「競馬で十万負けた。迎えに来い。金もない」——仕事中の真奈美のスマホに、夫・拓司からまたいつもの連絡が入った。毎日毎日、仕事もせずギャンブルばかり。「いい加減にしてよ」と限界を訴える私に、夫は「うるせえな」と吐き捨てた。リストラされたのは気の毒だと思った。でも、そこで腐らずに頑張ってほしかった。それなのに夫は、ハルトの貯金箱からお金を盗み、友達の親にまで金を借りていた。ある日、息子がぽつりと…

「競馬で十万負けた。迎えに来い。金もない」 真奈美のスマホに、夫の拓司からそんな連絡が入ったのは、いつものことだった。仕事中だというのに、毎日毎日、仕事もせずにギャンブルばかり。我慢の限界だった。 「いい加減にしてよ。毎日毎日、仕事もせずにギャンブルばっかり」 「うるせえな。いっつも負けてばかりじゃないか」 「センスないんだからやめなさいよ」 「大穴を当てて楽させてやるからさ」 「何を夢みたいなこと言ってるの?ハルトは今度、中学に入るのよ」 「だからなんだ。義務教育だから金はかからんだろう」 「制服やなんやかんやで十万近くかかるでしょ」 「よし、その金をよこせ。俺が五倍にしてやる」 「もうやだ。このやり取り、疲れた」 「仕方ないだろ。仕事が見つからないんだから」 真奈美は思った。リストラに遭ったのは気の毒だと思う。でも、そこで腐らずに頑張ってほしかった。 「お前が悪いんだ。お前の『内の子』ってやつが足りないからリストラされたんだよ」 「私のせいにする前に、やることがあるでしょ。仕事探しはしてるの?」 「してるよ」 「どこが。毎日、昼間から飲んだくれて、競馬、競艇、競輪。私も限界なの」 「だったら出ていけ」 「そうする」 「はあ?なんでだよ」 「あなたが出ていけって言ったんでしょ」 「離婚するってことか?」 「それしかない。一年耐えたけど、もう無理。ハルトには父親が必要でしょ」 「今のあなたを見て、ハルトが父親を尊敬すると思う?まともならねえわ」 「一年無職だっただけじゃないか。俺はやればできる男なんだ」 「じゃあ、やりなさいよ」 「お、やってやるよ」 「じゃあ、結果が出たら連絡して」 「お前、俺のことを待ってられないのか?ハルトの気持ちはいいのか?」 「あの子に聞くまでもないわ」 「そんなのわからないだろう」 「あの子の貯金箱からお金を盗んだくせに、子供から慕われるなんて、よく思えるわね」 「あれは俺が返したけど、あの子、すごくショック受けてた。実の親が泥棒だなんて、どんな思いだったか」 「いつか返す予定だったんだよ」 「そうやって『いつか』『いつか』って言ってるうちに、年を取って、誰もいなくなるわ。じゃあ、俺はどうしたらいいんだ?」 「選択は一つ。酒とギャンブルをやめて、真面目に働くことね」 「頼むよ。見捨てないでくれ」 真奈美は答えなかった。 数分後、彼女はハルトの部屋をノックした。 「急に悪いんだけど、今日からおばあちゃんちに行くから、修学旅行で使ったバッグに、服をまとめておいてくれる?」 ハルトはうなずいた。「うん、分かった」 「後で話そうと思ったんだけど……お父さんと、別々に暮らそうと思ってるの」 「離婚するってこと?」 「うーん、そうなるかな。驚いたよね。ごめん」 「なんでもっと早くしなかったの?」 「え?」 「お父さんが仕事をやめてから、お母さんが笑わなくなったの。すごく嫌だった。離婚すればいいのにって、ずっと思ってたよ」 真奈美は言葉を失った。「そうだったんだ」 「でも、子供がそういうことを言わない方がいいかなと思って、黙ってたけど」 「大人びたことを言うようになったわね」 「もう中学生だし、友達の親も結構離婚してるし」 「そっか」 「少しずつ大人になってるもんね」 「おばあちゃんちに住むなら、中学校は別のところになる。春からこっちの友達と離れるのが嫌だろうから、新しく部屋を借りるよ。おばあちゃんちに行くのは、少しの間だけ」 「いや、引っ越したい」 … Read more

17 September 2026

「お母さんたち、明日から私と夫と一緒に暮らすわよ」——元夫の母親が電話口で高らかにそう宣言したのは、ごく普通の火曜日の夜だった。正直、最初は何の冗談かと思った。彼女は私が年収一億を超えるコスメ会社の社長で、タワマンの最上階に一人で住んでいることも、元夫の達也が半年前に会社を追い出されて無職になっていることも知らない。それどころか、私が達也に養われているダメ嫁だと思い込んでいる。「F大卒の低学…

