「この家、出てってくれないか」。父の葬儀が終わった三日後、俺はリビングで母にそう言った。母は台所で茶を沸かす手を止め、ゆっくりと振り返った。二十八歳の俺は、妻の美咲とこの家を継ぐつもりだった。「はあ?今何て言った?」母の声は低かった。「息子だからって何よ。この三十年、誰がこの家を支えてきたと思ってるの?」俺は笑い飛ばした。どうせ母は何か言い返してくるだけだと。でも母は静かに言った。「いいわ。…

「この家、出てってくれないか」。父の葬儀が終わった三日後、俺はリビングで母にそう言った。母は台所で茶を沸かす手を止め、ゆっくりと振り返った。二十八歳の俺は、妻の美咲とこの家を継ぐつもりだった。「はあ?今何て言った?」母の声は低かった。「息子だからって何よ。この三十年、誰がこの家を支えてきたと思ってるの?」俺は笑い飛ばした。どうせ母は何か言い返してくるだけだと。でも母は静かに言った。「いいわ。...

嫁の美咲がリビングに立ったまま、俺はソファに座って背筋を伸ばした。テーブルの上には使い古された湯飲みが二つ並んでいる。母は台所で茶を沸かしているふりをして、こちらの様子を窺っていた。三日前に父が死んで、通夜も葬儀も終わった。やっと本題を切り出せる。

