お母さん、今度の旅行の話なんですけど。そう言った瞬間、お母さんの顔がみるみる変わっていった。私が何日もかけて計画した家族旅行、行き先は温泉。なのに「地味よ」の一言で全部否定された。「あんたが考えたら意味ないでしょ。嫁でしょ。義母の考えくらい察して動きなさいよ」その言葉が胸に刺さった。私はエスパーじゃない。でも、もっと怖かったのは、その翌日、義妹のひなちゃんが「お姉さん、助けてください」と電話…

お母さん、今度の旅行の話なんですけど。そう言った瞬間、お母さんの顔がみるみる変わっていった。私が何日もかけて計画した家族旅行、行き先は温泉。なのに「地味よ」の一言で全部否定された。「あんたが考えたら意味ないでしょ。嫁でしょ。義母の考えくらい察して動きなさいよ」その言葉が胸に刺さった。私はエスパーじゃない。でも、もっと怖かったのは、その翌日、義妹のひなちゃんが「お姉さん、助けてください」と電話...

お母さん、今度の旅行の話なんですけど。

お母さん、どうしました? 私が計画した家族旅行が、何か行き先が温泉だとちょっとね。

え、ダメですか? ダメっていうか、地味よ。

地味? 私はね、もっとこう、パーッと行きたいわけよ。

はあ。パーッと、ですか?

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そうなのに、温泉なんてありきたりで普通でノーマルでしょ。

全部同じ意味では? つまり、もっと目新しい場所に行きたいのよ。

期待があるなら、そう言っていただければ私が考えますけど。

あんたが考えたら意味ないでしょ。そうですかって何よ。あんた、嫁でしょ。義母の考えくらい察して動きなさいよ。

私、エスパーじゃないんで。

ああ、ああ言えばこう言う。全く、このダメ嫁が。

お母さん、いい加減にしてくださいよ。

いい加減にって何よ? 私がわがまま言ってるって言うの? なんですって?

こういうのもなんですけど、お母さん、かなりうるさいですよ。

はあ? だって、何かあるとすぐに怒鳴るし。

声が大きいだけよ。

怒ると物を投げてくるわ。杖で叩いてくるわ。

あのね、あれはしつけよ。はい。口で言っても分からないから、犬でも嫁でも、しつけがなってないのはそちらですよね。

はあ。

そもそも、怒る理由だって曖昧ですし。少し前なんて、顔が気に食わないって怒られましたよ。

気に食わなかったんだから、しょうがないでしょ。

いつも感情一直線で、沸点が低すぎて、やってることも興奮した猿と同レベルですよ。

あんたね。言うに事欠いて、義母を猿とは何よ。そんなだから、息子の裕介にも距離を取られるんですよ。

言っていいことと悪いことがあるでしょ。

ああ、気にされてたんですね。

当たり前よ。最近は同居してるし、ひなの目も厳しくなってきたし。

やっぱり、お兄さんの嫁のひなちゃんも困ってますよ。

あの子はいいのよ。

どうしてですか? あの子は年上を敬える立派な子だわ。だって、私のことを大事にしてくれるんだから。

ひなちゃんがとにかく。

旅行先を考え直しなさい。じゃないと、あんただけ留守番させるからね。

翌日。

お姉さん、助けてください。

どうしたの? ひなちゃん、お母さんに何かされた?

そうなんですよ。あの人、勝手に私の服を着てたんです。

え、お母さんが? お気に入りのスカートが伸びちゃって最悪です。お母さんにちゃんと注意した? 行っても無駄ですよ。スカートのウエストもだるだるです。最悪だったわ。

分かった。今度、私の方から言っておくわ。

ありがとうございます。やっぱりお姉さんしか勝たん。大好き。

そう言ってくれるのは嬉しいけど、私が言っても効果があるかは分からないわよ。

ありますよ。お姉さんはお母さんに物を投げませんし。

そう、本当にかっこいいです。私、憧れちゃいます。

それはどうも。それにしても、お母さんね、どうしたんですか? いや、どうしてああなったのかなって。

どうして、お母さんは最初からあんな感じじゃないですか?

ああ、そっか。ひなちゃんは知らないのね。

何がですか? お母さん、昔はあんな人じゃなかったのよ。

え? あのお母さんが? ひなちゃんがしや君と結婚する前、それこそ3年前までは、そこまでじゃなかったの。

うわ。

そんな綺麗なお母さんとか、想像できませんでしょ。ごめんね。

なんでお姉さんが謝るんです?

ひなちゃんとしや君は、お母さんと同居してるでしょ? してますけど、それが何か? 本当なら、長男夫婦である私たちが同居するべきなのに。

そんなことありませんよ。今時、長男とか次男とか関係ないですって。

それはそうだけど、面倒を押し付けてるみたいで。

大丈夫です。お姉さんは私をかばってくれますし、しやも助かってるって言ってましたよ。

そうならいいんだけど。今度の旅行で、何か変わるのかしら? 旅行?