はるかさん、明日から私と夫は息子と一緒に暮らすわ。そう言って電話口で高らかに宣言したのは、元夫・達也の母親だった。はあ、そうですか。お母さんたちは物好きですね。うちの旦那が部屋を開けておけって言うもんだから。部屋はまあ、開いてると思いますよ。何その反応?そう言われましても、達也とクラスって本気ですか?本気も本気よ。実は前々から思ってたのよね。思ってた?同居ですか?息子の稼ぎでいい生活してるあんたが許せないって。え、あ、そっちですか?というか私が達也の稼ぎでいい暮らしをさせてもらってるんでしょ。私知ってるんだからね。知ってるとは、達也がよく愚痴ってたわ。あんたは稼ぎも低いくせに家のこともしないダメ嫁だって。うー、そうなんですね。そうなんです。それにね、お父さんの同僚の山田さんが早期退職するんだって。それはおめでとうございます。おめでたくないわよ。なんかすみません。息子夫婦と同居するんですって。それで?そう、達也はちゃんと有名大学卒で大企業勤めのエリート。山田さんとこの息子よりも顔も稼ぎも上よ。顔は関係ないんじゃないですか。あそこの息子夫婦にできるなら達也にもできる。お父さんも最近は年で仕事が辛いって言ってたしね。だといいですね。ん?あれ、ってことは達也は知ってたんですか?同居のこと?当然でしょ。三ヶ月前に伝えて承諾もらってるわ。三ヶ月前?ああ。ふーん。そういうこと。何?何の納得それ?こっちの話です。てか私は何も聞いてませんよ。F大卒の低学歴嫁に伝えるわけないでしょう。学歴って関係あります?達也に養われてるだけの嫁に言う必要ないってこと。相変わらずの学歴至上主義ですね、痛み入ります。ってことで明日から私と夫も暮らす。息子の家だし当然よね。それは別にお好きにどうぞ。ところでお母さん、虫とか平気ですか?は?虫だけど。なら虫除けスプレーは忘れずに。タワマンの最上階でしょ。虫なんて入ってこないわよ。ああ、というか住所知ってます?知ってるわよ。引っ越し祝いで行ったことあるじゃない。じゃあ改めて送っておきますね。ご確認をお忘れなく。それじゃあ、いい気分で切らせてもらいます。 同日。お母さんすみません。お昼の時伝え忘れたことがあって。何よ、はるかさん。こっちは引っ越し作業で忙しいのよ。引っ越しですよね。細かい荷物をまとめてるの。それで伝え忘れたことって何?その前に住所確認しました?それよ、それ。はるかさん、住所間違って送ったでしょ?え、そんなはずは。だって送られた住所調べたら河川敷だったわよ。低学歴は住所もまともに読めないの?ああ、大丈夫そうですね。何がよ。それよりもキャンプ道具。はあ。キャンプ道具?何で急に。買っといた方がいいですよ、って伝え忘れてました。いやあ、うっかりうっかり。キャンプ道具ってテントとか寝袋とかよね。はい。なんで買っとく必要があるのよ。はあ。もしかして私たちとキャンプ行きたいの?いえ、お断りします。誘ってないわよ。なんで私が振られたみたいな流れなの?お母さん、住所見たんですよね。見たわよ。間違ってたけど。それ合ってます。え、合ってる?息子さんの家は河川敷です。えっと、河川敷って川の横のあれ?ついでに駅地下で公園も隣接です。いい立地で良かったですね。え、ついでに私と達也は先月離婚してます。 翌日。昨日、母さんから連絡があった。あれ?達也。まだスマホ生きてたんだ。先月の支払いだけはできたからな。てかそんなことはどうでもいいんだよ。お母さんたちと河川敷で一緒に暮らすんでしょう。お幸せに。無理に決まってんだろ。しょうがないから、お前の言ったことは嘘ってことにしたから。は、嘘なんてついてないよね。会社を首になった挙げ句、嫁に追い出されて家も失いましたなんて親に説明できるか。はい、ダウト。ダウト?何が?会社から自主退職を進められて逆切れ。俺から辞めてやったとか言ってたじゃん。自主退職は最終手段とか余裕ぶっこいてたのに、半年無職で捨てられたね。余計なこと言うなよ。言えなくても、これが事実だから。ああ、そうそう。お母さんが言ってたよ。私があなたに養われてたって。それはまあ、当たらずも遠からずだろう。生活費を出してくれたことなんて一度もないのに。いや、一回くらいは出したことあるだろう。ないよね、一回も。あと、私が家事もしてないって。じゃあ誰がしてたの?あなた?俺だって、火事くらいはしたことないね。一回も。いや、ゴミ出しくらい。ゴミ出しどころか、脱いだ服を洗濯機に入れたこともないね。じゃあ何だよ。俺はお前と結婚してから何もしてないって言うのか。そうだね。あ、呼吸とかはしてたと思うよ、さすがに。ガキかよ。ガキ以下でしょ。ごめんとありがとう、も言わなかったし。正直どうやって社会生活送ってるのかと思ってた。あのな、今はいいだろ。そういうのって大事なことだと思うけどね。それよりもだ。とりあえず母さんと父さんを家に置いてやってくれ。もう家を解約してるんだと。他に行く当てもないんだから、しょうがないだろう。嫌ですね。俺は出張してるとか適当にごまかしてくれ。嫌です。なんでだよ。もう他人なんで、あなたの嘘に付き合う義理もないですし。住む場所がないんだぞ。あるじゃない。あの河川敷で親子水入らずで暮らせばいい。隣に川が通ってるから、水はバシャバシャだけどね。 翌日。ちょっと、はるかさん。あなたの義理の両親が来ましたよ。開けて。ああ、お帰りください。なんでよ。ここは河川敷じゃないんで、コンシェルジュに言って警備員呼びますよ。あのね、私知ってんのよ。何をですか?あんたが言ってたことは全部嘘ってこと。達也が言ってたんだから。ああ、それ嘘なんで、お帰りください。はあ。うちの自慢の達也が嘘ついたって言うの?ついたって言ってるんで、お帰りください。お帰りくださいしか言えないのかしら。F大卒ってボキャブラリーが少ないのね。F大卒しか言えないんですか?お母さんってボキャブラリー少ないですね。達也はね、学歴優秀で大企業勤め。仕事もできるエリート。しかも顔も良くて性格もいい完璧息子なのよ。そんな少女漫画のキャラクターみたいな人は知りません。達也はうちの息子です。な、なんですって?私の知ってる達也は、プライド高くて自主退職を進められる仕事できない、学歴だけの典型みたいな人です。誰よそれ?あなたの達也ですけど。嘘言わないで。達也は今は海外出張中のはずよ。河川敷にはもう行きました。は?行くわけないでしょ。そこにいますよ。海外出張中の達也が。あの河川敷が国内じゃないとは知りませんでしたけどね。さっきから何なの?うちの達也を馬鹿にして。馬鹿にしてるんじゃなくて、事実を言ってるだけです。あんたには見る目がないのね。だからそうやって達也を悪く言えるのよ。見る目はなかったんでしょうね。何、認めるの?私にもですね。達也は最初いい人に見えたんですよ。そりゃそうでしょ。実際あんなにいい男は他にいないんだから。学歴は言うまでもないですし、自信に満ち溢れて。そうそう。自分に自信があるのは魅力的よね。加えて、驕ったところもなくて。そうなのよ。あれだけ優秀なのに謙虚なのよね。そういう風に見せてたんだなって、今は思います。そうそう。達也ったら猫を被るのが上手で。はあ。何言わせてんの?いざ結婚してみたら学歴マウントうざいし、家事もしない、生活費も入れない、ごめんもありがとうも言わないし、すぐ切れるし。そんなの大した欠点じゃないわよ。あんたを一人で養ってるんだから。聞いてました?生活費を入れてくれたこととかないんですけど。バカねえ。すぐ分かるをつくんじゃありません。達也が生活費入れないでタワマンに住めるわけないでしょ。私、これでも年収一億超えてます。小さいですが、コスメの会社を経営してるんです。F大卒のバカ女が。そもそも大企業勤めだからってタワマンは無理ですよ。達也の給料じゃ、フロントに住めるかも怪しいです。そんなの嘘よ。だって達也は能力を買われて海外出張中。年収も一億が目前に迫ってるって。まあ、私が稼ぎがないって嘘をつくと、そうなりますよね。今の生活との整合性を取ろうと、嘘を重ねたんでしょ。あの達也がそんなこと、認めたくなかったんじゃないですか。自分が私よりも下だって。プライドだけは高い人なんで。そんな、今となっては社会的立場だけじゃなくて、住む場所も物理的な立場も下になりましたけどね。 数日後。お前のせいで大変だったんだぞ。はい。なんですか、急に。お前が母さんたちを追い返して、嘘もばらしたんだってな。そうですけど。そのせいで母さんたちが河川敷に来ちまった。ボロクソに言われたわ。そうですか。大変だったんですね。だからそう言ってんだろ。あんたを育てるのにいくらかけたと思ってるんだ、って母さんが泣き出すし。親父も俺の息子はこんな負け犬じゃないって怒るし。うわあ、地獄絵図。お前が作った地獄だろ。で、その後どうしたの?とりあえず母さんたちはお前のとこで暮らすことに決まった。はあ。何言ってらっしゃるんですか?脳みそ沸騰してんの?いいだろ、別に。俺とお前は三年も夫婦だったんだ。このくらいの頼みくらい聞けよ。もう他人でしかない義両親と一緒に住むのが、このくらいの頼み?冗談やめてくれます?お前さ、金だけはあるだろ。もう一人身で使い道だってどうせないんだからさ。あ、なんか言ってたじゃん。将来子供ができた時のためにって貯金してたんだよな。そうだけど。それ、その金使って母さんたちの世話してやれよ。ついでに俺の新しい家も用意してくれ。私さ、あなたのことを誤解してたみたい。はあ?誤解?言ってることもやってることもクズだけど、三年も夫婦だったから私の地雷は踏まないって。けど、これはだめ。本当に無理。何が?なんでそんな怒ってんの?私さ、結婚前から言ってたの覚えてる?いつか子供が欲しいんだって。言ってたな。あなたも結婚前は子供欲しいなとか言ってたけど、結婚した途端に子供はいらないって言い出したよね。俺、子供嫌いだし。正直ね、子供のことは諦めがついたのよ。お互いに望んで生まれないと、子供がかわいそうだもん。なら終わった話だろ。今更になって何言い出してんだよ。あなたが会社を首になった時さ。首じゃない。俺の方から辞めてやったんだ。はいはい。そうですね。その時も再就職するって言うから待ってたのよ。嫁なんだから当然だろ。でも結果は、あの会社は元大企業勤めの俺にはふさわしくない。