「母さん、ちょっと話がある」

「何よ、改まって。急に」

「この家、出てってくれないか」

母の手が止まった。湯飲みを持つ指がわずかに震えている。いや、気のせいかもしれない。母はゆっくりと振り返り、俺を見た。

「はあ?今何て言った?」

「だから、出て行ってほしいんだ。俺たち夫婦でこの家を継ぐから」

「匠、あんた、自分が何言ってるか分かってるのか?」

「分かってるよ。父ちゃんが死んだんだから、この家は俺のものだろ」

母は湯飲みを置き、ゆっくりとこちらに歩いてくる。台所とリビングの間の引き戸のところで足を止めた。

「息子だからって何よ。28年間、誰がこの家を支えてきたと思ってるの?」

「それは…母さんだけど」

「だけどじゃないでしょ。結婚して三年でしょ。その三年間、ずっと誰が養ってたと思ってるの?家賃も払ってない。光熱費も払ってない。食費も、全部私でしょ」

「世話にはなったけどさ」

「世話にはなった。ただで養ってもらってただけのくせに。そう言ってるのよ」

「養うって言い方やめろよ」

「じゃあ何て言えばいいの?28歳の既婚者が、親の脛を齧ってたって言うの?」

「きついよ、母さん」

「事実でしょ。とにかく、この家は私の家よ。あんたのものになった覚えは一度もない」

俺は立ち上がった。話を先に進めないと、いつまでも水掛け論になる。わざと落ち着いた声を出した。

「だから、俺たち夫婦の家にするから、母さんは出て行ってくれる?三日以内に」

母が小さく笑った。笑い事じゃないのに、その笑い方には呆れが混じっていた。

「三日以内?何を寝ぼけたこと言ってるの?」

「寝ぼけてない。もう決めたことだ」

「この家、誰が買ったと思ってるの?」

「父ちゃんだろ」

「違うよ」

「え?」

「違うよ。三十年前、私の給料とボーナス、全額使って買ったんだよ。あんたの父さんじゃない。私が不動産会社の営業部に勤めてたから、安く手に入ったんだ」

嘘だと思った。聞いていない。物心ついたときから、この家は父のものだと思って育ってきた。父はこの家の大黒柱で、母はそれを支える細君で。

「そんな…」

「嘘じゃないよ。あんたの就職だって、私がコネを使ったの忘れた?友達の夫が人事部の部長だったから、無理言って面接の口利きを頼んだんだよ」

「それは…」

「忙しいからって、私に任せたんでしょ。都合の悪いことは全部忘れるんだね。あんた、本当に薄情な人間になったわね」

「母さん、俺は今、そんな話をしようとしてるんじゃない」

「じゃあ何の話をしようとしてるの?あんたが私を追い出そうとしてる、その理由の話?」

「父ちゃんの遺産が出なかったのは言っただろ。全部医療費に消えたって。だったら、この家だけが唯一の財産なんだよ」

「はあ?遺産?あんた、あの遺産の話を本気で信じてるの?」

「だって、母さん…」

「遺産がどうのこうの言う前に、この家は私が買った家よ。あんたに何の権利もないんだから」

「でも、父ちゃんのためにも…」

「父ちゃんのため?父ちゃんが死んだのをいいことに、母親を追い出すっていうのが、あんたの親孝行のつもり?」

「母さん、言い方ってものがあるだろ」

「言い方はあんたの方よ。私はね、あんたのことを自分の命よりも大事に思って育ててきたんだよ。あんたが高校のときに熱を出したときも、仕事を休んで看病したでしょ。あんたが就職に失敗して家に引きこもったときも、何も言わずにご飯を出し続けてきたでしょ。あんたが結婚するときに、相手の家に頭を下げて回ったのも、私よ」

「それは…だから、そういう話は今いいって言ってるんだ」

「そういう話はいい?じゃあ、あんたにとって何の話ならいいの?私の苦労は全部、無駄だったって言いたいの?」

「そうは言ってない」

「じゃあ何?どういうことよ」

「俺が悪いって言ってるんじゃない。ただ、今の生活を立て直すためには、この家が必要なんだ」

「あんたの生活?美咲さんと二人で住む新しい生活ってこと?」

「そうだよ。美咲の両親も来ることに決まってるんだ」

「は?」

「美咲の両親がこっちに来て、俺たちと一緒に住むんだ。もう向こうは準備してる」

「ちょっと待って。勝手に話を進めたの?」

「美咲の家の方が援助してくれるんだ。生活費も面倒も見てくれるって。母さんよりずっと頼りになる」

部屋の空気が凍りついた。母は口を開けたまま、しばらく固まっていた。まばたきもせずに、ただじっと俺を見ている。その視線が痛いくらい鋭い。

「…はい?」

「だから、援助してくれるんだよ。美咲の両親が」

「あんた、今、何て言った?」

「何って…」

「私より、あんたの妻の両親の方が頼りになるって言ったの?」

「そういう意味じゃ…」

「とっちゃん、今確かにそう言ったわよ。言ったんでしょ、自分の口で」

立ち上がった美咲が、ソファの背もたれに手をかけて話に割って入ってきた。襟足で切りそろえた髪が、無表情に揺れる。うちに来たばかりの頃は、こんな目をする女じゃなかったのに。

「美咲、今は…」

「今って何よ。私も聞き捨てならないんだけど。お義母さん、私の両親の悪口を言われたとなれば、私だって黴ってないわよ」

母は美咲を見て、冷たい笑みを浮かべた。

「あら、あなたもそっち側なの」

「そっち側って何ですか」

「息子だけじゃ足りなくなって、嫁まで出てくるんだものね」

「はあ?」

「言ったでしょ。この家は私の家だって。あんたたちに、どうこう言われる筋合いはないの」

「お義母さんの家?あの爺ちゃんの葬式代も出してもらったくせに」

「美咲、やめろよ」

「何で戻んのよ。事実でしょ」

私は睨みつけた。いつの間に、こんな風になったんだ。確かに、結婚式のときから、母の金銭感覚には不満があった。五百万円もの結婚式代を嫁の両親に出させるなんて、普通はあり得ない。でも、それで二人が幸せになるならいいと思った。思ってたんだ。

「あんた、本当に自分が何言ってるのか分かってるの?この三十年間、あんたのためにどれだけ我慢してきたと思ってるの?お父さんの介護のために仕事辞めたのはあんたのため…」

