「失礼ですが、どちら様でしょうか」と電話に出た瞬間、相手は弟の婚約者の父親だった。うちの父だ、と低い声。初めて話すのに、なぜ私の番号を知っているのかと聞けば、娘から聞いたと言う。来週の顔合わせで連絡先を交換できたらと思っていました、そう伝えると、彼は冷たく言い放った。「顔合わせをするかどうかは、俺の質問に答えてからだ」。そして高校中退だと答えた瞬間、電話の向こうで「ありえん。これは大変なこと…

失礼ですが、どちら様でしょうか。 とみの父だ。 ああ、弟の婚約者のお父様でいらっしゃいますか。ゆやがいつもお世話になっております。ただ、まだ一度もお目にかかったことがないのに、どうして連絡先をご存じなのでしょうか。 娘からお前の連絡先を聞いた。 こちらからご挨拣すべきところを、申し訳ありません。来週の顔合わせの時にでも、連絡先を交換できたらと思っておりました。 顔合わせをするかどうかは、俺の質問に答えてからだ。 学歴のことでございましたら、高校中退です。 中卒か。入った高校の偏差値は。 ええと、いくつだったでしょうか。五十以下だったとは思いますが。 ありえん。これは大変なことになった。 何がでしょうか。 弟さんは立派な医者だというのに、血のつながった姉が中卒だと。 弟は本当に努力しましたから。 親はいないんだろう。 はい。私が中学三年生の時に、両親とも事故で亡くなりました。 遺はどうやって行かせたんだ。 親の保険金と、私が働いたお金です。幸い国立大学に行ってくれましたので、なんとかやっていけました。 なるほどな。随分と学歴のことを気になさっているご様子ですが、弟は優秀です。何の心配もいらないかと思います。 アホには分からんだろうが、人間には覚醒遺伝というものがある。 私でもそのくらいは存じ上げております。 お前の能が孫に遺伝したら、どう責任を取るんだ。 はい。 お前みたいなのが姉で、医者の弟の子供にアホの遺伝子が混ざったら、責任が取れるのかと聞いているんだ。 最初から随分と失礼な物言いですが、さすがにお前呼ばわりはないのではないでしょうか。まだお会いしたこともないのに、あまりにも失礼すぎます。 俺よりもずっと年下だろう。何が悪い。 私はゆやの親代わりですから、若いのは仕方ありません。 お前みたいなのが姉だと、弟の結婚にケチをつけられて困るんだよ。 私はゆやさんの学歴を基準に結婚するなんて言ってません。弟は自分で道を選びました。 世間知らずだから仕方ないんだ。お前みたいなのがそばにいる限り、あいつはまともな判断ができんのだ。 言っておきますが、私の両親は二人とも高卒ですよ。何が言いたいんですか。 何も成し遂げてないお前が偉そうに語るな。 弟は自分で努力して医者になりました。血筋だけでここまで来たわけじゃない。あなたがそんなふうに学歴だけで人を判断するから、ゆやさんまで不幸になるんです。 こんなことで大事な娘の結婚を反対するつもりですか。 医者の家柄はいい。問題はお前だ。 私たちは姉弟です。そこを問題視されても、どうしようもありません。 クソが。親族全員の学歴調査でもする気か。 全員が高学歴な家族なんて、そうそういませんよ。探せばいるでしょうが。 当たり前のことを言いますが、人の価値は学歴では測れないと思います。 いや、それが全てだ。 では、お父様の最終学歴はどちらですか。 聞けば腰を抜かすような大学だ。 それはどこかと聞いているんですが。 お前に言っても分かるわけがない。 弟の結婚を私たちが邪魔する権利はありません。来月ハワイで式を挙げます。どうか温かく見守っていただけませんか。 娘が不幸になるのを黙って見ていろと言うのか。 これ以上の話し合いは無駄のようです。失礼します。 絶対に娘の幸せの邪魔をするなよ。 こちらのセリフです。弟の幸せを壊すようなことは、どうかおやめください。 数日後。姉ちゃん、結婚式の準備、順調だよ。楽しみにしてて。 ああ、すごく楽しみにしてる。ハワイ式なんて最高じゃないか。 俺の方こそ楽しみにしてるよ。約束しただろ、姉ちゃんが立派な医者になったら、一番高い場所で式を挙げるって。 あんたが医者になって、結婚までするなんて、本当に親心ってやつだわ。 やめろって、泣きそうになるだろ。 姉ちゃんのおかげでここまでやってこれたんだ。ありがとう。 だから、やめろって言ってるだろ。急にそんなこと言うから。 … Read more

25 September 2026

義理の妹が放った第一声は「中卒の人にお姉さんなんて呼ぶ価値もないけど、まあ一応呼んであげるわ。結婚おめでとう」だった。入籍して3日目のことだ。夫の実家のリビングで、私は笑顔を貼り付けたまま背筋が凍るのを感じていた。「学歴が目当てでしょ」「日本語の勉強から始めたら?」「負け組じゃん」——次々に浴びせられる言葉に、私は必死で冷静を装っていた。そして彼女は机の上に札束を置いた。「口止め料。お兄ちゃ…