あの会社は優秀な俺のためにポストを用意しない。そう言って半年も無職でヘラヘラして。しょうがないだろ。俺みたいな優秀な男が務めるには大企業以外ない。クソみたいな待遇の弱小企業なんてごめんだ。そんなあなたにうんざりしても、私は我慢した。再就職が難しいなら家庭に入ってくれてもいい。稼ぎは私だけでも何とかなるからって提案もしたよね。俺に専業主婦になれってやつだろ。バカにすんなって話だわ。そんな弱者男みたいな扱い、耐えられないから。こっちは子供も諦めて、金も出さない、家事もしない、普段の言動も最低最悪。そんなあなたへの不満を全部飲み込んできたのに。あのさあ、人間関係ってそういうもんだから、不満を飲み込んで我慢するのは当たり前だろ。ならあなたも不満飲み込んで我慢しなよ。してるだろ。家が河川敷とか、不満爆発しそうだし。それは自業自得。退職金だってあったはずだよね。離婚した時に財産分与したよね。それはホテル暮らししてたらなくなったし。家から追い出したお前のせいだろう。一泊五万もするホテルに一ヶ月も泊まるからでしょ。必要経費だ。どこが。てか、無駄な貯金を使ういい機会だろう。在庫処分セールみたいな。どうせお前が子供を産むことなんて一生ないんだし。デリカシーって言葉を知らないの?それに仮に子供を産まなかったとしても、あなたの親を世話するためのお金じゃないから。人生の立て直しをして欲しいなら、ママにでも頼みなさい。 翌日。はるかさん、全部あなたの言う通りだったわ。達也に会ってきたんですってね。そうよ。なんなのあの子。あの子を育てるのに一体いくらかけたと思ってるのよ。うわあ、そのセリフ、本当に言う人がいるんだ。小学生の頃から評判のいい家庭教師を雇ってたのよ。中学だって有名私立を受験させたわ。高校大学だって有名なところを卒業させて、全部で五千万はかけたのに。ええ、何よ。さっきから無関心そうにして。そこまでしたのに、何あの子は?あんな子が息子なんて恥ずかしい。自慢の息子の達也が悲しみますよ。はるかさん、今まで本当にごめんなさい。え、急にどうしたんですか?嘘をついてたのは達也の方だったのね。それを知らずにあなたにひどいことを言って。まあ、分かっていただけたなら、それで一緒に住んでいいわよね。良くないですね。そうよね。ひどいことを言ってたのに、こんな都合のいいこと。分かってるみたいで安心しました。でもね、私たちだって辛いのよ。カウンセラーでも紹介しましょうか?親戚の家に置いてくれないかって頼んだのよ。そしたらね、私たちみたいな人を置くつもりはないって。ひどいと思わない?いや、全然。どうして?いや、あの、親戚の集まりの時に何してたか忘れました?え?何かした?親戚の方相手にマウント取りまくりでしたよね。うちの子はこんな優秀なんですけど、お宅の子はそれが何なの?ただの世間話じゃない。そこから、ああ、ごめんね。有名大学も出てない低学歴な息子さんだもんね。中小企業の一般社員じゃうちの子の相手にならないか、とか言ってましたよね。そこまで嫌みったらしくは言ってないわよ。あの時の親戚の方の顔を覚えてます。言われた人全員、絶句してましたよ。何それ?心が狭いわね。いや、あれで切れないのは仏様だけです。人間には無理なんで。でね、都合が悪いからって無視やめてくれます?お父さんの退職金も一応はあるのよ。はあ。それで家に置いてくれたら、生活費は出すわ。あのバカ息子とは違って、私たちはちゃんとするから。いや、その退職金で家でも借りたらどうですか?生活費はどうするのよ?え?はい?そこで矛盾するのやめてくれます?うちで暮らしてても生活費は払ってくれるんですよね。こ、これは嫁割引みたいなね。お気持ちを見せてくれると助かるなって。ああ、じゃあ無理ですね。お母さんたちに避けるお気持ちとかないんで。そんな、私たちこのままじゃ路頭に迷っちゃうのよ。だからって、なんでうちなんですか?もう何度も断ってますよね。いい加減にしてください。他に頼れる当てがないのよ。だとしてもですよ。散歩したら忘れちゃうんですか?鳥頭ですか?何よ。もうこっちが下手に出たら調子に乗って。勝手に下手に出て、勝手に切れないでください。怒りの沸点が低すぎて手に負えません。私たちにこんなことをして、無事で済むと思わないで。知ってます?そういうのを逆恨みって言うんです。また一つ賢くなれましたね。F大卒女よりも教養がないみたいだったんで、つい。覚えてなさいよ。絶対痛い目に合わせてやるから。 数日後。お母さん、やりましたねえ。何?何のこと?私の車ですよ。なんかもう見るに耐えないほどボコボコなんですけど。うわあ、大変ね。もしかして誰かに恨みでも買ってたんじゃない?だから、恨みを買ってそうな人に今聞いてるんですが。私?私じゃないわよ。まあでも、金持ちマウントする女社長とかねえ、なんか感じ悪いし、嫌いな人も多いんじゃない?本当に違うんですね。だから違うって。散々マウント取ってきたんだから、自業自得よ。人生でマウント取ったことなんてないんですけどね。あ、ちなみになんですが。何?うちの駐車場って監視カメラついてるんですよ。あ、監視カメラ。映ってましたよ。夜中にこそこそと駐車場に侵入して、私の車をボコボコにするお母さんとお父さんの姿。いや、いや。え、ちょっと待って。ボンネットにドアにバンパーまでボコボコ。これじゃあ廃車会になりますね。えっとね、はるかさん。はい。その、あれよ。ちょっと、あれさしたっていうか。住んでないタワマンの駐車場にばーっと自分たちで忍び込んで、それで曲がさしたっていうのは、無理では。ほら、一時の感情でうわあってね。あるでしょ。近くにあるものを投げ出したくなる気持ち。でもこれは計画的ですよね。フロントガラスもひび割れてますよ。だって、だって、はるかさんが家に置いてくれないから。そうですか。じゃあ修理費お願いしますね。へ?修理費?はい。これベンツのGクラスなんで、全部コミで一千万ちょいくらいですかね。詳細は業者に確認取りますんで。ちょっと待って。一千万以上?お父さんの退職金全部吹き飛ぶじゃない。自業自得です。何よ、何よ。金持ちだからって高級車乗り回してマウントですか?嫌な女ね。可愛げがないわ。私はでも良かったんですけどね。達也がどうしても高級車がいいって。え、あの子が?はい。選んだのは達也ですよ。せっかくなんで、今も乗ってるだけです。で、どうします?どうするって何よ。払えないからね。そんな大金。じゃあ通報ですか?通報?どこに?警察に。はあ。だめでしょ、それは。いや、だって払いたくないんですよね。だけどそれは。一応私としてはどっちでも構いません。修理費を払ってくれるなら、示談でまとめますよ。それともお世話になりますか?警察に。分かった。分かったわよ。払えばいいんでしょ?はい、よろしくお願いします。お父さんの退職金が、私たちの老後の費用が。これからどうやって生きていけばいいのよ。ああ、そういえば今って家もないんでしたっけ?そうよ。なのにお金もなくなって。家の当てがないなら、紹介しますよ。いいの?光熱費も家賃もなしですよ。そんな夢みたいな家が。お似合いだと思いますよ。河川敷。え、息子さんもお待ちなんで、ご一緒にどうぞ。今度は仲良くできるといいですね。 一週間後。よし。はるか。仕事終わった?迎えに来てるんだけど、外寒いよ。通報しました。あ、冗談やめてくれって。冗談やめてはそっちね。なんなの、ここ数日ずっとつきまとってきて。いや、俺はお前の夫として心配してるだけだから。必要ありません。てか離婚してるんだから、他人ね。キモいからやめろ。もしかして昨日のことで怒ってんのか?は?けどお前もひどいよな。タワマンの前で待ってた俺を無視なんて。あのさ、本当に気持ち悪い。いい加減にしてくれる?そう言うなって。そうそう。仕事終わりで疲れてるだろう。お茶持ってきたから。お茶?河川敷暮らしの達也がそこら辺の雑草で作ったお茶。意外とうまいぞ。それは何よりですね。あと、これが最後だから。え?何が?警告が。これ以上私に突きまとうなら、本当に通報する。なあ、頼むよ。俺がここまでやってんだぞ。復縁くらいしてくれたっていいだろ。しません。理由はキモいから。以上。あのな、俺がこんな目に会ってるのはお前のせいだぞ。は?最近じゃうちの親まで河川敷仲間だ。親子揃ってこんなとこで暮らすことになって。責任取れよ。あなたの人生の責任は、あなたが取りなさいよ。元とはいえ嫁だろ。嫁だった期間、私は十分すぎるほど責任を果たしました。これ以上求められても困ります。ふざけんな。いいのか?このまま一生俺が突きまとって、お前も困るだろう。そう。改める気はないんだ。ないね。お前が復縁するって言うまで、俺はやめない。通報しました。何回目だよ。もういいよ。ねえ、本当に。え、マジ?うちの会社の警備員もすぐに行くわ。それまで大人しく待ってなさい。いや、ごめん、冗談。今後一生お前には関わらない。あれ?あなたって人に謝罪できたんだ。そうだよ。俺が謝ってんだから、もういいだろ。だが断る。え?あなたみたいな嘘つき男の謝罪なんて信じられない。ああ、そうそう。暴れたりしないようにね。再就職先が刑務所なんて、あなたも嫌でしょ。 その後、達也は警備員に確保され、後から来た警察へと引き渡された。達也も刑務所暮らしは嫌だったのか、無抵抗のまま連行されていった。私も事情聴取のために出頭し、達也との関係やこれまでの経緯を説明した。LINEでのやり取りが証拠となり、達也には接近禁止命令が出ることに。そのまま少し経って、達也のスマホの契約も終了。私への連絡手段も失い、達也は私の人生からフェードアウトしていった。ちなみに、とある駅地下の河川敷では、親子三人のホームレスが目撃されてるんだとか。隣接された公園で遊ぶ子供相手にお菓子をねだって、警察に通報されたっていう話も小耳に挟んだが、もう私には関係のない話だ。私はといえば、今も会社の社長として日々を過ごしている。前に住んでいたタワマンは売りに出した。何でもあのタワマンの近くで不審者が出るらしい。その三人組は妖怪お菓子ーーと呼ばれてるとか。何だか怖い噂もあったので、今は離れた場所で一人暮らしをしている。達也のこともあって、すぐにとは思わないが、いつか理想の男性と結婚して子供を授かること。それが今の私の人生の夢だ。