「またそういう話ばっかり。自分のやったことは全部、あたしのため。何様のつもり?」

「美咲、もういい!今日は帰ろう」

「何言ってるのよ。話はまだ終わってないでしょ」

「もういいの!とにかく、お義母さんに出て行ってもらう話を…」

「誰が出て行くですって?」

俺が食い下がると、母が静かに言った。その声は、さっきまでと違って、妙に落ち着いていた。

「いいわ。三日で出ていく。あんたたちの好きにしなさい」

「本当かよ」

「ええ。ただし、一つだけ言わせてもらうわ」

「何だよ」

「自分で言った言葉には、責任を持ちなさい。あんたが今言ったこと、全部覚えておきなさいよ」

お母さん、どこかで聞きましたか?俺は高を括っていた。どうせまた何か言い返してくるだけだろうと、高を括っていた。でも、その日は違った。

三日後、母は言われた通り、荷物をまとめて家を出て行った。仏壇の置き場所も、もうない。押し入れも、床の間も、全部新しい家具で埋め尽くされた。美咲の両親が持ってきた高級家具が、ピカピカの木目をキラキラと反射させている。

「お義母さんの古い家具、全部処分して正解だったわね。古臭くて、とてもじゃないけど、客の通れる部屋じゃなかったわ」

「もういいよ、美咲。さすがに言い過ぎだ」

「何でよ。あんた、古い家具を捨てて喜んでるくせに」

「それは…」

言い返せなかった。母が出て行ったのが、まだ数時間前だからだ。顔を合わせるのは三日前が最後だった。俺は自分の口で、「この家は俺たち夫婦の家だ」と言った。その責任を取るためには、母に出て行ってもらうしかなかったんだ。そう言い聞かせた。

一週間後、美咲の両親がやってきた。義父は小柄な紳士で、どこか見覚えのある顔をしていた。どこで会っただろう。そう考えながら玄関で出迎えると、義父は挨拶もそこそこに、早速リビングへと上がっていった。

「やあ、素敵な家だねえ。でも、なんだか古い匂いがするね」

「もう処分したわよ、和室の畳も全部。フローリングに張り替えたから」

「ほら、美咲ちゃんのセンスが光ってるねえ。匠くん、気に入ってるかい?」

「はい、まあ」

義父はリビングをぐるりと見渡し、窓から遠くを見た。その横顔に、ふと見覚えのあるものを感じた。

「そういえば、お義父さんにお会いするのは初めてですよね。どこかで会ったことありましたっけ?」

「さあ?どうかな。私はどちらかと言うと、家にこもっているタイプだからね。美咲を妊娠した頃は、本当に買い物にも出られなかったほどで」

美咲の妊娠?初耳だった。振り返って美咲の顔を見ると、彼女はスルスルと窓辺に歩いていって、カーテンレールに指を絡めた。

「そうなんだよ。私が慎重派だからさ、母子とも普通に出産できるかひやひやしてたんだ。医者からも、高齢だったから無理は禁物って言われてたし」

「はあ…」

義父は言葉を切って、こちらに振り返った。背広のポケットから、古びた封筒を取り出す。

「そうだ。これをね、ずっと預かっていたんだが」

「何ですか?」

「中身は、三十年分の領収書だよ」

「領収書?」

封を開けると、中からは束になった書類と、何枚かの金券がずっしりと出てきた。そして、その上に載った一通の手紙。差出人は母の名前だった。

「匠へ。読んでほしい。母より」

義父が言った。

「君のお母さんから、『もしものことがあったら妻に渡してほしい』って預かっていたんだ。認知症の初期だって言われて、貯金が手つかずになってしまうからって」

認知症の初期。その言葉が、まるで別の言語みたいに聞こえた。

「どういうことです…お義父さん、母は何て」

「とりあえず読んでみたまえ」

手紙を開くと、ばきばきに乾燥した便箋が折りたたまれていた。淡々とした筆跡だった。

「匠へ。これから始めるお前への手紙のことを、母はやっぱり書きます。この手紙を読んでいる時、お前の健康を祈っています。美咲さんと結婚して、幸せな日々を送っていることでしょう。知っての通り、秋が来て、私の頭は広がった布が水に濡れるように、ゆっくりとぼやけていっている。父が死んで、その悲しみで倒れたとき、病院でもらった薬がある。認知症の初期と診断されたのよ。ただ、私はこれがこれで悪くなかった。ずっともやもやの正体が、やっとわかったような気がして」