それって、家族旅行のことですか? ええ、あの旅行ね、実はゆ介の提案なのよ。

お兄さんの? 私たち夫婦は、お母さんとはずっと距離を取ってきたけど、お母さんももういい年でしょ。

ですね。

クソババーですからね。

言い方悪いわよ。

ごめんなさい。

とはいえ、ずっとこのままってわけにもいかない。だから、仲直りの機会になればってね。

へえ。お姉さんも、お兄さんも優しいんですね。

そんなんじゃないわよ。本当は昔、いいお母さんだったから。口は今と大して変わりなかったけどね。

できるといいですね、仲直り。

ありがとう。でも、まずは旅行先の変更からね。

へえ? 私、温泉行きたかったんですけど、お気に召さなかったみたいだから。他に候補があれば、ひなちゃんも提案してね。

はい。考えときますね。

数日後。

許せないわ、あの女。

お母さん、どうしたんですか?

今日はお姉さんの家に行ってたんですよね。

この間、あんたの服を借りたでしょ? ええ、貸しましたね。

それを、あんたに無断で使ったって言われたの。

え? 私はちゃんと貸したって言いましたよ。

やっぱり、またけい子さんが私を悪者にしてたのよ。

うわ、お姉さん、最低ですね。

しかも、ひなちゃんが迷惑してるからって。これからは相手のことも考えてください、とか言われたわ。

そんな。私はお母さんと仲良くやってるのに。

ねえ、こっちが何を言っても聞く耳持たないのよ。

ああ、そういうとこありますよね。自分が正しいって顔してますし。

嘘までついて、私に注意して。何様のつもりよ。

お姉さん、お母さんの愚痴ばっかりですから。私が否定しても聞いてくれないんです。

ひなさん、やっぱり本物の嫁はあんただけね。

お母さんが悪い人じゃないって知ってますから。

それに比べて、あのダメ嫁と来た。数年前まであんなのと仲良くしてたなんて、鳥肌が立つわ。

お姉さんは裏表が激しいんで、私も最初は騙されました。いい人っぽい顔して、実は腹黒ですよね。

本当にそう。これ、ここだけの話なんですけど、今度の旅行もかなり怪しいんですよ。

旅行が怪しいって、どういうこと? 温泉旅行が嫌って、お母さん行ったじゃないですか。

行ったわね。

そしたら、それにすごく怒ってて、お母さんのホテルだけ別に取ってるんです。

はあ、私だけ仲間外れにしようってこと?

そうなんですよ。しかも安いビジネスホテル。お姉さんたちは、かなりいいホテル取るみたいですよ。お兄さんとお姉さんだけ、1泊3万円のとこ。

はあ。そんなの許せないわ。

ですよね。ホテルがこれなら、旅行自体怪しいですし。

ひなさん、教えてくれてありがとう。あっちがその気なら、私にも考えがあるわ。

どうするんですか? ボイコットよ。あんな女が計画した旅行なんて、行きません。

おお、それいいですね。じゃあ、私も行かないことにします。

いいわね。みんなでドタキャンしてやりましょう。

はい。いい機会だから、あのしつけのなってないダメ嫁を教育よ。人をバカにしたらどうなるか、思い知らせてやる。

旅行当日。

お母さん、今どこですか? ……言ってるじゃない。お母さんには言っても聞かないと思ってたんですけど。

何よ。

今回の旅行は、関係改善が目的だったんです。

私と、あんたの? そうです。裕介も、距離ができてますし。

しや君だって、その手には乗らないわよ。

どの手ですか?

……ちょっと待ちなさいよ。嘘って、何? 何って、全部ですけど。

全部? ……あんた、誰に向かって? ……へ?

お母さん、今なんて? だから、全部嘘だって言ったの。今回の旅行、最初っから行く気なんてなかったんだよ。お母さんとひなちゃんを嵌めるために、私は旅行を計画したんだ。

は? そう。お母さんがひなちゃんにひどいこと言ったって聞いたからさ。だから、お返ししてやろうと思って。旅行を餌に、二人を仲違いさせようとしたんだ。

何言って……。あんた、何言ってるの? お母さん、ひなちゃんが全部教えてくれたよ。お母さんが私の悪口を言ってたって。旅行の準備がどうとか、ホテルがどうとか。

違うわ!

あの子が嘘をついてるのよ! ひなちゃんは嘘なんかつかない。お母さんこそ、ひなちゃんにひどいこと言ったんじゃないの? お前、私の味方するのか? あの女のことを!

お母さん、俺はね、もう沢山なんだよ。お母さんがいつも文句ばっかり言うから、家にいたくなくなったんだ。仕事から帰っても、お母さんがいると思うと、憂鬱で仕方なかった。

裕介……

お母さんは、自分が悪いって思ったことあるの? ひなちゃんがどれだけお母さんのこと、気遣ってるか分かってる? ……ひなちゃんは、あんたのことを、いいお母さんだって言ってたわよ。昔は、優しかったんだろうなって。

……ひなちゃんが、そんなこと。

ああ、言ってたよ。お母さんが変わっちゃったのは、きっと寂しいからだろうなって。だから、旅行で何とかしようって、俺に相談してきたのは、ひなちゃんの方なんだ。

嘘だ……。

本当のことだよ。ひなちゃんは、お母さんと仲直りしたいんだ。なのに、お母さんはひなちゃんのことも、俺のことも、信じようとしない。

お母さん、俺さ、もう無理だよ。

何が? お母さんと、家族と、もう上手くやっていく自信がない。だから、俺は……。

何を言うつもり?