17 September 2026

義母が玄関に立ちはだかり、私の顔を見るなり言った。「まず部屋の荷物をまとめてちょうだい」。仕事から帰ったばかりで、夕食の支度もまだだった。「え、何かありましたか」と聞き返すと、義母は「あんたと一緒に暮らすなんて、私はうんざりなの」と吐き捨てた。夫の弘樹は海外出張中。その不在を狙って、離婚して今すぐ出て行けと言うのだ。「あの子はまだ何も分かってないから」と。私は震える手で弘樹に電話した。弘樹は…

仕事から帰ってきたばかりの千景の前に、義母が立ちはだかった。夕食の話など一切出さずに、義母は言い放った。 「まず部屋の荷物をまとめてちょうだい」 「え、何かありましたか」 「もういい加減にしてもらいたいのよ。あんたと一緒に暮らすなんて、私はうんざりなの」 「どういうことですか。いきなりそんなことを言われても」 「あんた、自分の立場ってものを全く理解してないわね。あんたは弘樹のおかげでご飯が食べられてるんでしょ」 義母の口調はますます鋭くなる。弘樹は超有名大学を卒業し、大手企業で働いている。給料も高く、これからもっと出世することは間違いない。千景がその一部始終を理解していると言っても、義母は鼻で笑うばかりだった。 「感謝してるって言えば言うほど、あんたは口先だけなのよ。私の言うことを一つだって聞いたことがないじゃない」 「一つもというのは大げさですよ。この前みたいに、いきなりバラ寿司を作れって言われても、もう夕飯を作り終えた後だったら難しいですから。お断りしたこともありますけど」 「私が食べたいと言ったものすら作れないなら、あんたはこの家に必要ないわ」 「お母さんがわがまま過ぎるんです。私だって仕事をしながら家事をやっているんです。何でもかんでもできるわけないでしょう」 「そうやってすぐ口答えをする。エリートの息子の妻のくせに、図々しいのよ」 「お母さんが弘樹を誇りに思っているのは分かります。でも私だって仕事をして頑張っています。なのに、よくそんなひどい言葉を平気で言えますね」 「私は事実を言っただけよ。実際、あんたの稼ぎなんて弘樹の半分以下なんだから」 「だとしても、お母さんのわがままに全部付き合うつもりはありません。それに、弘樹からも何度も注意されてるでしょう。私の意見が聞けないなら、せめて息子の言葉には耳を貸してください」 「あの子はあんたにたぶらかされて言ってるだけよ」 「そう思っていただいて結構です」 「じゃあ、さっさとこの家から出て行きなさい。今がいい機会よ。弘樹は海外出張中なんだから、その間に離婚しなさい。今すぐ出て行きなさい」 「その話、弘樹は知らないんでしょう」 「当たり前よ。あの子はまだ何も分かってないから。でも海外で距離を取れば、あんたがいかに不必要な存在か分かるわ。あの子はもうすぐ帰ってくる。それまでにあんたの存在を消しておかないとね。だから、今のうちに離婚だけでもしておきなさい。親子だから分かるのよ。あの子の考えなんて、手に取るように分かるわ」 「申し訳ないですけど、そんなことはできません」 「また口答え」 「当たり前じゃないですか。離婚は夫婦が決めることです。あなたに指図されて決めることじゃない」 千景はその場を離れ、すぐに弘樹へ電話をかけた。弘樹は海外出張の真っ最中で、時差もあるはずなのに、すぐに出た。 「もしもし。ちょっと大変なの」 「何かあったのか。もしかして、また母さんか」 「ええ。しかも、今までとはちょっと違うの」 「何があったんだ」 「いきなり、あなたと離婚して家を出て行けって言われたの」 「はあ。マジで?」 「本当よ。ついさっき、そんなことを言われて」 「母さんが千景に対してきついのは知ってたけど、そこまでのことを言ってくるなんて、今までなかったよな」 「うん。さすがにこんなことは初めて」 「本当にごめんな。あの人は、俺に対して思い入れが強すぎるんだ」 「理解はできるのよ。弘樹は自慢の息子だもの。しかも性格だって優しいし、私だって自慢の旦那だと思ってるわ。でも、私に対してどうしてあそこまできついのか、分からないわ」 「確かに、それはひどすぎるよな。俺も何度も母さんを注意したんだけど、さすがに離婚まで要求されるのは許せないよ。しかも、俺が海外出張中ってのが、やり方として汚い。止められる人間がいない時にやろうなんて」 「どうする?」 「本気で出て行ってもいいんじゃないか。さすがにもう俺は限界だよ」 「そうね。でも、もう少しだけ様子を見るわ。ちょっとイライラしてて、八つ当たりをしてきただけかもしれないし」 「だとしても、許されることじゃないよ。俺の気持ちも無視して」 「でも、とりあえず帰って話をしてみるわ。それでも改善しなかったり、同じようなことを言ってきたりしたら、もうやっちゃっていいかもしれない」 「そうだな。そっちは千景に任せてもいいか」 「ええ。もちろんよ」 「ごめんな。俺が海外にいる時にこんなことになって」 「あなたが謝ることじゃないわ。あなたは仕事に集中していればいいの。帰ってきた時には、全部丸く収まってるからね」 「どういう形になってるかは分からないけど。ありがとう。何かあったらまた連絡してくれ」 「うん」 それから三日後。千景が家に帰ると、義母の姿がなかった。義母は友人と久しぶりに外食していると言う。呼び出して問い詰めることにした。 「お母さん、私の部屋にあったものはどうしたんですか。全部なくなってるんですけど」 「ああ、あれね。あんなゴミは全部処分したわよ」 「は? 処分?」 「そりゃそうでしょ。私は言ったはずよ。荷物をまとめてさっさと出ていきなさいってね。それなのに口答えして、いつまでも居座ったんでしょ。だから、そんなやつのものは我が家にとってはゴミなので、全部処分させてもらいました」 「ふざけないでください。あそこには私の大切な宝物もあったのに」 「あんたにとっての宝物なんて、こっちからしたらゴミ以下の価値しかないから。それで全部捨てたってわけよ。あの部屋は、なお子が住むことになったわ」 … Read more

17 September 2026

「おい、さえ、しっかりしろよ。いくらお前が忘れっぽいからって、ちゃんと住宅ローンの支払いをしろよ」——五年ぶりに元夫から電話がかかってきたのは、何気ない平日の午後だった。離婚したのにローンを払えと言われ、頭が真っ白になった。彼は「離婚したからって支払い義務が消えるわけじゃない」と当然のように言い、私が五年間一度も払っていないと伝えても、「お前が忘れてるだけだろ」の一点張り。しかも今は投資セミ…