あの日、義理の妹のさくらちゃんから、これでもかというほど嫌味を言われた。結婚の報告をしに顔を出したその場で、向こうは最初から牙をむいていた。 「中卒の人にお姉さんなんて呼ぶ価値もないけど。まあ、一応便宜上そう呼んであげるわ。結婚おめでとう」 お祝いの言葉かどうかも分からない口調に、一瞬で背筋が冷たくなった。何か言われるとは思っていたが、まさか最初から本気で嫌ってくるとは思わなかったからだ。 「余計なディスが多すぎて、祝福が入ってこないんだけど」 笑顔を貼り付けたまま言い返すと、さくらちゃんはふんと鼻を鳴らした。 「お兄ちゃんと結婚したのは学歴が目当てでしょ。大卒の夫のステータスが欲しかったんでしょ。違うの? だって、中卒らしいし」 「なんで私がそんなことのために、かゆと結婚しなくちゃいけないの。……ていうか、その言い方、失礼すぎない?」 「だって、中卒じゃん」 「それが何? 別に学歴で人の価値が決まるわけじゃないでしょ」 「学歴コンプレックスでもあるんでしょ。可哀想に」 「持ってないよ」 「見え張らないでよ。気持ち悪いな」 「ちょっと、話にならないんだけど」 息が荒くなるのを感じた。どうやら向こうは私を怒らせるために喋っているとしか思えない。感情をぐっと飲み込んで冷静になろうとすると、さくらちゃんが勝ち誇った顔で続けた。 「ああ、そうだね。こっちこそごめん。私、私が読めるのに、相手が読めない言葉を選んで話してても意味ないもんね。日本語の勉強から始めたら?」 挑発的な笑み。流石にカッとなった。 「全部読めてるよ。あなたが言うことが下手なだけ。……それに、中卒のこと、何だと思ってるの?」 「義務教育しか受けてない哀れな人たちでしょ」 「哀れかどうかは人が決めることじゃない! いろんな理由でそうなった人もいれば、自らその道を選んだ人もいるんだから」 「綺麗に言えばそうかもね。けど、結局のところ負け組じゃん。世の中には中卒でも政治家になった人もいれば、社長になった人もいるんでしょ? でも、あなたはそのどれでもない」 改めて言われると、胸がちくりと痛んだ。それでも、私は引かなかった。 「とにかく、私は学歴でお兄さんを選んでない。それだけは断言する。……あなたがどう思おうと、私は夫を誇りに思ってるから」 「じゃあ、なんで結婚式しないの?」 急に話題が変わって、拍子抜けした。 「別に、写真だけ撮ればいいかなって。2人で決めただけよ」 「隠さなくていいから。ねえ、紹介とか友人挨拶で『中卒』ってバレるのが嫌なんでしょ。みっともないもんね」 「別に隠すつもりはないけど。お兄ちゃんの友達には、黙っててあげようか?」 「大丈夫。気が済むまで言いふらしてくれていいから」 「またまた。そんなの、恥をさらすだけだよ。私は兄の友人たちを馬鹿にする夫は嫌だな。……というか、ここまで言ってもまだ分かんないの?」 「何が?」 「だから、そういうところだよ。お兄ちゃんがあなたを選んだのは、可哀想だから助けてやろうって同情したからだよ。全部わかってやってるのに、お世辞でもなんでもなく、ちゃんと選んだんだから」 最後の言葉は、もう半分投げやりだった。正直、心のどこかで夫に同情されたのかもしれないと思っている自分もいたからだ。 「……とにかく、さくらちゃんの言い分は分かった。私、帰るわ」 立ち上がろうとすると、さくらちゃんが冷たい声で言った。 「とりあえず、これでどう?」 机の上に、数枚の札束を置いた。思わず見入ってしまう。 「何のお金?」 「口止め料。お兄ちゃんには言わないでくれるんでしょ、この話は。学歴のことでいじめたって、黙っててくれたらって」 ……私は、そこまで安い女じゃない。 「洗わないよ、そんなお金。……あっそ。じゃあ、今後は可愛い義妹ってことで、よろしくね」 「自分で言うか、普通」 数分後、私は夫にメッセージを送った。 『舅さん、今日、入籍3日で妹さんから熱烈な祝福を受けたわ』 既読はすぐに付き、返事が来た。 「おお、そうか。まあ、仲良くやってやってくれよ」 「冗談よ。…めちゃくちゃ嫌なこと言われたんだけど」 小さなため息をついて、私は夫にすべてを打ち明けた。中卒だと馬鹿にされたこと。学歴コンプレックスだと言われたこと。お兄ちゃんを取られたと怒っているようだったことを。 夫は黙って聞いていたが、最後にぽつりと呟いた。 「悪かったな。アイツは……末っ子で、わがままなのは分かってるんだけど、だからってあんな言い方していいわけじゃないよな。……すまん」 「私、あれでも結構傷ついてるんだけど」 「分かってる。今度、ちゃんと言っておくから」 そう言ってくれたので、私は頷いた。が、それでも私は夫に言いたいことがあった。 「お兄ちゃん、私の味方はしてくれないの? あんなにひどいこと言われて、悲しいのはこっちだよ」 夫は困ったように頭をかいた。 「悪いって。あいつ、悪意があって言ったわけじゃないんだよ。ただ、ちょっとわがままだっていうか。お前のことを姉だと思って可愛くないことを言っちゃうだけで」 … Read more

25 September 2026

「悪いんだけどさ、ハワイ行きの飛行機、もう飛んじゃったよ」——空港に着いた私に、息子の京介がそう言った。楽しみにしていた旅行の当日、私はワクワクしながら空港に向かっていた。実はフライトは12時だと聞かされていたけれど、本当は10時発。最初から私を置いていくつもりだったのだ。「母さんが一緒だと、まなみの両親が気を遣うだろ」と京介は笑った。去年亡くなった夫との、新婚旅行の代わりだったハワイ。やっ…