「これは…?」

「よく読んで。」

便箋をめくる。

「長い長い日々の合間に、私は一晩中泣いていた。『どうしてお前に何もしてやれなかったんだろう』と思いながら。

そんなの無理もないわ。だって、あの日から貴方の顔を一度も見ていないんですもの。認知症の初期で、感情の起伏が激しくなって、私、貴方にひどい言葉をたくさんぶつけてしまった。何が『もっと強くなれ』よ。何が『自分で考えろ』よ。一番強い人間になるべきなのは、私の方だったのに」

意味がわからなかった。これは確かに母の字だ。でも、これはまるで、何か大切なことを言い忘れてしまったような。

「おばあちゃんは、式の準備の間に、旦那さんの認知症が始まったんだよ。だからあの時、式をあげたんだ。後で奇跡って言ってたんだ」

義父が見知らぬ声援をくれる。

「一体、何の話を…?」

「続きを読んで。文庫本を変わりに使った方がいいかもしれない」と、美咲が小声で言った。

その時、玄関のベルが鳴った。だれだろう。義父が立ち上がって、出そうとした。俺は手に持った手紙を読みかけのまま、無意識のうちに玄関へと足を向けていた。

ドアを開けると、そこには見覚えのある老人が立っていた。母の隣に住む、田中のおじいさんだ。

「おう、匠くん。久しぶりだのう。で、あんたの母さんに渡してほしい物があるんじゃが」

「母なら、もうこちらにはいません」

「何を言うとる。今、玄関で座っとるじゃろうが。さっき裏口から入ってくるのが見えたが」

背中が凍りついた。俺は振り返った。和室のふすまが、ふにゃりと開いている。聞こえなかった。確かに、人の気配はしなかった。でも、おじいさんは続ける。

「ほれ、これはあんたの母さんに。ん?何だ。その手に持っとるのは、まさか母さんの手紙か」

「ど、どうしてそれを?」

「おお。そうか、見つかったか。実はの、あの家はな、私が二十年前に手放した家なんじゃ。あんたの父さんの代に借金がかさんでの。で、あんたの母さんが、昔の葬式代使って買い戻したんじゃ」

「葬式代?」

「ああ。あんたの父さんの葬式は、無事済んだじゃろう。で、家を、どうしても嫁に出したくないと言っての。『この家は私のものです。手離すわけにはいきません』って、ずいぶんわめいておった。結局、ちゃんと支払いを済ませて、今に至る。」

手に持った手紙が、紙が擦れる音を立てる。俺はもう一度、便箋に目をやった。さっきまで、何が何だか分からなかった。でも、今は分かった。

「匠くん、よく聞くんじゃ。あの手紙は、『嫁に出さん』と言っておる、母からの手紙じゃよ。あんたが小さい頃に死んだ実の母方の祖母さんが、『その家が受け継いだ土地が全部、将来のあんたたちの支えになると言い残した。だから、この家は亡き母から引き継いだ私のものだ。お前にはやらん』って書いとる。確認したか?登記簿を」

「登記簿?」

「そうやって顔に書いておるな。見ておらんのか。今すぐ見てみろ。あんたの母さんが、どんな思いであんたのために家を守ってきたのか。その大切な家を、あんたが手放そうとしておる。『母さんが出て行く』、『三日で出て行く』、言ったそなたもそなた、母ちゃんも母ちゃんじゃよ。ようやく隠居できると思った矢先に、じゃじゃ嫁がいらうとるが」