……別に。もう、何も言わないよ。今日の旅行は、中止にしよう。こんな気持ちで行っても、楽しくないだろ。

お前、まさか、私を見捨てる気か? お母さん……。俺は、お母さんを見捨てたりしないよ。でも、俺たち、一度、離れて暮らした方がいいと思う。

何を馬鹿なことを! 私は絶対に反対よ! お母さん、これは、お母さんのためでもあるんだ。

何が、私のためだ!

私は、息子に捨てられるような、そんな母親じゃない! お母さん……。俺が、悪かったよ。こんな言い方しかできなくて。

裕介……。

もう、やめよう。今日のところは、帰ろう。ひなちゃんも、駅で待ってる。

……ひなちゃんも、来てるの? ああ。迎えに行くって約束したから。

……そう。

お母さん、荷物、持つよ。

……いいわよ。自分で持てるから。

お母さん、怒ってる? ……怒ってないわよ。ちょっと、疲れただけ。

……そう。

二人は無言のまま、家に向かって歩き出した。お母さんは、ゆっくりと後ろを歩く息子の姿を見て、昔、この子がまだ小さかった頃のことを思い出していた。あの頃は、何でも素直に話せたのに。いつから、こんなに遠い存在になってしまったんだろう。

家に着くと、ひなが玄関で待っていた。

お帰りなさい。あれ?

お母さんは? ……母さんなら、自分の家に帰ったよ。

え? 今日、泊まるんじゃなかったの? ……ひなちゃん、ごめん。俺、やっぱり、お母さんと上手くやっていく自信がないや。

何言ってるの!

お姉さんと約束したじゃん、ちゃんとお母さんと話し合うって! ……ごめん。やっぱり、無理だった。

お姉さん、何かあったの? ……母さんが、ひなちゃんの悪口を言ったんだ。俺の前で。

え? 母さん、ずっと、ひなちゃんのことを、嫌ってたんだな。だから、俺も、あの家にはいられなかった。

お姉さん……。

……ひなちゃんは、偉いね。母さんのこと、かばってくれたんだってな。

お母さんが、寂しがってるのが分かったから。お姉さんがいなくなって、お母さん、ずっと寂しそうだったよ。

……俺も、寂しいよ。

お姉さん、泣いてるの?

……泣いてないよ。

嘘。声が震えてるよ。

……ひなちゃんは、優しいね。母さんに似たのかな。

……お姉さん、ごめんね。私が、もっと上手くできてたら。

……ひなちゃんのせいじゃないよ。全部、俺が悪いんだ。

その夜、ひなは、眠れずにいた。隣では、裕介が寝息を立てている。昼間の出来事を思い出していた。お母さんのあの悲しそうな顔。裕介の震える声。ひなは、思わず涙が溢れそうになるのをこらえた。

翌朝、ひなの携帯に、一本の電話が入った。母からだった。

もしもし、お母さん? ああ、ひなちゃんか。……あの後、裕介から聞いたよ。

……そうですか。

……ひなちゃん、あの日は、悪かったな。お前の言う通りだったよ。私が、意地を張ってた。

お母さん……。

……なあ、ひなちゃん。一つ、聞いてもいいか? 何ですか? ……お前は、まだ、私と家族でいられるか?

ひなは、しばらくの間、黙っていた。そして、ゆっくりと口を開いた。

……当たり前ですよ。お母さんですから。

……そうか。ありがとう。

お母さんの声は、いつもよりずっと小さくて、少し震えていた。ひなは、それだけで、お母さんが本当に謝りたいんだって分かった。

……お母さん、また、みんなで旅行に行きましょう。今度は、温泉じゃなくて、お母さんの行きたいところでいいですから。

……うん。そうだな。

その日から、母は、少しずつだけど、変わり始めた。ひなに嫌味を言うこともなくなったし、怒鳴ることも少なくなった。裕介も、そんな母の変化に気づいているのか、少しずつ家に帰ってくるようになった。

そして、三ヶ月後。家族四人で、海に行くことになった。母の提案だった。

「たまには、こういうのもいいわね」と、母は穏やかな顔で言った。

ひなは、父の運転する車の後部座席で、母と並んで座っていた。窓の外には、どこまでも青い空と海が広がっている。

「お母さん、寒くないですか? 」とひなが聞くと、

「大丈夫よ。ひなちゃんこそ、風邪ひかないようにね」と、母は優しく笑った。

その笑顔を見て、ひなは、やっぱりこの人と家族でよかったと思った。道は、まだまだ続く。でも、もう、迷うことはない。この人の隣にいれば、大丈夫だと思えたから。

車は、青い海へと続く道を、ゆっくりと走っていく。