京介、今日のハワイ旅行、本当に楽しみだね。私もそろそろ空港に着くわ。ワクワクして仕方ない。 悪いんだけどさ、ハワイ行きの飛行機、もう飛んじゃったよ。 え、何言ってるの?母さんには12時フライトって伝えてたけど、あれ嘘。本当は10時フライトなんだよ。 はあ?なんでそんなことするの? 母さんが一緒だと、まなみの両親が気を遣うだろ。だから母さんの代わりに、まなみの両親を連れて行くことにしたんだよ。ほら、親孝行ってやつ? 親孝行ってあんた?私に対して親孝行したことなんて一度もないくせに? 悪いけど、俺たちだけで楽しむからさ。お前はもう帰れ。 バカ言わないで。今回の旅行は、お金を出すのも計画するのも全部私よ。色々と手配してくれてありがとう。でも、もう帰ってくれ。 ちょっと待ちなさいよ。京介もまなみちゃんも、私がこの旅行にどれだけの思いを込めてたか知ってるでしょ? ああ、去年亡くなった親父との約束だっけ? そうよ。お父さんと約束してたの。新婚旅行に行けなかったから、いつか一緒にハワイに行こうってね。去年の結婚記念日がちょうどそのタイミングだったの。やっと約束を果たせるってなったのに、お父さんが事故で亡くなった。だから今年、私だけでいいからその約束を果たそうと思ったのよ。 で、一人で行くのも寂しいからって、俺とまなみを誘ってくれたんだろ。知ってるよ。 なら、私を置いていくようなことするわけないでしょ? するんだよな、これが。それに俺もまなみも、最初から母さんを連れてくつもりはなかったし。出発日の飛行機だけは自分たちで手配するって言い出したのも、全部このためだったんだろ。気づくのが遅えんだよ。 宿泊先のホテルや帰りの便は、母さんが予約してるんでしょ?それ、ありがたく使わせてもらうわ。 けーしゃー、て何だっけ? 何が? 母さんの、その言葉。ほら、「人生楽しんだ者勝ち」ってやつ。そうそう、それ。普段から母さんはヘラヘラしてるし、こういう状況でも楽しめよ。じゃないと人生、負けちゃうぞ。 本当に最低ね。 笑ってりゃいいことあるって、よく言ってるじゃん。俺たちのことも笑って見送ってくれよ。 ……ふう。わかったわ。あんたの考えはよく理解した。楽しんできなさい。 悪いね。母さんの分まで俺たちが楽しんで、笑顔になってくるわ。 そんな経緯があって、8時間後。俺たちはハワイに到着した。 ああ、ハワイの空気って、本当に美味しいですね。 まなみさん、まだ空港に着いたばかりでしょ。空港の空気がそんなに美味しいわけないじゃないですか。 うわ、お母さんダッサ。置いてかれたからって負け惜しみですか? かもね。ていうか、まなみさんって毎年ハワイに来てるんですよね。 そうですよ。うちの両親がお金持ちなんで。ハワイ旅行は毎年の恒例行事ですから。 なら、なおさら分からないんだけど。何がですか?俺が計画したハワイ旅行を、なぜ奪ったのかって話よ。まなみさんのご両親だって、自分たちで行けるでしょ? はあ。それはですね、実は私、京介と結婚してから大変なんですよ。結婚してから生活レベルがガクッと落ちちゃって。うちの両親も「結婚したら自分たちでやれ」とか言ってくるし。 でも、住んでるマンションはご両親の持ち物だったと思うけど。 結婚祝いにもらったマンションですね。でも、それだけですよ。あとは何もなし。 いや、十分でしょ。 そのせいでこっちは大迷惑なんですよ。毎年当たり前だったハワイ旅行も行けなくなったし、友達には「セレブなのにね」って言われるし。 それは友達が悪いんじゃない? 今まで散々、私が「羨ましい」って言ってたくせに。ていうか、そもそもまなみさんって専業主婦でしょ? そうですけど、今の時代、専業主婦でいられる時点で問題ないでしょう。セレブではないにしても、生活に困ることはないんだから。 だめです。セレブ出身の私が、一般人のレベルで測られたら困るんです。 そうですか。 でも、やっぱり分からないわね。私は元々、あなたたちも一緒に旅行に行く予定だったのに。親孝行ってやつですよ。あなたのご両親へのね。ほら、今年は私たちの代でハワイ旅行でしょ?いや、私の代だけど。それを言わないと分からないんで。で、うちの両親の性格からしたら、お返しは確実。来年のハワイ旅行代を出してもらうってことですよ。もうすでに、そういう話も出てるんです。これで2年連続ハワイ旅行確保、成功ってわけです。 たったそれだけの為に、人の旅行を奪うのかよ。 あと、うちの親が「金銭管理がどうの」ってうるさいんでね。ハワイ旅行に連れて行ける余裕があるんだぞって見せつければ、今後は黙るかなって。 くだらない。 そのくだらない話で、ハワイ旅行を逃したんですけどね。 くだらないのは、お母さんの方でしょ。 本当にそうかしらね。 負け惜しみどうも。そろそろホテルに行くんで、ここら辺で。 ああ、そのホテルの予約、キャンセルしたわよ。 へ? ついでに、帰りの便の飛行機もね。 はあ?当日キャンセルですよ?そういうの、嫌いって言ってたじゃないですか。 気分は良くないけどね。このまま黙って奪われるよりは、マシよ。 そんなことがあって翌日。本当に最悪だわ。ハワイに行った翌日に即帰宅って何? マジでそれな。せっかくのハワイ旅行が、お母さんのせいで台無しだよ。 ていうか、ホテルと帰りの便を勝手にキャンセルするとか、マジで許せないんだけど。 … Read more

25 September 2026

「中卒の人間にお姉さんなんて呼ぶ価値はないわよ。でも、まあ便宜上そう呼んであげる。結婚、おめでとう」…

「中卒の人間にお姉さんなんて呼ぶ価値はないわよ。でも、まあ便宜上そう呼んであげる。結婚、おめでとう」 その言葉は、祝福にしては聞こえ方が歪んでいた。嫌味が多すぎて、祝いの気持ちが全然伝わってこない。 「お兄ちゃんと結婚したのは、学歴が目当てでしょ。大卒の夫というステータスが欲しかったんでしょ」 「私がそんなもののために、かゆと結婚しなきゃいけないの? それに、かゆは中卒らしいじゃない」 「うん、そうだけど。それが何か?」 「学歴コンプレックスがあるんでしょ」 「ないよ。そんなわけないじゃん」 「見栄張らないで。ちょっと話にならないわね」 「ああ、こっちこそごめん。漢字が多くて読めなかった? ごめんね、中卒には難しいわよね」 「全部読めてるよ。私のことを何だと思ってるの? 中卒のことを」 「義務教育しか受けてない、哀れな人たちのことよ」 「哀れかどうかは、人が決めることじゃない。いろんな理由でそうなった人もいるし、自ら選んだ人もいる」 「綺麗に言えばそうでしょうね。でも結局は負け組じゃないの?」 「世の中には中卒で政治家になった人もいれば、社長になった人もいる。あなたはそのどれでもないんでしょ」 「とにかく、私は学歴でお兄さんを選んでいない。それだけは断言するわ」 「じゃあ、なんで結婚式もしないの?」 「別に、写真だけ撮れば十分かなって、2人で決めただけよ」 「隠さなくていいから。紹介とか、友人への挨拶で中卒ってバレるのが嫌なんでしょ」 「別に隠すつもりはないけどね。お兄ちゃんの友達には、黙っててあげようか?」 「大丈夫。気が済むまで言いふらしてくれていいから」 「またまた。恥を晒すわけないじゃん。とりあえず、5万でどう?」 「何のお金?」 「口止め料よ」 「洗いません」 「あっそ。まあいいわ。今後は、可愛い義妹としてよろしくね」 自分で言うかね、それは。 数分後、私は夫の妹、さらちゃんに、入籍してたった3日で、見事なまでの祝福を受けたのだった。 夫はと言うと、状況を察してか、ため息交じりに言った。 「おお、そうか。まあ、仲良くしてやってくれよ」 「冗談でしょ」 と、私は返す。その後、夫に事の顛末を話すと、彼は困ったように笑った。 「めちゃくちゃ嫌なこと言われた。……なんて、私も今まで中卒をこれでもかってくらい見下してきたけどね。まあ、事実だからな」 「へ? 私の味方をしてくれないの?」 「さらは悪意があって言ったわけじゃないんだよ。末っ子だからちょっとわがままだけど、可愛い妹なんだ。勘弁してやってくれ」 「これ以上攻撃してきたら、私も黙ってられないよ」 「兄を奪われた気がしてるんだろうな」 「なら、いいけど」 「ところで、さらちゃんはどこの大学を出たの?」 「ああ、あいつは高卒だよ」 「それであんなにマウント取ってきたの? 中卒と高卒とじゃ、運の差でしょ」 「もしかして、あなたも学歴主義?」 「違うし。だったら、あなたを選んでないから」 「今後も中卒いじりしてくるんだったら、嫌なんだけど」 「俺からも言っておくから。妹のことは気にしないでくれ」 「ちゃんと言っといてよ」 数日後。私は、自分の実家じゃなく、義実家に向かう前に、夫の家にいた。 「数日、冷静に考えたんだけどさ」 突然、彼が切り出した。 「離婚したら、中卒の底辺が親族とか、マジで恥ずかしいだろ」 「は? … Read more