「おい、さえ、しっかりしろよ。いくらお前が忘れっぽいからって、ちゃんと住宅ローンの支払いをしろよ。」 「は? どういうこと? 私たち、五年前に離婚したわよね?」 「離婚したからって、支払い義務が消えるわけじゃないだろう。相変わらず忘れっぽいやつだな。」 「忘れっぽいって……そもそも、この五年間、一度も払ったことなんてないわよ。」 「それは俺が、お前が払うのを待ってたんだよ。最初はうっかりかと思ったけど、お前の忘れっぽさを考えると、支払い自体を忘れてそうだなってな。」 「支払う義務なんてないと思うんだけど。」 「お前、離婚の時に書類にサインしただろ?」 「ええ、財産分与とか色々ね。あれで支払い義務が発生してるんだよ。」 「でも、離婚の時にそんな話、してなかったわよ。」 「お前が忘れてるだけだろ。今回は許すけど、忘れずにちゃんと振り込んどけよ。」 「分かったわ。一応、確認はするけど。」 「多分、あなたの勘違いよ。頭、大丈夫? 五年も払ってないのに、今更だし。」 「お前が何と言おうと、義務は義務なんだよ。分かったら、早く払えよ。」 「はいはい。お願いだから、無理矢理お金を取ろうとするのはやめてよ。」 数時間後。 「げんさん、ちょっと聞いてもいい? さっき植木の手入れをしてるのを見えたから、時間がある時にちょっと話を聞いてほしくて。」 「おや、さえちゃん、どうしたんだい? 植木の剪定ならさっき終わって、今お茶を飲んでるところだよ。だから暇でね。こんな隣のおじいちゃんでよければ、話を聞くよ。」 「そっか。それならよかった。実は元夫から、住宅ローンの支払いを催促されて。」 「ローン? そうなの? でも、この五年、一度も払ってないのになんで今更って話でしょ? 離婚の時に書類にサインした記憶はあるんだけど、それがローンの支払い義務だったかどうか、私も覚えてなくて。」 「なるほどね。確かに、いきなり支払い義務だとか、書類にサインしたからと言われると不安になるね。」 「そうなの? 私も義務なんてないと思うけど、なんかちょっと自信がなくて。」 「ねえ、さえちゃん。離婚の時の書類、まだ持ってるかい?」 「探せばあると思います。」 「よければ、知り合いに弁護士とか税理士さんもいるから、聞いてみるよ。専門家に聞いた方が早いし、その方が元旦那さんも納得してくれるだろう。」 「あ、でも、そんな、いいんですよ。」 「困った時はお互い様だからね。」 「じゃあ、お願いしてもいいですか?」 「うん。任せて。それともし元旦那さんが怖いことを言ってきたら、スクショを取っておくんだよ。そういうのも、後で使えるかもしれないからね。」 「使う? ……分かりました。」 数時間後。 「おい、さえ。さっき確認したけど、まだ振り込んでないよな。早くしてくれよ。困ってるんだ。」 「今、確認してるから、ちょっと待って。」 「確認? 何を確認してんだよ。お前が払う義務があるのは確定してるだろう。」 「でも、念のため弁護士さんに聞いてるの。」 「弁護士? お前、そんな金あるのかよ。」 「知り合いが紹介してくれたのよ。ちゃんと私に支払い義務があるって専門家が判断したら、その時はちゃんと振り込むから。」 「まあいい。とにかく早く頼むわ。」 「それにしても、困ってるって何? あなた、借金でもしたの?」 「は? なんだよ。」 「だって、いきなりお金が欲しいって言うから。」 「借金とかじゃねえよ。本当に。ちょっと勉強代がかかったんだよ。」 … Read more

17 September 2026

「お兄さん、突然何の冗談ですか?」義理の妹のさとみが困惑した顔で俺を見た。その夜、俺は覚悟を決めて携帯を置いた。エリカが突然始めた深夜のウォーキング。健康のためなら、なぜ毎晩23時に濃い化粧で出ていくのか。3日前に後を付けて見たものは、実の弟の浩と公園で待ち合わせ、多目的トイレに20分もこもる2人の姿だった。さとみも同じ頃から、浩がランニングと言って家を空けていたという。「ホテルじゃないなら…

「お兄さん、突然何の冗談ですか?」 義理の妹さとみが、困惑した顔で俺を見た。俺は覚悟を決めて、携帯を置いた。 「本気だ。考えてもみろよ。運動嫌いのエリカが突然ウォーキングを始めたんだ。しかも毎晩23時頃に出ていく」 「健康のためじゃないんですか?」 「健康のためなら、あんな時間に化粧濃くして出ていくか? それも半年も前から」 さとみの表情が曇る。彼女も思い当たる節があるようだった。 「実は……浩もランニングと言って、同じ時間帯に外に出るようになったんです。半年くらい前から」 「俺たちと同じ頃だな」 「お兄さんはどうして気づいたんですか?」 「最初は運動はいいことだと思って応援してた。でも、ウォーキングにしては化粧が濃すぎる。それで胸騒ぎがして、3日前に後を付けたんだ。そしたら浩と会ってた」 さとみは唇を噛んだ。 「うちの家とお兄さんたちの家の中間地点に公園があるでしょう。あそこで2人が会ってたんだよ。待ち合わせ場所は決まってあそこだ」 「ホテルとかじゃないなら、相談事があったとか……」 「信じたい気持ちは分かる。でもな、2人で多目的トイレに入るのはおかしいだろ? 20分も出てこなかったんだぞ」 さとみは黙り込んだ。私たち夫婦は仲が良かった。さとみと浩も、それなりにうまくやっているように見えた。だからこそ、この事実は重かった。 「俺も一応スマホで動画は撮ったんだけど、暗くて顔がはっきり映ってなかったんだ。弁護士の友人に相談したら、これじゃ言い逃れされるかもしれないって言われた」 「はっきりと顔が映った証拠が必要ってことですか?」 「そうなんだ。だから俺は直近で出張を入れることにした。さとみちゃんも何か理由をつけて家を空けられないか?」 「私たちが同時にいなくなれば、相手が動き出すってことですね」 「その日に探偵を付けようと思ってる」 さとみは少し考えて、うなずいた。 「ちょうど良かったんです。母の体調が良くなくて、近々実家に帰ろうと思ってたところだったんです」 「出張は来週の火曜日だ。その日でいいか?」 「はい。浩にもそれとなく伝えておきます」 翌日、さとみは浩に実家へ帰ることを伝えた。母の体調が悪化したと言うと、浩は快く送り出してくれた。 「何日間かゆっくりしてきなよ」 「いい旦那さんでよかっただろ?」 さとみは笑顔でうなずいた。その裏で、俺とさとみは計画を進めていた。 出張当日、俺はさとみに連絡を入れた。 「エリカはさとみちゃんがいなくなって、羽を伸ばすはずだ。浩の家か、うちか、どこかで堂々と会うだろう」 「カメラを用意した。見つかりにくい場所に設置してもらえないか?」 「そこまでするんですか?」 「家に入っただけだと、挨拶に寄っただけと言い逃れされるかもしれない。でもカメラがあれば、決定的な証拠になる」 さとみは少し迷ったが、覚悟を決めた。 「分かりました。私も真実を知りたいです」 「リビングと寝室に1つずつ頼む」 数日後、さとみは予定より早く帰ってきた。母の体調が良くなったからだと言う。 「主婦がいつまでも家を空けるのはダメだって言われちゃって」 「エリカが出ていくために時間を稼いだんだろうな」 さとみは顔を曇らせた。 「私、無理です。あの2人が使ったベッドで寝られません」 「実家に戻るなら送るよ」 「いえ、心配かけたくないのでホテルに泊まります」 「お金は俺が出すから」 さとみは首を振った。 「明日、カメラを回収したら連絡しますね」 翌日、俺はエリカと対峙した。 「俺の弟と浮気するなんて、大した根性してるな」 「はあ? 何言ってんの?」 「浩とはしょっちゅう会ってるだろう」 「身内だからたまに会うこともあるわよ」 「俺やさとみちゃん抜きで会うのはおかしいだろ。なんで浩の家に行ったんだ?」 … Read more

