「失礼ですが、どちら様でしょうか」と電話に出た瞬間、相手は弟の婚約者の父親だった。うちの父だ、と低い声。初めて話すのに、なぜ私の番号を知っているのかと聞けば、娘から聞いたと言う。来週の顔合わせで連絡先を交換できたらと思っていました、そう伝えると、彼は冷たく言い放った。「顔合わせをするかどうかは、俺の質問に答えてからだ」。そして高校中退だと答えた瞬間、電話の向こうで「ありえん。これは大変なこと…

「失礼ですが、どちら様でしょうか」と電話に出た瞬間、相手は弟の婚約者の父親だった。うちの父だ、と低い声。初めて話すのに、なぜ私の番号を知っているのかと聞けば、娘から聞いたと言う。来週の顔合わせで連絡先を交換できたらと思っていました、そう伝えると、彼は冷たく言い放った。「顔合わせをするかどうかは、俺の質問に答えてからだ」。そして高校中退だと答えた瞬間、電話の向こうで「ありえん。これは大変なこと...

失礼ですが、どちら様でしょうか。

とみの父だ。

ああ、弟の婚約者のお父様でいらっしゃいますか。ゆやがいつもお世話になっております。ただ、まだ一度もお目にかかったことがないのに、どうして連絡先をご存じなのでしょうか。