24 September 2026

母さん、ちょっと話があるんだけど、そう切り出した瞬間、母は湯呑みを置いて、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、間を置いた。それから「はあ?何言ってるの?急に」と、鼻で嘲るように笑った。親父が死んだ。喪服の匂いがまだ残るリビングで、俺は28歳にもなって、この家を出て行けと母に告げたんだ。母さん、この家出て行ってくれる?俺たち夫婦の家にするから。母は目を細めて、「あんた、自分が何言ってるか分かってるの?」…

母さん、ちょっと話があるんだけど。 匠、どうしたの? 急に神妙な顔して。 匠はリビングのソファに座ったまま、母親を見上げた。テーブルの上には湯気の立つお茶があった。母はその向かい側に立っている。 親父も言ったし、母さん、この家出て行ってくれる? 母は一瞬、本当に一瞬だけ、間を置いた。それからゆっくりと首を傾げた。 はあ? 何言ってるの? 急に。 だから出て行ってほしいんだよ。出て行けって。 母は小さく笑った。笑うというより、鼻で嘲るような音だった。 あんた、何様のつもり? 何様って? 俺、この家の息子だし。 息子だから何? 親父が死んだんだから、この家は俺のものだろ。 母はその言葉を聞いても、怒るより先に呆れていた。目が本気で冷たくなった。 あんた、自分が何言ってるか分かってるの? 分かってるよ。当たり前のことを言ってるだけだ。 当たり前? 28年間、誰が養ってきたと思ってるの? それは母さんだけど。 だけどじゃないでしょ。あんた、結婚して3年でしょ。 そうだけど、その3年間、ずっと誰が養ってたの? 母さん。 家賃は? 払ってない。 それは。 高熱費は? 払ってない。 それは世話になってたけどさ。 食費は? 全部私が出したでしょ。 お世話になってたけど。 お世話になってた? ただで寄生してただけでしょ。 やめろよ、その言い方。 じゃあ、なんて言えばいいの? 28歳の既婚者が親の脛をかじってたって。事実でしょ。 匠は唇を噛んだ。母がここまで言い返すのは珍しかった。いつもは折れてくれるのに、今日は違う。 とにかく、俺たち夫婦の家にするから、母さん出て行ってくれる? 俺たち夫婦の家? はあ。意味が分からないんだけど。 だから、親父が死んだら俺が相続するんだよ。 相続? あんた、本気でそれ言ってるの? 当たり前だろ。 面白いわ。 何が面白いんだよ。 あんたの頭の中。 匠は立ち上がった。イスが床をこすって嫌な音がした。 何がおかしいんだよ。 この家、誰が買ったか知ってる? 親父だろ? 違うよ。 … Read more

24 September 2026

夏の午後、病院のベッドで夫が突然こう言った。「なみ、離婚してほしいんだ。」あまりに突然で、私は何かの冗談だと思った。三ヶ月の余命を告げられたばかりの夫が、なぜそんなことを言うのか。でも彼の目は、冗談を言っている目ではなかった。私たちは結婚して十五年、ずっと支え合ってきたはずだった。なのに彼は、私の知らないところで、部下の女性と深い関係を持ち、二百万円の指輪まで贈っていたのだ。「彼女がいる。愛…

病院の個室のベッドで、陽介は窓の外を見つめていた。夏の日差しがカーテンの隙間から差し込んでいる。今日はいつもより少し決意が固まっていた。隣で付き添っていた私、なみは、そんな夫の異変に気づいていた。なにを考えているのか、何となくわかるような気がした。三ヶ月。医者からそう言われたとき、二人の間に重い空気が流れたのは記憶に新しい。本当なの、と私が泣きそうになりながら尋ねたら、俺だってそうだと願いたいよ、と陽介は弱々しく笑った。 それから数日、陽介はやけに落ち着きがない様子だった。仕事の引き継ぎやら入院の準備やらで忙しいのは事実だったが、それだけではない気がした。私はてっきり、病気のことを考えて塞ぎ込んでいるのだと思っていた。だから、彼が口を開いたとき、まさかそんなことを言い出すとは思わなかった。病室の静かな空気の中、陽介は意を決したように口を開いた。 「なみ、頼みがあるんだ。」 「何? 毎日お見舞いに来るから。仕事だって、必要なら休むから。私にできることなら何でもするよ。」 「そう言ってくれると助かる。じゃあ、早速なんだけど…」 彼は一息置いて、まるでこれから始まる会話を噛みしめるかのように言葉を選んでいた。 「俺と離婚してほしいんだ。」 一瞬、何を言われたのかわからなかった。頭が真っ白になる、というのはまさにこのことだった。もちろん、病気を理由に私が離れていくことを心配して、そう言ってくれているのだと思った。私は安心させるように微笑んだ。 「もしかして、私のこと心配してるの? 私は大丈夫だよ。病気になっても支える覚悟で、あなたと結婚したんだから。最後まで寄り添うって決めたんだ。だから、そんなこと言わないで。」 「いや、普通に金が嫌になったから、離婚したいんだけど。」 私の思いを、彼は何のてらいもなく、水のように冷たい口調で切り捨てた。拍子抜けするというか、現実感がなさすぎて、変な笑いが込み上げてきた。 「え、私、何かした?」 「言ってなかったけど、彼女がいるんだ。大切な部下であり、大切な彼女でもある、あっこがな。」 「…誰それ? 浮気相手の名前?」 「違う。これは浮気なんかじゃない。出会う時期を間違えただけの、真実の愛だ。」 「それを世間では浮気って言うんですけどね。」 さっきまでの自分の発言が嘘のように、私は冷静な口調になっていた。気がつけば、心臓はバクバクと鳴っていた。彼の中では、どうやら私の返事はお見通しだったらしい。彼の頭の中は、とっくに別の女でいっぱいなんだろう。 「まあ、なんか今ので心配する気失せたんだけど。新手の冗談じゃないんだよね?」 「なわけあるか。あっこには、ハリーウィンストンの指輪を送ったんだ。結婚する覚悟がなきゃ、こんなもんプレゼントしねえよ。」 「ハリーウィンストン? …嘘でしょ? いくら払ったの?」 「200万円だったかな。愛子のためなら安いもんだよ。」 「…陽介の年収の半分以上じゃない。私、身に覚えがないよ。もしかして、うちに来てた陽介の支払いってそういうこと?」 「お前には関係ないだろ。それに、愛子のことを悪く言うなよ。そんな疑いの目で見るな。」 「言うに事欠いて、なんでそうなるのよ。浮気をして、妻の金でチヤホヤしたお相手と、また暮らすっていうの?」 「いいから、愛子を悪く言うな。愛子はな、俺の仕事のミスの溜飲を下げてくれたんだ。同僚なら助け合うのが普通だろ。こんな話、普通は崖っぷちでも手を差し伸べるもんじゃないんだよ。」 「待って待って、何があったかは知らないけど、それを聞いて私が納得すると思ってるの?」 「言っただろ、俺はこの話を聞いたら、お前だって金だって考えを改めて離婚してもいいって思うって。それに、愛子にはちゃんと才能があるんだ。お前の助けがないと、酒に逃げてダメになっちまうんだ。」 「もう、どうでもいいわ。とにかく、離婚届の準備をするから、書類を出しなさいよ。」 なんだか急に馬鹿馬鹿しくなってきて、私は怒りを通り越して呆れていた。ああ、この人はこの人で、自分のことしか見えていないんだ。私の思いは、彼にはまるで届かない。 「わかった。じゃあ、離婚届を取りに行くわ。入籍のときと違って、今は役所が休みじゃなくてよかった。」 そう言って、私は立ち上がった。しかし、彼に引き留められる。彼には、まだ大事な話が残っていた。 「まあ待て、最後にひとつ、お願いがあるんだ。」 「何よ。もう離婚するんでしょ?」 「ああ。…入院中、つまり俺が死ぬまでの間なんだが、看護はお前に任せたい。」 「…は? 何言ってるの? それ、都合よすぎない?」 「わかってる。だが、愛子にはこれ以上負担をかけられないんだ。愛子はな、母さんの面倒を見てるんだよ。どこにでもいる、気弱な女なんだ。俺がこの老いぼれの面倒を見てくれって、頼めるわけがないだろ。」 「私には関係ないわ。愛子さん、あなたの部下なんでしょ? ああ、そうだ。自慢の部下であり、恋人だもんね。私は自分の夫に浮気されて、さらにその女の病気の看病まで押し付けられるってわけ? あんた、本気で言ってるの? ふざけるな!」 「うるさいなあ。じゃあ、お前に言ってるんだ。愛子にはここで死んでもらうしかないんだ。わかったら、荷物をまとめて出て行ってくれ。」 彼は言うことを聞かない。私は怒りで震えながら、持っていた鞄を握りしめた。ああ、そうか。この人には、最初から私の存在なんて、最初から最初から、手のかかる邪魔者でしかなかったんだ。そう思うと、涙よりも先に、冷たい何かが心の中に広がっていった。 「わかったわよ。ふん。じゃあ、好きにすればいい。」 そう言って、私は病室を出た。パタン、と静かにドアが閉まる。少しして、今度は自分が病室の外にいることに気がついて、はあ、と長い息を吐いた。 しばらくして、私は義母の家にいた。病院からの帰り道、いても立ってもいられずに、つい足が向いていた。チャイムを押すと、何も知らない義母がにこやかに出迎えてくれた。 「あら、なみちゃん。久しぶりね。どうしたの? お母さん、今、お茶でも飲みながら話をしていたのよ。ちょうど、季節の和菓子でも買ってきたんだけど、一緒にどう?」 義母は何も知らない。彼の病気のことも、離婚のことも。何もかも知らない、あの屈託のない笑顔。それが、胸に痛い。 … Read more