17 September 2026

「土曜日はダメよ。別の日にして」——電話口でそう告げた瞬間、私は自分がこの家でどんな立場なのか、思い知らされた気がした。夫が倒れて入院してから初めての週末、私はお見舞いに行きたかっただけなのに、義理の娘は「許可なく来るな」と私を締めつけた。専業主婦の私が家事を放棄したわけでもない。それなのに、彼女は私を「穀つぶし」と呼び、夫は意識を取り戻した途端、「お前は赤の他人だ」と冷たく言い放った。五人…

「お見舞いに行きたいんだけど、土曜日はどう?」 電話口でひろがそう言った瞬間、私は眉をひそめた。 「土曜日はダメよ。別の日にして。」 「ねえ、どうして私が夫のお見舞いに行くのに、あなたの許可がいらないといけないの?」 「そういう約束でしょ。お見舞いは週に一度、私が許可した日だけって、あなたが言い出したことよ。」 「それは、あなたが勝手に来るのを許さないって言うから…」 「だったら、その約束を守りなさいよ。勝手なことをしたら、本当に許さないからね。」 「そんなことを言われても困るわ。雲真っ赤出血は誰にでも起こり得るのよ。具体的な原因なんてないし、お医者さんだって私のせいだなんて言ってなかったわ。」 「あんたが家で何もせずにだらだらしてるから、お父さんがあんたの分まで働かされて、そのストレスで倒れたんだよ。それなのに全然反省してない。」 「私は専業主婦として家事をやってるわ。それはお父さんと話し合って決めたことよ。」 「そんなのは関係ない。私はここまでお父さんを追い詰めたあんたを許さない。」 「それに、まだ意識が回復したばかりで喋るのも疲れるのよ。家族しか会えないようにするべきなの。」 「その説明は私だって聞いてるわ。だから私が会っても大丈夫なはずよ。」 「あんたは家族じゃない。途中から我が家に横入りしてきたくせに、偉そうなことを言わないで。」 「横入りって、そんな言い方はないでしょ。確かに再婚相手だけど、結婚したんだから家族で間違いないわ。」 「どうせ家事をするからって理由でお父さんに近づいたんでしょ。お父さんは離婚してから、家事と仕事で大変そうだったからね。」 「そうね、私も力になれればいいなと思ってたわ。でも、二人の大変な状況を利用して取り入ったみたいに言われるのは嫌よ。そういうつもりじゃなかったし。」 「よく言うわよ。働かないで生活するために、私たちに近づいてきたくせに。」 「そんなことないって言ってるでしょ。」 「仕事もしてない人間に、何の価値もないからね。そのことは自覚してもらいたいわ。」 「私は家事をして家庭を支えたいと思ってるのよ。」 「そんなのは不要よ。誰でもできることなんだから。いい?とにかく私の言いつけを守って、勝手にお見舞いには行かないでよ。」 「分かったわ。また別の日を提案させてもらうわ。」 私は受話器を置いた。 — 翌日、父に打ち明けた。 「樹が意識を取り戻したんだろ?もう会ったのか?」 「ええ。意識が戻った日に病院から連絡があって、その時に一度会ったわ。でも、そこからは全然お見舞いに行けてないの。」 「ああ、なぜだ?専業主婦なら時間の融通は利くだろう。」 「ひろがダメだって言うのよ。」 「ダメって、どういうことだ?」 「突然お見舞いに来るのなら、自分の許可を取れって言い出したのよ。」 「なんだそれは。そんなの聞く必要はないよ。妻なんだから、お見舞いに行っていいはずだ。」 「私も何度もそう言ったんだけど、全然聞いてくれなくて。勝手に行ったら縁を切るとまで言われてるの。」 「なぜそこまで?お前のことが嫌いなのか?」 「そうみたいね。」 「嫌いって、一緒に生活するようになって五年だろ?」 「そうなんだけど…やっぱり多感な時期に再婚したし、いきなり母親だと言われても、受け入れられないと思うのよ。私も、無理やり母親だって言わせたりはしてないんだけどね。でも、関係性は全然築けてなくて。」 「だとしても、お見舞いにも自由に行かせないなんて…。」 「私だって、意識を取り戻した夫と会いたいわ。でも、ひろとの関係が今以上に悪くなるのも嫌だし。全く合わせてくれないわけじゃないのよ。ちゃんと指定した日には合わせてくれるから。」 「それもそれで変な話だな。」 「そうね。もしかしたら、反抗期みたいな感じなのかもね。」 「だとしても、お前は母としての務めはしっかり果たしてるんだろ?」 「自分なりには、やってるつもりよ。」 「それにお前は、家族を支えるために仕事だってやめてるし。」 「それは別に関係ないわ。自分としても、そろそろやめ時かなって思ってたところだったから。バリバリ働いてたけど、プライベートな部分は充実してなかったし。やめ時としてもいいタイミングだったと思ってるの。」 「なら、そこは全然気にしてないわよ。見返りだって、十分すぎるくらいにはもらったし。」 「それにやっぱり、家に帰って一人は寂しいよ。」 「お前が納得してるなら、それでいいんだが。」 「いつか、ひろと仲良くできたらいいなと思ってるんだけどね。家族のためにこんなに尽くしてるのに、伝わらないのは辛いわ。」 「そうね。私も、いつかお父さんとも同居できたらいいなと思ってるんだけど、まだまだ難しそうね。」 「そんなのは気にしなくていいんだよ。」 「だって、一人ぼっちは寂しいよ。今回の樹の件だってあるし。いきなり倒れるなんて、本当に恐ろしいわ。だから、お父さんにも近くにいてほしいのよ。」 「でも、何度か行かせてもらったが、そっちの家は俺が住めるほど広くはないだろう。」 「ここはそうだけど、いいところがあるのよ。向かいにいい感じの家があってね。樹も、あんなところに住めたらいいなって言ってたから。」 … Read more

17 September 2026

「息子たちの結婚式には、あなたたちには出席しないでいただきたいの。」義母のその一言で、私の世界は音を立てて崩れた。夫と顔を見合わせ、私は何とか平静を保ちながら理由を尋ねた。義母は「あなたたちの存在自体が式を台無しにする」と言い放ち、私たちが個人経営の小さな塾を営んでいることを「低所得者」と見下し、有名大学を出て大手企業に勤める娘の晴れ舞台に恥をかかせたくないのだと説明した。夫は唇を噛み締め、…

「息子たちの結婚式には、あなたたちには出席しないでいただきたいの。」 恵は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。夫婦で顔を見合わせ、それから相手の女性をまっすぐ見つめた。 「何をおっしゃっているんですか? 息子さんの結婚式は、私たちにとっても大切な娘の晴れ舞台です。出席する権利はあるはずです。」 「あなたたちに出席されたら、式が台無しになるのよ。」 「台無し? どういう意味ですか? 私たちは何も失礼なことはしていませんよ。」 「あなたたちの存在自体が失礼なのよ。ナツキは有名大学を卒業して、今や大手劇場コングロマリットで働いているの。そんな娘の結婚式に、あなたたちのような人間が座っていたら、恥をかくのは私たちの方よ。」 「私たちが何かしましたか? もし何か失礼があれば謝りますが。」 「私たちはね、夫が建築会社を経営していて、大手との取引もどんどん決まっているのよ。これからの会社はさらに大きくなっていく予定なの。」 「会社の規模や稼ぎは関係ないでしょう。」 「関係あるわよ。あなたたち、塾を経営しているそうじゃない。個人経営の小さな塾でしょ? 大したことないわ。」 「確かに小さな塾ですが、私たちはこの仕事を誇りに思っています。」 「低所得者なんて、どうしようもないクズよ。」 その言葉に、恵の夫である剛は唇を引き結んだが、それでも冷静さを保とうとした。 「もし私たちが嫌だというのなら、今後一切連絡は取りません。ただ式には参列させてください。娘の晴れ姿を一目見られないなんて、悲しすぎます。」 「そんなのは関係ないって言ってるのよ。」 「どうしてです? 」 「あんたたちは自分の娘に恥をかかせていいと思ってるの? 」 「私たちの存在は恥でも何でもありません。」 「そう思ってるのはあんたたちだけよ。」 ナツキは本当にいい子です。きっとすごく努力をされたんでしょうね。そういうところも含めて、本当に素敵な人だと思います。」 「それは分かってるわよ。だからこそ、あなたたちが惜しいのよ。」 「それでは、式には不参席ということでお伝えしておきます。」 「ナツキは悲しみますよ。」 「どうせなら、きちんと理由を伝えておきなさいよ。ナツキのためにも、あなたたちとは距離を置いた方がいいと思うから。」 そう言い残して、相手の女性は電話を一方的に切った。 恵は受話器を見つめ、それから夫を見た。剛は腕を組み、重いため息をついた。 30分後、今度は息子である幸永から電話がかかってきた。 「恵さん、母から話は聞いただろ。」 「ええ、しっかりと聞かせてもらいましたよ。」 「納得はしてないようだな。」 「当たり前でしょ。娘の式に参列するなと言われたんですよ。しかも理由が低所得者だからなんですからね。」 「暑くならないでくれよ。こっちはお互いの子供たちのためを考えて言ってるんだ。」 「どこがですか。」 「今回の式には、かなりのVIPが来ることになっているんだ。私の人脈から、重役の人たちが参列してくれることになった。」 「それは凄いことですね。」 「さらに、劇場コングロマリットの社長さんも、わざわざ式に来てくれるんだよ。ナツキのことを社長も期待しているんだろう。」 「だったら、親の私たちがいないと変じゃないですか。」 「そこはナツキがうまくやってくれるさ。」 「幸永さん、私たちは所得で人を見る人間じゃありません。」 「あなたたちが所得で人を見る人間だってことは、よく理解しましたよ。ですが、私たちをあなたたちと同類にしないでいただけますか。」 「お前たちは、娘を大手で働かせて、息子が社長になったら、2人の稼ぎに背びって生活するつもりだろう。」 「そんなつもりはありませんよ。」 「低所得者の言うことは信用できない。」 「あなたたちのことだって信用できません。」 「とにかく、式には絶対に来るな。」 電話は一方的に切れた。 恵は受話器を置き、何も言わずに座っていた。剛がそっと肩に手を置いた。 翌日、恵は娘であるナツキに電話をかけた。 … Read more