娘からお前の連絡先を聞いた。

こちらからご挨拣すべきところを、申し訳ありません。来週の顔合わせの時にでも、連絡先を交換できたらと思っておりました。

顔合わせをするかどうかは、俺の質問に答えてからだ。

学歴のことでございましたら、高校中退です。

中卒か。入った高校の偏差値は。

ええと、いくつだったでしょうか。五十以下だったとは思いますが。

ありえん。これは大変なことになった。

何がでしょうか。

弟さんは立派な医者だというのに、血のつながった姉が中卒だと。

弟は本当に努力しましたから。

親はいないんだろう。

はい。私が中学三年生の時に、両親とも事故で亡くなりました。

遺はどうやって行かせたんだ。

親の保険金と、私が働いたお金です。幸い国立大学に行ってくれましたので、なんとかやっていけました。

なるほどな。随分と学歴のことを気になさっているご様子ですが、弟は優秀です。何の心配もいらないかと思います。

アホには分からんだろうが、人間には覚醒遺伝というものがある。

私でもそのくらいは存じ上げております。

お前の能が孫に遺伝したら、どう責任を取るんだ。

はい。

お前みたいなのが姉で、医者の弟の子供にアホの遺伝子が混ざったら、責任が取れるのかと聞いているんだ。

最初から随分と失礼な物言いですが、さすがにお前呼ばわりはないのではないでしょうか。まだお会いしたこともないのに、あまりにも失礼すぎます。

俺よりもずっと年下だろう。何が悪い。

私はゆやの親代わりですから、若いのは仕方ありません。

お前みたいなのが姉だと、弟の結婚にケチをつけられて困るんだよ。

私はゆやさんの学歴を基準に結婚するなんて言ってません。弟は自分で道を選びました。

世間知らずだから仕方ないんだ。お前みたいなのがそばにいる限り、あいつはまともな判断ができんのだ。

言っておきますが、私の両親は二人とも高卒ですよ。何が言いたいんですか。

何も成し遂げてないお前が偉そうに語るな。

弟は自分で努力して医者になりました。血筋だけでここまで来たわけじゃない。あなたがそんなふうに学歴だけで人を判断するから、ゆやさんまで不幸になるんです。

こんなことで大事な娘の結婚を反対するつもりですか。

医者の家柄はいい。問題はお前だ。

私たちは姉弟です。そこを問題視されても、どうしようもありません。

クソが。親族全員の学歴調査でもする気か。

全員が高学歴な家族なんて、そうそういませんよ。探せばいるでしょうが。

当たり前のことを言いますが、人の価値は学歴では測れないと思います。

いや、それが全てだ。

では、お父様の最終学歴はどちらですか。

聞けば腰を抜かすような大学だ。

それはどこかと聞いているんですが。

お前に言っても分かるわけがない。

弟の結婚を私たちが邪魔する権利はありません。来月ハワイで式を挙げます。どうか温かく見守っていただけませんか。

娘が不幸になるのを黙って見ていろと言うのか。

これ以上の話し合いは無駄のようです。失礼します。

絶対に娘の幸せの邪魔をするなよ。

こちらのセリフです。弟の幸せを壊すようなことは、どうかおやめください。

数日後。姉ちゃん、結婚式の準備、順調だよ。楽しみにしてて。

ああ、すごく楽しみにしてる。ハワイ式なんて最高じゃないか。

俺の方こそ楽しみにしてるよ。約束しただろ、姉ちゃんが立派な医者になったら、一番高い場所で式を挙げるって。

あんたが医者になって、結婚までするなんて、本当に親心ってやつだわ。

やめろって、泣きそうになるだろ。

姉ちゃんのおかげでここまでやってこれたんだ。ありがとう。

だから、やめろって言ってるだろ。急にそんなこと言うから。

言っただけじゃん。俺が言いたかっただけだよ。

あんたがちゃんと育ってくれて、私こそ感謝してる。親代わりなんて、うまくできたか分からないけど。

できてたよ。十分すぎるくらい。

そう言ってくれると嬉しいわ。式まであと少しだね。体に気をつけて、無理はしないようにね。

ああ、仕事も充実してるし、毎日幸せだから余裕だよ。

そっか、ならいいけど。式楽しみにしてるからね。私は一番高いドレス着ていくから。

あはは、楽しみにしてるよ。

その日、私は式場の準備で忙しくしていた。花嫁であるゆやさんも、弟も、みんな幸せそうで、私まで嬉しくなっていた。あの日の父親の言葉がよぎることもあったけれど、弟が選んだ相手だ。きっと大丈夫だと思っていた。

式の前日、ホテルの部屋に一本の電話が入った。弟からだった。

「姉ちゃん、ちょっと話があるんだけど。」

嫌な予感がした。何かを悟ったような声だった。

「どうしたの。式の準備は終わったの。」

「ああ、それは大丈夫。それより、明日のことなんだけどさ。」

「うん。」

「母さんと父さんの写真、ハワイに持ってきてくれないか。やっぱり二人にも見てもらいたいんだ。」

私は少し驚いて、そして優しく微笑んだ。

「いいわよ。あんたらしいわね。ちゃんと持っていくわ。」

「ありがとう。あと、姉ちゃん。」

「何。」

「明日、隣に立ってくれよ。ずっとそうするって決めてたんだ。」

あの日の父親の言葉が、ふと頭をよぎった。

「お前みたいなのが隣にいたら、形が悪いんだよ。」

その言葉を思い出して、私は少しだけ唇を噲んだ。でも、弟の言葉は確かに嬉しかった。

「もちろんよ。あんたの結婚式だもの。泣かせてよ、私。」

「泣かせてやるよ。必ず。」

その夜、私は母と父の写真を鞄にしまいながら、長い間泣いた。そして朝が来た。

ハワイの式場は、抜けるような青空の下にあった。白い砂浜に、色とりどりの花が飾られている。ゲストの姿はまばらで、でも知っている顔がいくつもあった。私が緊張しながら立っていると、後ろから声がかかった。

「姉ちゃん。」

振り返ると、スーツに身を包んだ弟がいた。少し照れくさそうに、でもしっかりとした足取りで近づいてくる。

「緊張してる?」

「そりゃあね。まさか自分が花嫁の姉として立つことになるなんて思わなかったよ。」

「だろ。でも、俺が決めたんだ。姉ちゃんに立ってほしいって。」

「あんたねえ、あんなこと言われたら、泣いちゃうでしょ。」

「泣けばいいだろ。今日くらい。」

ゆやさんの姿も見えた。隣で控えているその顔は、とても幸せそうだった。でも、彼女には見えていないのだろうか。彼女の両親の姿が、どこにもないことに。

「ゆやさんのご両親は、今日は来てないのか。」

「ああ、ちょっと体調が悪いんだってさ。代わりにって、伝言預かってるよ。『楽しんでこい』だって。」

嘘だと思った。あんなに学歴を気にして、あんなに親しくない私を嫌っていた男が、簡単に娘の結婚を許すはずがない。何か企んでいるに違いない。

「そう。体調が悪いなら仕方ないわね。ゆやさんには勿体ないけど、二人で支え合って幸せになるのよ。」

「当たり前だろ。」

式が始まった。私は弟の隣に立ち、両親の写真を胸に抱えた。ヴェール越しに、ゆやさんが近づいてくる。その顔は涙で濡れていた。

「姉ちゃん、ありがとう。来てくれて。」

「当たり前でしょ。弟の晴れ舞台だもの。」

式が滞りなく進んでいく。私が埵に目をやると、遠くのパラソルの影に、こちらを見ている人影があった。目を疑った。あの日、私を「お前」と呼び、学歴を罵倒した男が、パラソルの影からじっと私と弟を見つめている。その隣には、彼の妻と思しき女性も立っている。