24 September 2026

「お母さん、もうあなたとの同居は限界です。荷物をまとめて出て行ってください」——娘が放ったその一言で、私は56歳にして家を追い出されることになった。数日前、ぎっくり腰で動けなくなった私に、娘は「超迷惑でした」と笑顔で言い放った。「将来的な介護なんて真っ平です」と。夫も「正直、清々するわ」と賛成し、二人は自由を祝うパーティーを開いた。私は実家も売ってしまい、行く場所もない。仕方なく、私は彼らに…

お母さん、もうあなたとの同居は限界です。 え、さなさん急にどうしたの? いきなりそんなこと言われても。 お母さんの介護とかしたくないですし、同居は解消します。だから荷物をまとめて出て行ってください。 だから急にどうしたの? そもそも介護って、私はまだ56よ。体だって健康だし。 将来的な話ですよ、それは。それに、この間のぎっくり腰。あの時に痛感しました。こんな年寄りの世話なんて、もう真っ平だって。 いやいやいや。いくらなんでもそれは言いすぎじゃない? 確かに、ぎっくり腰の時は色々と手間を取らせたけど。 取らせたってレベルじゃないですよ。ちょっと動くだけで腰が痛いって騒いで、悶絶してるだけだったじゃないですか。家事もできずに寝てるだけだし、はっきり言って超迷惑でした。 そんなこと言われても……。 あの時確信したんです。数日のぎっくり腰でもあの迷惑さ。本格的に介護なんて始まったら、私の精神が持ちません。というわけで、我が家から出て行ってください。できれば今すぐに。 だから本当にちょっと待ってって。家から追い出されたら、行く所がないんだって。 お母さんには実家があるじゃないですか。 あなたに言われて売っちゃったわよ。あれ? そうでしたっけ? そもそも、この同居だってあなたの提案だったんじゃないの? だとしても、です。それに、これからは二人の生活を邪魔する人もいなくなるんですから、むしろ喜ぶべきですよ。 え、というか、私が出て行って本当に大丈夫なの? どういう意味ですか? だって、あなたも生活力には不安があるって言ってたじゃない。 問題ありません。私はちゃんとやりますから。 そう言うけどね。 いいですか、お母さん。私、もう大人です。夫の管理は妻の仕事ですから、これからは私がしっかりやります。 ……まあ、確かに。そうね。 ほら、わかったでしょ。じゃあ、そういうことなので。早速、荷物をまとめてください。 お母さん、出て行くってよ。 え、本当に? 何を言い出したんだ、あの人は。 わかんねえけどよ。なんか、うちに居候してる場合じゃないって言われたんだと。まあ、二人の邪魔をするなってことだろうよ。 ふうん。まあ、確かに、あの人いると色々とうるさかったからな。 だよな。正直、清々するわ。 でも、家事をやってくれる人がいなくなるのは痛いよな。 それは仕方ないだろ。俺たちも大人なんだし、自分たちでやるしかないんだよ。 まあ、そうだね。そういや、お袋、どこに行くんだろうな。 さあな。実家は売ったって言ってたから、親戚の家とかに転がり込むんじゃねーの。 ふーん。まあ、私たちには関係ないか。なあ、今日は酒でも飲もうぜ。自由になった記念日だ。 いいね。私も友達呼んで、盛大にパーティーしちゃおうかな。 おいおい、毎日はやめろよ。 大丈夫だって。今日だけだよ、今日だけ。 数週間後。 もう無理。我慢の限界です。 あらあら。どうしたの、ユウト君。何だかデジャブを感じるわね。 ……何の話ですか、それ。 あ、いや、こっちの話よ。それで、サナさんはどうしたの? お袋が出て行った後、あいつ、毎日のように友達呼んで酒飲んで騒いでるんですよ。夜遅くまでうるさいし、後片付けもしないし。おかげで仕事どころじゃないんだ。 それは大変ね。でも、あなたたち、週末だけってルールにしてたんじゃないの? それが、お袋が決めたルールだからって、あいつが無視しちゃって。結局、家事も全部お袋任せだったから、今になってそのツケが回ってきてるんですよ。 ふうん。なるほどね。 それで、悪いんだけど、母さんの方から言ってやってくれないか? あいつをちょっと叱ってほしいんだ。 私はもうあの子の保護者じゃないからね。自分たちの問題でしょ。 でも、母さんにしか頼めないんだよ。お願いします。 ふうん。……わかったわよ。一回だけだからね。 ありがとう。助かるよ。 … Read more

