれば、それでいいんだ。俺には、それで十分だったんだよ。
――あまりにも真っ直ぐな言葉に、私は胸が締め付けられた。
サトシ……
――私の涙を見て、サトシはそっと微笑んだ。
だから、もう一度、俺の嫁さんになってくれないか。
――しばらく時間が経って、私は口を開いた。
嫌だよ。
え?
私、あなたとは結婚できない。
――サトシは驚いた顔をした。
どうしてだよ。
だって仕方ないじゃん。
私はね、あんたの都合のいい女にはならないって決めたんだよ。
それに、私にはね、今、気になる人がいるんだよ。
――そう言って、私は立ち上がった。サトシが何か言いかけたけど、私は背を向けた。
あの時の言葉、忘れてなかったから。
「妻は、俺のために何かを犠牲にできる人であることが大事なんだ」
私、やっぱり自分の人生を犠牲にするのは嫌だもん。
さようなら、サトシ。
――私は一歩を踏み出した。
後ろから、ため息にも似たサトシの声が聞こえた。
ああ、そうだな。
俺も……もう、お前を縛ることはやめるよ。
――声はしなかったけど、私は小さく頷いた。
カランカラン。
喫茶店のドアを開けて、外に出る。
――なんだか、今日はいつもより空が青く見えた。
これで良かったんだ。
私は私の人生を歩いていく。
――そう決めた。