「おい、あれ。」

弟に小声で言うと、彼は視線を送った。一瞬、複雑な表情を浮かべたが、すぐに私に向き直った。

「見なかったことにしよう。今日は俺たちの日だろ。」

「でも。」

「いいから。あっちが来たくないって言ったんだったら、それでいいんだよ。後で俺から話すから。」

私はもう一度、遠くの人影を見つめた。彼は動かずにこちらを見ている。ゆやさんの父親は、何度も何度も反対していた。なのに、どうしてわざわざ来ているのだろう。何かを企んでいるのだとしたら、それは……。

「姉ちゃん、式が続くよ。」

弟の声で、私は我に返った。そうだ、今日は弟の結婚式だ。何があっても、この時間を台無しにはしない。

式は無事に終わり、皆が忙しく移動を始める。私はあの人影がまだそこにいるか確かめようと、目を凝らした。だが、もうパラソルの影には誰もいなかった。

「姉ちゃん、写真撮るぞ。来てくれ。」

「うん、今行く。」

その後、披露宴の途中で、私はゆやさんの姿を探した。彼女は友人と思われる人たちと楽しそうに話している。やはり彼女の両親の姿はない。

何が彼女をそうさせたのだろう。本当に体調が悪いだけなのか。それとも、あの男が何かを言ったのか。彼女が不幸になるくらいなら、私は弟を選んだ。そのつもりもないし、どちらを選ぶかなんて悩むまでもない。

披露宴も後半に入った頃、ゆやさんが私のところにやってきた。

「姉さん、今日は来てくれてありがとうございます。」

「もちろん来るよ。ゆやさんのおかげで、弟は本当に幸せそうだ。」

「そんなことないですよ。私こそ、いつも助けてもらってて。」

「ゆやさん。」私は笑った。「あんたの言う通りだ。弟の言う通り、今日は本当に幸せな日だよ。」

「ところで、これ、お祝いです。」

そう言って、ゆやさんは小さな包みを私に差し出した。開けると、美しい真珠のネックレスが入っていた。

「こんなの、どうしたの。」

「実は、父からなんです。『あの日、言いすぎた。悔しいけど、あいつを産んでくれた親に感謝してる』って。預かってきたんです。」

私は言葉を失った。あの日、あれだけ学歴を罵り、「式には来るな」「車にでも引かれてこい」とまで言った男が、いったい何を今更……。

「父は、来月には帰国するって言ってました。だから、その時にまた会ってやってほしいって。今度こそうまくやりたいって。」

「ゆやさん。ありがとう。でも、私でいいのかしら。」

「もちろんです。私たち家族でしょ。」

その言葉を聞いて、私の中の何かがほどけていくような気がした。ずっと重くのしかかっていた鉄の扉が、ようやく開いた気がした。

「そうだ、伝えておかないと。」

そう言って、ゆやさんはスマホを取り出した。それに気づいた弟が、慌てて私たちのところに駆けてくる。

「おい、何話してるんだよ。」

「内緒よ。姉さんと二人だけの秘密。」

「はあ? 俺にも言えないのかよ。」

「当たり前でしょ。姉さんがね、私のために高いドレス着るって言ってくれたんだよ。」

「え、姉ちゃん、俺にはそんなこと言ってくれなかったのに。」

「うるさいな。早くこっち来て、写真撮るわよ。」

その日の写真は、いつもよりずっと自然で、全員が笑っていた。あれから数年後、ゆやさんの両親と私は、ゆっくりと時間をかけて分かり合っていった。あの日、あの場所で、私は確かに家族を得た。血のつながりよりも、もっと大事なものを。

あの日のことを思い出して、私はそっとネックレスを触った。もう、あの人のことを恨んだりしない。だって、今ここに、私の帰る場所があるのだから。

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