24 September 2026

「おい、ポンコツ。もう7時だぞ。まだ寝てるのか。朝飯もできてないとか、専業主婦として失格だろ。」その声で、私は布団の中で体を丸めたまま、声だけで謝った。アラームは聞こえていた。でも体が動かなかった。39度の熱。節々の痛み。それでも夫は「高が風邪くらいで大げさなんだよ」と言い放った。私は一人で義父母の介護をしていた。母は私の顔も分からなくなり、夜中に玄関の鍵をこじ開けようとする。一睡もできない…

「おい、ポンコツ。もう7時だぞ。まだ寝てるのか。朝飯もできてないとか、専業主婦として失格だろ。」 まどかは布団の中で体を丸めたまま、声だけで答えた。 「ごめんなさい。アラームは聞こえてたんだけど、どうしても体が動かなくて」 「はあ?何言ってんだよ。昨日残業で遅かった俺が起きられたんだぞ。一日中家にいるお前がなんで起きられないんだよ」 「私、一人でお父さんとお母さんの介護してるのよ」 「知ってるよ。俺が頼んだんだから」 「疲れが出る日もあるわ」 「それは甘えだろ」 まどかはゆっくり体を起こした。顔は真っ赤で、額にはうっすら汗をかいている。 「さっき熱を測ったら39度あって。節々が痛くて」 「ああ、すごいね。で、それが朝飯作らない理由になるのか?」 「フラフラして起きれないのよ」 「LINEはできるんだろ。さっきまで返事してたじゃねえか」 「返事をしなかったら怒るじゃない。本当はLINEするのもきついのよ」 「じゃあ、包丁も持てるだろう。手を動かせるんだろ」 「お願い。今日はパンでも焼いて食べてくれない? それだけでもしてくれたら助かるんだけど」 「ふざけんな。俺はこれから仕事に行くんだぞ。パン一枚でパワーが出るわけねえだろ」 まどかは唇を噛んだ。言い返したい言葉を飲み込んで、もう一度だけ頼んだ。 「ごめんなさい。でも本当に辛くて。今日はヘルパーさんも来るし、薬飲んで少し休めば昼には動けるようになると思うから」 「高が風邪くらいで大げさなんだよ。お前はいつもそうだ」 「そんなことないよ。お母さんの徘徊がひどくて、昨晩だって一睡もしてないんだから」 「それは大袈裟すぎるだろう。また何かあったのかよ」 「本当よ。10分おきに起きて、家の玄関の鍵をこじ開けようとするのを止めるだけで精一杯だったの」 「はいはい。クソアピールおつ。あのさ、親の面倒を見るくらいで恩着せがましいこと言うなよ」 「家にいるのが楽だと思ってるの? お母さんはもう私の顔も分からないし、目を離すと外に出ようとするのよ。お父さんは私に気を使ってくれるけど、ほっておけないし。ここ一ヶ月、毎日睡眠3時間もないのよ」 「容量が悪いんだよ。適当に手を抜けばいいだろう」 「命を預かってるのに、そんなことできない」 「だから大げさすぎるんだって。介護なんて、三食昼寝付きの楽な仕事でいいよな」 まどかは声を荒げそうになるのを堪えた。 「はあ? どういう意味?」 「だってそうだろう。上司に怒鳴られることもない。満員電車に乗る必要もない。ただ狭い部屋でボケ老人と遊んでればいいだけじゃん」 「よくそんな言い方ができるわね? 自分の親でしょ」 「うるせえな。お前なんて、介護をサボったら何の価値もないんだぞ」 「は? 私のことを寄生扱いする気?」 「寄生中って言ったんだよ。読めば分かるだろ。お前は家にいて何もしてないんだよ」 「私が必死にあなたの両親を守ってきたのに、それを寄生中扱いするの?」 「事実だろ。現にお前は一文も稼いでないじゃん。俺の稼いだ金で飯を食って、俺の家に住んで、電気代も水道代も全部俺持ちだ。これを寄生中と言わずして何と言うんだよ」 「あなたが家で見てあげたいって言ったから、私がキャリアを捨ててこの家に入ったんじゃない」 「うるせえな。口答えする元気があるなら、さっさと飯作れよ。あと、ついでにお袋のオムツも変えとけ。さっきから汚れてるんだよ」 まどかは何も言えなかった。本当は言いたいことが山ほどあった。でも言えば言うほど、この男はさらに酷い言葉を投げてくることを知っていた。 「そうだ。オムツが切れるんだ。ネットスーパー使いたいから、カードを使ってもいいかな」 「カード? 何言ってんだよ。配達手数料がかかるだろう。買いに行けよ」 「熱があるって言ったよね」 「だから何だよ。金食い虫もいい加減にしろよ。先週も2万渡しただろ」 「あれは食費とオムツ代で消えたわ。介護用品って、本当にお金がかかるのよ」 「知るか。お前のやりくりが下手なだけだろ。安いもの探そうとか、節約しようとか、そういう努力が全く見えないんだよ」 「私、自分の化粧水でさえ、もう半年も買ってないのよ」 「うるさい。口を開けば金くれ、金くれ。うるせえんだよ」 「生きていくには必要なんだから、仕方ないじゃない」 … Read more

24 September 2026

義母から電話が来たのは、スーパーのレジ待ちの列に並んでいたときだった。「翔平と離婚するんですって。私の勝ちね」。え、何に勝ったんですか。私はお母さんと勝負した覚えもないのに。でも長年言い続けてきたことがようやく通じて、心の中でガッツポーズをした。やっとこの日が来た。夫婦の関係はとっくに壊れていたのに、なぜ今まで引きずったのか。手続きは済んだ、と伝えると、義母は「やっと大嫌いな嫁が出ていく」と…