義父が玄関にやってきて、ポツリと言った。

「お義母さんが、いなくなった本当のわけが分かったかい?」

手紙の最後の一文を読む。

「お前が受け継ぐべき土地がある。あんたの父さんが死んでから、私はずっと悩んでいた。でも、もう迷わない。手紙を書けると分かったのも、新しく風呂を建ててもらったということもあり、やはり、この家を失いたくない。私がまとめた土地の権利書一式を、和室の天井裏に隠してある。匠、これを見つけてくれ。父の形見として、お前に受け継いでほしい。『死んだ人間の家に、そう簡単に入られるか。出て行くのはお前や、と』書いてある私の気持ちを、どうか許してほしい」

手紙が、ひらりと畳に舞い落ちた。見上げた天井裏の端に、桐の箱が半分見えている。今のこの家の主は、俺ではない。母だ。

「そんな…ずっと気づかなかった」

振り返ると、玄関から裏口の方が微かに開いていた。誰かが入ってきた後のように、カーテンが風で揺れている。美咲が呆然とした顔で立っていた。義父は手を合わせて、何やらお経を唱えている。

「美咲。あの…母さんは」

「出て行ったわよ。言う通りにね。もう二度と、帰ってこないって」

「何で止めなかったんだよ、本気にするから…」

「本気に?匠、お前が言ったんじゃない。『この家は俺たちの家だ。出て行け』って。自分が言った言葉を、本気にするなって言うの?」

「僕は…」

「お前は自分のことばかりだった。お母さんがずっと、この家に隠してきたものに何も気づかずに。あの手紙、ちゃんと読んだの?『この家はお前にやらん。この土地を全部、俺に相続させろと言って、もう一昨日からわめき散らかしている夫の霊を見て、母の方がおかしくなってしまった』って書いてあったわよ。違うの?というか、あの亡くなったお父さん、本当はあんたの実の親じゃないかもしれないんですって?」

「美咲!」

義父が堪えた。手紙をこちらに見せながら、しわがれた声で続ける。

「匠くん。あの手紙は、お前の母さんが死ぬ前に書き残したものだ。つまり、これは遺言状だ。あんたの母さんは、生前のうちに財産をあんたに残そうと思っていたんだ。だが、どうしてもお前が邪魔をするから、これを機に自分が介護施設に入ろうと決めた。分厚い封筒に、全部書いてある」

手紙の封筒に、確かに宛名が書いてある。『匠 くんへ』。その隣には、母の住所と、古い消印があった。差出日は、なんと五年前の日付だった。

「それが、今日まで届かなかったのは、俺が宛名を書いて送ったからだよ。昔、母さんに『もしものときはこれを息子に渡してくれ』って言われてたんだが、何を勘違いしたのか、俺が息子の名前を間違えて書いちまってね。ご同類ってもんだ」

「つまり…母は俺に、知らせるつもりがなかったんですね。ですが、死ぬ前に?」

「ああ。一年前に亡くなったよ。お前さんが、この手紙に書いてあることに気づく前に、な」

俺は、手に持った手紙を二度見した。確かに、日付は五年前。そのあと、一番下に、新しいインクでこう書かれている。

「追伸。お前がこれを読む頃には、私は死んでいるだろう。だから言う。私の家を、お前の暗い欲望で穢したことを…私は永遠に許さん。何度でも言う。この家は私のものだ。お前にはやらん。例え死んでも、お前の幸せなど、決して許さん。もしも災いが起きれば、それはお前が人を不幸にしてきた報いだ。言い訳は無用。さあ、精々力を込めて生きなさい。母より、最後の言葉を」

便箋を握りつぶした。目の前が真っ暗になった。

「そ、それが、本当だったんだ…」

気づけば、俺は玄関の土間で膝をついていた。美咲の悲鳴が、遠くで聞こえた。そのまま、息が続かなくなって、前のめりに畳に倒れ込んだ。

最期に見たのは、わずかに開いたの裏口で、母の顔があった。いや、それは着物の裾と、逆光に浮かぶ白い足袋だけだった。笑っているようにも、泣いているようにも見えた。

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