ある普通の夕方、私は両親に会いに行くことを決めた。夫の病状を伝えるためだ。しかし、義母から返ってきたのはこういう言葉だった。「はあ?いきなり何よ。そんな急に言われて『はい、どうぞ』なんてならないでしょ。こっちはあんたたちと違って貧乏暇なしで働いてるんだからね」夫が膵臓癌で余命わずかだと伝えても、彼女の反応は冷淡だった。「あんたの事情なんて知らない。あんなバカの面倒を見る気はないわ」私は信じら…
お母さん、お話したいことがあります。お時間を作っていただけませんか。すぐに伺います。 「はあ?いきなり何よ。そんな急に言われて『はい、どうぞ』なんてならないでしょ。こっちはあんたたちと違って貧乏暇なしで働いてるんだからね」 定年退職されたと聞きましたが。 「定年退職はしたわよ。でも年金だけじゃ将来が不安だからね。働かないといけないのよ。夫も私も別のところで働いてるの」 必要なら支援させてもらいますが。 「馬鹿にしないで。私たちを見下してるの?」 そんなつもりはありません。ただ、少しでも力になれればと思っただけで。 「たまたま仕事で金を手にしただけのくせに偉そうにするんじゃない。少なくともあんたにそんな顔をされる筋合いはないのよ」 不快に思わせたなら申し訳ありません。 「こっちはこっちで好きにさせてもらうから」 お母さん、弘樹と仲直りをしてください。お母さんと弘樹の間に色々あったのは知っています。でも今はそんなことを言っている場合じゃないんです。 「何よ、それ」 夫がずっと体調が悪いと言うので病院に行ったんです。そしたら膵臓癌だと判明して。 「膵臓ですって」 お医者さんが言うには、かなり進行しているそうです。放射線治療などである程度進行を遅らせることはできるようですが、もう完治は難しいと言われました。つまり、もうあまり長くないということです。 「あの子が……」 お母さん、お願いです。これからはお互いのわだかまりなんてなくして、夫と親子として昔のように触れ合ってください。夫に一つでも心残りを持ってほしくないんです。 「ちょっと考えとくわ」 お母さん、考える時間なんてないんですよ。 「うるさい。あんたは出しゃばってくるな。これは家族の問題よ。私があいつにどれだけ裏切られたと思ってるの?そのことを今更なかったことになんてできないのよ」 どうしてそこまで? 「あんたにどうこう言われる筋合いじゃないわ」 弘樹はもう長くないと言ってるんです。 「だから何よ。どうするかはこっちが決めるわ。病気を盾に攻めてこないで。こっちの気持ちを無理やり曲げさせようとしないで」 お願いします。きっとお母さんなら賢明な判断をしてくれると思っています。 「はあ、あんたに言われる筋合いじゃないわ」 それから十分後、今度は夫の父親のもとを訪れた。 「おお、久しぶりだね。どうかしたのか」 お母さんから話は聞いてないですか? 「話?」 お父さん、弘樹が膵臓癌になりました。そして、もう長くないと言われています。 「なんだって……」 それで、お二人に弘樹のお見舞いに来てもらいたいんです。色々あったのは分かりますが、お願いできますか? 「私は個人的には弘樹に何の怒りもないんだよ」 喧嘩しているのはお母さんと弘樹だったんですよね。 「そうだな。私はできるだけ間に入るようにしていた。そんな時に弘樹は君と結婚をしてね。それで私が弘樹の味方をしてしまうと、あの人は一人ぼっちになってしまう。それは避けないといけないと思ってたんだ」 ずっとお母さんのために一緒になって距離を取っていたということですね。 「夫婦としてあいつの味方ではいてあげたいと思ってたんだ。君がそばにいてくれれば弘樹は大丈夫だろうと思ってたからな」 今までお気遣いありがとうございます。ですが、今後はお母さんを説得する方向でお願いできますか?弘樹はもう人生の準備をしないといけないので。 「君も大変だね」 まだ現実感がないんです。だからこういうことができてるんだと思います。お願いします。弘樹のために動いてください。 「分かった。なんとかやってみる」 うちのマンションのカードキーを送らせていただきます。これを使えばいつでもうちに入ることができますから。オートロックの暗証番号も送ります。 「ああ、分かった。なんとかしてみるよ」 一週間後、今度は弘樹の友人だという男が訪ねてきた。 「お久しぶりです。覚えてらっしゃいますか?木島明彦です。弘樹とは学生時代からの友人で、何度か食事にも行ったことがあるんですけど」 はい、覚えていますよ。 「突然すみません。弘樹から連絡先を教えてもらいました。病気についても聞かされましたよ」 そうでしたか。 「まさかあいつがこんなことになるなんて。本当に神様なんていないんだなって分かりました。誰よりも仕事を頑張って、誰に対しても優しく接していた夫に、こんな仕打ちをするなんて」 そうですよね。 「すみません。愚痴を聞かせてしまって。それで、どうかされましたか?」 実は弘樹から、これからのことについて色々と相談を受けたんです。 「相談?」 俺は司法書士をしていますので、権利関係のことを任せたいと言ってくれたんです。まあ、昔からの付き合いだから信頼してると言ってくれてね。 … Read more