翔平と離婚するんですって。私の勝ちね。何に勝ったんですか? 私お母さんと勝負した覚えはないのですが、私の長年の訴えをようやく聞いてくれたんだもの。私の大優勝だわね。前から離婚しなさいって言ってましたもんね。本当よ。この日をどれだけ待ち詫びたことか。夫婦としての関係はとっくに破綻してたんだから、もっと早く離婚したら良かったのに。 すみません。こちらも色々と準備があって。どうせ財産分与のためのものでしょ。まあ、そういうことにしておいてください。そんなわけで準備が整ったので本日届けを出しました。 で、今は何してるの? まさかもう出てった? いえいえ、子供たちと買い物ですよ。色々と荷物をまとめなきゃなので、まだ少しだけ家にいさせてもらいますね。はい。はい。いいわよ。やっと大嫌いな嫁が出ていく。これからは1人寂しく暮らしてね。 ご心配なく。子供たちは私が引き取ります。何言ってるの? 孫たちはうちに残るのよ。あんたは1人ぼっち。どうして子供たちを置いていかなきゃいけないんですか? 当たり前でしょ。翔平を育てあげたという立派な実績があるんだから、私の方が母親として優秀なのよ。そうですね。とてもご立派だと思います。だからあんた1人で出ていきなさい。あくまで子供たちの意思が大事なので、聞いてみてはどうでしょう? いいわよ。本音を聞いてもがっかりしないでね。ああ、そうそう。今日は魚でお願いね。安くなかったので今日はジオロースです。5分後。太君ばよ。何俺? 今母さんと買い物中なんだけど。まあ、連れ回されてるの? 遊びたいだろうに。かわいそうね。俺が行きたくて言ってるんだよ。母さん1人でゆう太とレー太の相手しながら買い物するの大変だろうと思って、お手伝いしてるんだ。弟の面倒を見れるなんて、なんて立派なお兄ちゃん。私の教育のたまものね。 照れちゃって。中学生らしい反抗だこと。照れてもないけど。てか、何のようなの? まあ、母さんから聞いてるけど。あなたたちのお母さんは母親失格なの。だからお母さんだけ家を出ていくのよ。何言ってんの? 父さんとバーバ以外みんな出てくよ。え? 俺もゆう太もれ太も母さんについてくから。そんな冗談やめて。バーバの心臓に悪いわ。本気だよ。男の子たちに出て行かれるのは困るわ。後継がいなくなってうちの血筋が途えちゃう。母さんの苗字になるから俺らには関係ないよ。でもうちの血が流れてるのよ。だから何? それは母さんの方にも言えることじゃん。いいからバーバとお父さんの方に来なさい。 ゆう太とレー太が喧嘩しちゃったからまたね。5分後。ちょっとシ太ちゃんが家を出るって言ってたけど、あんたがその気にさせたんでしょ? シ太はもう中学1年生です。ちゃんと自分の意見を言えますよ。洗脳したのね。ああ、なんて恐ろしい。母親たるもの。子供の考えを奪っちゃだめでしょ。じゃあ自分の息子はどうなのですか? お母さんに言われるがまま離婚して。それこそ翔平さんの気持ちを無視していますよね。あの子は自分の意思で離婚したのよ。そうなるように言い続けたんでしょ。結婚前の翔平さんはそうじゃなかったです。何言ってるの? 翔平のこと何も分かってないわね。あれが本当の翔平よ。あんな自分じゃ何も決められない大人が、実家で暮らしてるから私に甘えてるのよ。1人暮らししていた頃は自分の考えを持ってたのに。お母さんに育てられた翔平さんが少しかわいそうですね。嫉妬してるんでしょ? あんたじゃなくて私に甘えてくるから。その年で小離れしないのは異常ですよ。もうお会計しなきゃなので失礼しますね。 1週間後。あ、本当にみんなで出ていく なんて愚かなことしたわね。後悔しても知らないわよ。今まで大変お世話になりました。どうせ引っ越し先はボロアパートの狭い部屋でしょ。シングルマザーの定番よね。かわいそう。4人で過ごすには十分の広さがある部屋なので大丈夫です。強がっちゃって。未来の後との孫たちが本当に不自由してないか? 私がチェックしてあげる。5分後。し太君大丈夫? 何が? うちに帰りたくなったらいつでも言うのよ。バーバがすぐに迎えに行くからね。いや、全然困ってないし。むしろ前より超快適だから。何強がっちゃってるの? アパートなんて気を使うことばかりでしょ。誰がアパートに住んでるって言ったの? 違うの? ならマンションどこに住んでるか教えて。なんでバーバに引っ越し先教えなきゃいけないの? あなたたちの祖母なんだから知る権利はあるわ。バーバには教えたくない。俺もゆう太もレー太も引っ越してから喧嘩が減ったんだ。もうバーバのいるところには戻らないよ。あら、バーバに向かってそんなこと言うの? 反抗期でも言っていいことと悪いことがあるでしょ。反抗期とか関係なく普通に嫌なんだ。もうしてこないでくれる。 翌日。ちょっと翔平。何? 今残業で忙しいんだけど。あなたはこれでいいの? 子供たちはみんなあの女のところに行ったわよ。別に良くね? それの何が問題なの? 後継がなくなるでしょうが。そこまでして後継ぎるかね? 何言ってるのよ。後継もだけど、嫁と子供全員に出て行かれたなんて知られたら親戚中から笑いものにされるわよ。そう言われてもなあ。うちは本家でもなければ大した家系でもないじゃん。あのね、私がいなくなったら誰がお墓の面倒を見てくれるの? 演技でもないこと言うなよ。いずれはあなたも同じお墓に入るのよ。無縁仏にする気。お墓の面倒のために家族の面倒見ろってこと? やりたくねえ。あの子たちの面倒なら新しい嫁を用意すればいいじゃない。新しい女は確かにいいかも。そうでしょ。あんな嫁よりもっといいの見つけなさいよ。でもさ、なんでそこまでして一緒にいたいんだよ。特にショ太なんて口ばっかり達者で可愛げないじゃん。あの子にあふさわしい賢さだからよ。だったらシ太だけ引き取れば将来結婚するとも限らないでしょ。保険としてゆう太君とレー太君にもいてもらわなきゃ。うちを反映させるために。俺の給料と母さんの年金だけでガキ3人養えるかよ。ただでさえアカが稼いだ分が減って苦しいのに。それについては何の問題もないわ。むしろ孫たちがいることでお金が増えるの。給付金がどう増やすっつうんだよ。あなた、児童手当の存在を知らないの? なんかそんなのあったよな。役所関係は全部アカがやってたからな。3歳以上は1人当たり月1万円。3人目は年齢関係なく一律3万円。合計1ヶ月で5万円ももらえるのよ。あいつらいるだけでそんなに金もらえるのなら、俺も取るわ。そうしなさい。 1週間後。よ。新生活はどうだ? 男は黙ってください。シ太と優太が得意な教科は? 何で俺がそんなこと知らなきゃいけないんだよ。あなた、自分の子供のことも知らないの? だって、今まで全部アカに任せっきりだったからな。これからはちゃんと関わろうと思ってるんだ。今更? もう遅いわよ。子供たちはもうあなたのことなんて必要としてないもの。あの日、孫たちに会いに行ったら、あいつら、私の顔を見るなり家の中に入れてくれなかったんだ。バーバは来ないでって言われてな。あいつら、本当にあんたのことが嫌いなんだな。そんなことない。あの子たちはただ単に反抗しているだけよ。もう少しちゃんと叱れば言うことを聞くわ。あの子たちはもう子どもじゃない。自分の考えがちゃんとあるんだよ。あなたに何が分かるのよ。あなたは娘を追い出してまで何を手に入れたかったの? 私は自分の孫たちの幸せを願っていただけよ。あの女のところに行って、本当に幸せになれると思ってるの? あの子たちのことなら心配してないわ。アカは立派な母親よ。あんたと違ってな。何ですって? あんたの方こそ、いつも自分のことばかりで。翔平の気持ちも考えずに離婚させて。俺は母さんに言われたから離婚しただけで、本当はまだアカのことが好きなんだよ。え? あんた、何て言ったの? 俺は最初から離婚するつもりなんてなかった。母さんがしつこく離婚しろって言うから、断れなくて。何て愚かなことをしてしまったんだろう。じゃあ、どうして離婚したのよ? 母さんに言われたからだよ。自分の気持ちも伝えられないまま、ずるずると。あんた、馬鹿なの? 本当はあの女とよりを戻したいんだろうけど、もう遅いわよ。あの女には新しい男ができたかもしれないし。そんなことはない。アカは俺のことをまだ好きだと思う。どうしてそんなことが言い切れるのよ? 自分の妻のことを信じてるからだよ。母さんには分からないかもしれないけど、俺はアカと子供たちを取り戻したいんだ。あんた、本気で言ってるの? ああ、本気だ。もう二度と母さんの言いなりにはならない。何よ、その態度は。俺はいつも母さんの言うことを聞いてきた。でも、もうそれじゃダメなんだ。自分の人生は自分で決める。これは、俺の決意だ。 … Read more