17 September 2026

結婚式当日の朝、ヘアメイクの最中にスマホが鳴った。相手は今日の午後には夫になるはずの男だった。「ごめん、今日の結婚式、なしにしてくんない?」その声には申し訳なさのかけらもなく、ただ面倒くさそうな響きだけがあった。「他に好きな人ができた。その子が妊娠したんだ。だから俺はもかと結婚する」私はスマホを握りしめた。式当日に言うことじゃない。あまりにも衝撃的で、怒りよりも先に呆れが込み上げてきた。なに…

結婚式当日の朝、化粧をしてもらうために早起きした私のスマホが鳴った。相手は、今日の午後には夫になっているはずの男だった。彼の第一声を聞いた瞬間、嫌な予感がした。だって、その声には申し訳なさのかけらもなく、ただ面倒くさそうな響きしかなかったから。 「ごめん、今日の結婚式、なしにしてくんない?」 「は?何言ってるの?今からヘアメイク始まるんだけど。悪い冗談はやめてよ」 「俺、お前とは結婚できない」 「なんで?今日まで一緒に準備してきたでしょ?」 「他に好きな人ができたんだわ」 私は反射的にスマホを握りしめた。式当日に言うことじゃない。あまりにも衝撃的で、怒りよりも先に呆れが込み上げてきた。 「いつ言おうか迷ってる間に今日になった」 「マジで言ってるの?」 「違うって。実は半年くらい前から付き合ってて、その子が妊娠したんだよ。今朝、検査したら陽性だったって言われた。こんな気持ちであかと結婚なんかできるわけないだろう」 「本当にあなたの子なの?」 「当たり前だろ。だから俺はもかと結婚する。責任取らなきゃいけねえからな」 「私への責任はどうなるのよ」 私の問いかけに、彼は少し間を置いて、まるで何かを思いついたような軽い声で切り出した。 「そこでちょっと相談なんだが、今日の式は俺とももかの結婚式に変更しようと思う」 「は?」 「キャンセル料がもったいないだろう。どうせ俺とももかもいずれ式はあげなきゃいけないし。譲ってくんないかな」 「何言ってんの?」 「分かりやすく言うと、新郎だけ入れ替えるってこと」 「分かった上で何言ってんだって聞いてんのよ。招待客の半分は私の親族や友人なのよ。新郎が知らない女に入れ替わって納得するわけないでしょ」 「そこはお前がうまく説明しとけよ」 「もう会場に向かってる人もいるのよ」 「だから今連絡してるんだろう」 「遅すぎるでしょ」 「金なら俺が全額払うから頼むよ」 「私に全部払わせたあなたにお金なんてあるわけないよね」 「それがまとまった金が近々入る予定なんだ」 「怪しい。騙されてんじゃないの?」 彼は何かにかっかとしているようだった。式の準備を一からやり直すことを考えたら、ぞっとする。けれど、賠償金すら払えない男の言葉を信じられるはずがなかった。 「じゃあ、このまま使わせてくれたら楽できるじゃん」 「いやいや、準備してたのね、あんなのだるいに決まってんだろう」 「私が気を使うことじゃないけど、お下がりの結婚式なんて相手の女性が嫌がるんじゃない?」 「ももかはそういうの気にしないって」 「女いるのかな?」 「じゃあお前の身内には飯だけ食って帰ってもらうか」 「誰が納得すると思ってんのよ。頭おかしいの?」 「じゃあ今すぐ連絡してお前の方だけ断ってくれ。みんな今日のために予定を開けてくれたのに」 「悪いな」 混乱して見逃してたけど、半年も騙してたってことよね。ありえないんだけど。 「どっちもいい女だから選べなかったんだよ」 「ケースに並んだケーキみたいに言わないで」 「確かに昔からケーキ選ぶの苦手だったわ」 「お母さんはなんて言ってるのよ」 「お袋は大賛成してくれてるよ。後継ぎができたって大喜びだ」 「親子してどうかしてるわ。不貞行為を容認するなんて」 「お袋が言うにはもかちゃんの方が愛嬌があって好きだって」 「ああ、そうですか」 「大体、後継がどうとか言ってるけど、まだ性別も分からないのに浮かれていいわけ?」 「母さんの勘は当たるんだよ。とりあえず今回は身を引いてくれ」 「次回があるみたいに言わないで」 「式場スタッフが近くにいるだろう。ドレスをお前のサイズより2つくらい下げたやつでいくつか用意するよう言ってくんない?」 「よく私に頼めたわね」 「それと新居のマンション、あれももかに譲ってやってほしい」 「はあ」 ずっとおかしいこと言ってるけど、マジで大丈夫?私は呆れて言葉も出なかった。彼はまるで他人事のように、自分の要求だけを並べ立てている。 … Read more

17 September 2026

夕方、仕事帰りの電車の中で父から電話が鳴った。「ゆい、今すぐ戻ってきてくれ。母さんの容態が急変した」。一週間前、病室で母は元気に笑っていた。なのに、電話越しの父の声は震えていた。私はすぐに夫に電話した。「お母さんが危ないの」。返ってきたのは、思いやりでも心配でもなく、「母さんに連絡はしたのか?俺が叱られるから、勝手なことはするな」だった。義母にも電話した。「今帰ったら、もう家には戻ってこなく…