24 September 2026

義母が「三月で定年退職するから、これからはもっとあなたたちをサポートできるわ」と言ったのは、何気ない昼食の席だった。正直、子育てと家事を一人で回すのに限界を感じていたから、その言葉に安堵した。夫も目を輝かせていた。私もパートに出たいと相談すると、義母は「もちろんよ、私がサポートするから」と笑ってくれた。あの時は、本当にそう信じていた。なのに数ヶ月後、保育園から「お迎えが誰も来ていません」と何…

「ねえ、私、三月で定年退職することになったから。これからはもっとあなたたちのサポートに時間を使えると思うわ」 昼食の席で、義母が何気なくそう切り出した。夫の司聡と向かいに座っていた私は、箸を止めて義母を見た。 「え、本当? めっちゃありがたいよ」 司聡が目を輝かせる。私も驚きつつも、心のどこかで安堵していた。正直、子育てと家事を一人で回すのは限界があった。義母がいてくれるなら、どれだけ心強いか。 「でもお母さん、せっかく仕事辞めるなら旅行とか、自分のために時間使ってもいいんじゃない?」 「まあ、それはおいおい考えるわよ。とにかく、家にいる時間が長くなるから、そのことだけ佐苗さんにも伝えておいてくれるかしら」 「オッケー。苗絵も喜ぶと思うよ」 数日後、私は義母に呼び止められた。 「佐苗さん、お母さんが定年退職されるって聞いたんだけど」 「ええ。そうみたいです」 「そうなのよ。家にずっと義母がいるのは嫌かしら?」 「そんなことないです」 義母は急に真剣な表情で身を乗り出してきた。 「そうじゃなくて、ちょっとご相談したいことがありまして。私、パート始めてみたいんです」 「あら、ついに復職するの?」 「子育てとの両立に自信がなかったんですけど、朝の送り迎えも四月で保育園児も卒園しますし。お母さんがお家にいてくれるなら、私もやってみたいなと思いまして。ご迷惑をおかけするかもしれないんですが、いいでしょうか?」 義母は嬉しそうに笑った。 「もちろんよ。頑張って。むしろ子育てにはこれからお金がかかるんだし、働きに出るのはいいことだわ。私もできる限りサポートするからね」 「ありがとうございます。うち、実家が遠くてなかなか頼れないし。お母さんがいてくれて本当に良かったです」 あの時は、本当にそう思っていた。 — 数ヶ月後。夕方、保育園から帰ってきた私の携帯に、見覚えのない着信履歴が並んでいた。全部、子供の保育園からだ。嫌な予感がして折り返すと、先生の慌てた声が聞こえた。 「どうなってるんですか? お子さん、お迎えが誰も来なくて、学校で一人で待ってるんですけど!」 時計を見ると、午後六時を回っていた。パートが長引いて、義母に連絡を取るのを忘れていたのだ。慌てて学校に迎えに行き、子供を連れて家に帰ると、義母が居間に立っていた。機嫌が悪いのが、背中だけで分かった。 「ちょっと、佐苗さん。何度も連絡してるのに、なんで出ないのよ」 「仕事してたに決まってるでしょ。職場にまで電話してくるなんて、何考えてるんですか?」 「当たり前でしょ。今日は司聡が午前中で帰ってくる日で、私も病院で注射するから、あなたが今日はパートを調整して家にいるって、一ヶ月前に話してたわよね? なんで家にいないの?」 「……急に仕事が入って。それに、病院はお母さん一人で行けるでしょ?」 「そういう問題じゃないの! 私、学校から電話がかかってきて、迎えに行ったんだから。あなた、何考えてるの? 連絡の一つもできないの?」 「パート先で詰みがあったから、出てきたんです。私だってこれでもそれなりに頼りにされてるんですから。それに、お母さんに一々いちいち抜け駆けされたら、仕事どころじゃないんですよ」 「抜け駆け? なんで私の仕事に口出しするのよ!」 「だって、お母さん無職じゃないですか。定年退職して暇なんだから、家のこともっとしっかりしてくださいよ」 「あなたね……」 その日は、それで終わった。少し前まで、あんなに分かり合えていたのに。義母の定年退職が、何かを狂わせてしまった。 数日後、今度は夫の司聡が電話で声を荒げていた。 「姉さんから聞いたよ。仕事に行ったんだって? なんで一言も言わないんだよ。俺と母さんにだって、連絡するぐらいできるだろ?」 「仕事が忙しかったの。連絡する余裕なんてなかったのよ」 「余裕がないでしょ? 母さん、ぷんぷんだったよ。もう一度ちゃんと謝って、今後のことは話し合おうよ」 「……分かったわ。ごめん、ちょっと言い過ぎた。お母さんにも謝る」 その日の夕方、部屋のドアがノックされた。 「佐苗さん。ちょっといいかしら」 義母が、眉をひそめたまま立っていた。手に、わたしのスマホを持っている。 「これ、あなたの携帯。職場に置き忘れてたわよ。それより、あなた最近、私の言うことに対して何かと噛み付きすぎじゃない?」 「……何かって、別に」 「『別に』って。あなた、私が定年退職したのを、いいように利用してない?」 「利用って、何言ってるんですか。私は働くって決めたんです。お母さんに何かしてもらおうなんて思ってません」 「じゃあ、なんでパートの人に『遅くなる』って連絡もせずに、堂々と帰ってくるの? … Read more

24 September 2026