電話が鳴ったのは、仕事帰りの夕方だった。画面には父の名前。嫌な予感がした。出る前から、胸がざわついていた。 「ゆい、今すぐ実家に戻ってきてくれ」 「え、どうしたの? もしかして、お母さんに何かあったの?」 「そうだ。母さんの容態が急変したんだ」 「嘘……だって、この前お見舞いに行った時は、すごく元気そうだったのに」 「本当に綱渡り状態だったんだよ。とにかく、今すぐ病院に来てくれ」 「助かるのよね?」 「わからない。でも、二人で祈ろう」 「わかった。すぐに行くから」 タクシーを呼びながら、夫のたけやに電話を入れた。仕事中であることはわかっていたが、放っておくわけにはいかなかった。 「たけや、ちょっと話があるの」 「なんだよ。こっちは仕事中だぞ。仕事中の私的な連絡は禁止だって言われてるんだ。これがもし母さんにバレたら」 「お願い。大事な話だから聞いてよ」 「何?」 「お母さんの容態が急変したの」 「え? この前元気だったとか言ってなかったか?」 「そうなの。とても元気そうだったのに。さっきお父さんから連絡があって……ずっと入院してたんだよ。白血病になっちゃってね。それでも治療を受けて、ちゃんと元気になってるはずだったのに」 「それで、話って何だよ」 「今から実家に帰るから、夜はなんか自分でご飯を買ってくるなりなんなりしてって言いたかったの」 「ああ、そういうことか。俺は別にいいけどさ」 「じゃあ、お願いね」 「ちょっと待てよ。これは母さんには伝えてるのか?」 「いいえ。あなたに伝えておけば、別にいいでしょ」 「だめに決まってるだろう。母さんはお前に家事を任せてるんだから。急になくなったら、怒るに決まってる」 「前に実家に帰った時は、お母さんも普通に許してくれたじゃない」 「それはたまたまだよ。さすがにこんな連続で帰るってなったら、母さんだって怒るはずだ。だから、その前に母さんにも事前に連絡をしておけよ」 「私はすぐにでも実家に帰りたいんだけど」 「軽く連絡をするだけでいいんだよ。とにかく、母さんを怒らせるようなことはするな。事情が分かれば、理解してくれると思うけど」 「ちゃんと筋は通せよ。お前のせいで、俺が母さんに叱られるんだぞ」 「あなたいくつなのよ」 「俺たちの生活を支えてるのが母さんだって忘れるな。母さんは化粧品メーカーを一人で大きくしたんだ。だから俺たちは母さんの立てた家で生活をして、母さんの会社で俺は働けてるんだぞ。その母さんに見捨てられたら、大変なことになるって考えたら分かるだろう」 「あなただって仕事を頑張ってるんだし、そこまで怖がらなくてもいいと思うけど」 「俺たちがいい暮らしをできてるのは、母さんのおかげだって感謝をしてるんだよ。だからお前も、ちゃんと母さんに話をしてくれ。それは最低限の礼儀だって」 「わかったわよ」 三十分後、私は義母に電話をかけていた。ある程度覚悟はしていた。しかし、その覚悟を遥かに超える言葉が、向こうから返ってくることになる。 「お母さん、突然の連絡申し訳ありません」 「何? 忙しいから手短にして。こっちは今、大型プロジェクトの準備をしてるの。あなたにかける時間はないのよ」 「実は、母の容態が急変したので、実家に帰らせてもらいます」 「あなたの母親は、確か白血病だったわよね」 「はい。そうです」 「それだけ重い病気なら、容態が変わることもあるでしょう。なのに、それでいちいち帰ってたら、我が家のことがおろそかになるでしょ」 「それは……帰るなってことですか?」 「そうよ。この間帰ったばかりなんだから、今回はだめよ」 「ですが、危険な状態なんですよ」 「それだけ重たい病気なのよ。それくらいのことは、これからいくらでもあるわ」 「あなたは医者か何かですか?」 「はあ?」 「どうして何も知らないのに、そんな偉そうに言い切れるんですか?」 「私に向かうの? 誰のおかげで生活ができてるか、分かってる?」 「お母さんには感謝してますよ。でも、私をここまで育ててくれたのは、私の母ですから。その母が危険な状態なら、私はそばにいてあげたいと思ってるんです」 「それこそ、あんたは医者かなんかなの? … Read more

17 September 2026

義母が私の部屋のドアを開けた瞬間、私は言葉を失った。「あら、悪かったわね。でもここは勝彦が買った家でしょ?」その一言が、私の日常を壊した。三年前に母を亡くし、やっと落ち着いた生活を送っていた矢先のことだった。夫の勝彦は「俺が買った家なんだから文句を言うな」と私の味方にはならなかった。海外赴任から半年ぶりに帰宅すると、私の部屋は義母たちの寝室に変わっていた。私の大切なものはすべて処分され、廊下…

「勝彦、ちょっとお母さんに注意してくれない?」 突然の言葉に、勝彦は眉をひそめた。 「はあ? 何がだよ。母さんが何をしたんだ」 「いきなりうちに来て、しかも私の部屋に入ってたのよ。いくら家族でも、もう少しデリカシーを持ってほしいの」 「お前、俺の母さんに文句があるわけ? 別に部屋くらい入ったって何の問題もないだろう。もしかして、見られたら困るようなものでもあるのか?」 「そういうわけじゃないわ。でも私にとって大切な宝物とかあるんだから。来る前に一言連絡してほしいって言ってるだけ」 「俺が買った家なんだから、何の問題もないはずだ」 「私の家でもあるのよ」 「この家は俺が買ったんだ。ローンの支払いだって全部俺がやってる。俺がいいって言ってるんだから、口答えするな」 「そんな言い方しないでよ。私だって生活費は払ってるんだから」 「生活費を払ってるくらいで偉そうなこと言うな。こっちがどれだけの出費をしたと思ってるんだ」 「感謝はしてるわ。でも二人で力を合わせてやってきた部分だってあるんだから」 「生活費を払ってギリギリのお前の力なんて、そこまで必要としてないんだよ。そんなに嫌なら、お前だって自分の家族を呼べばいいだろう」 「お母さんは三年前に亡くなってるわよ。知ってるでしょ? 嫌味にしても立ちが悪すぎるわ」 「ああ、そうだったっけ。すまん、すまん」 「お母さんのことを馬鹿にするのは許さないわよ」 「だったら俺の母さんを泥棒扱いするなよ」 「そんなことしてないって」 「とにかく母さんには好きにさせろ。俺は育ててくれた両親を心から尊敬してるんだ。だからこそ、あの家だって好きに使ってもらいたい。お前にとやかく言われる筋合いはない」 「せめて部屋には入らないでって言ってよ。お前が言えばいいだろ」 「聞いてくれるわけないでしょ」 「だったらお前が我慢しろ。何度も言うが、その家を買ったのは俺なんだぞ。そのことは絶対に忘れるな」 その一週間後、とみは義母と墓地でばったり顔を合わせた。義母が花を手向けたばかりの墓の前で、二人は立ち話をすることになった。 「おばさん、さっきお墓参りに来たら綺麗なお花が飾られてあったんですけど、あれおばさんが?」 「あら、入れ違いになっちゃったのね。いつもありがとう」 「お彼岸でもないのに、わざわざお参りしてくださってるんですね」 「そうなのよ。ちょっとお姉さんと話がしたくなってね」 「きっと母も喜んでますよ」 「霊もとみちゃんも偉いわね。そうやってまめにお墓参りをしてくれて」 「そんなことないですよ。実はしばらく来られなくなりそうなので、今のうちにできるだけ来ておこうと思ったんです」 「そうなの? 大丈夫? 頑張りすぎてるんじゃないの?」 「いえ、私は全然無理してないですよ。今の仕事はとっても楽しいので」 「それならいいんだけどね。あなたに余計なものを背負わせてるんじゃないかって心配なのよ」 「そんなことはないですよ。私は別に何も背負ってなんていませんから。ただ、母からいろんなものをバトンとして受け継いだだけです」 「本当に姉さんは幸せ者だったわ。あなたのような素晴らしい娘さんがいてね」 「私は別にそんな大したことはしてませんよ。それに、母のことを思っているのならおばさんだって同じじゃないですか」 「私は本当に姉さんに迷惑をかけっぱなしだったから、学生時代なんて怒られた記憶しかないわ。でも私のことを見捨てずにずっと姉妹でいてくれた。それが何よりも嬉しかったし、感謝してるの」 「色々とあったんですね」 「だから、姉さんの一人娘であるあなたのためなら、私は何でもするつもりだから遠慮なく言ってね」 「はい、ありがとうございます」 「でも、そう言ってるのにあなたって何も頼んでこないわよね」 「どういうことですか?」 「家を買ったことだって後から聞かされたわ。事前に言ってくれてたら力になれたのに」 「さすがにそれはお願いできないですよ。そこまで私は図々しくはなれません」 「私は全然そうは思わないわよ」 「ありがとうございます。でも、もし何か困ったことがあったら、その時はお願いすることもあるかもしれません」 「本当に遠慮なんてしないでね。私はあなたの力になりたいと思ってるんだから」 それから三日後、とみは義母に連絡を入れた。義母の家に招かれ、お茶を飲みながら切り出した。 「実は、お願いがあって参りました」 「あなたからそんなことを言ってくるなんて珍しいわね。何かしら?」 … Read more

16 September 2026