「娘の結婚式を欠席するですって?」義母の鋭い声が、電話の向こうから飛び込んできた。出産予定日と式が重なっただけなのに、その日は予定帝王切開の日で、双子の一人が逆子だから、ほかに選べる日なんてなかった。それなのに義母は「自然分娩じゃないの?あの陣痛に耐えてこそ、母親になれるってものでしょ」と笑った。「式を欠席するわ。勝手に腹切るわ。ありえないわ。土下座で謝罪させるから、覚悟しなさい」。なぜ私が…

「娘の結婚式を欠席するですって?」 義母の鋭い声が、電話の向こうから飛び込んできた。ほのかは受話器を耳に当てたまま、静かに息を吸った。 「お母さん、行きたかったんですが、申し訳ありません」 「嫁の分際で、どういう神経してるの?あんたが来ないことで、親戚がスカスカになるのよ。何をそんなにお怒りなんでしょう?」 「出産日とかぶったから、娘の式を欠席するんですって?」 「はい。その日は予定帝王切開の日なので」 「なんで自然分娩じゃないのよ。あの陣痛に耐えてこそ、母親になれるってものでしょ」 「双子で、しかも一人が逆子なので、仕方ないんです」 「何が何でも下から産まないとダメ。だったら、お医者さんに行ってくださいよ」 「本当に不義理な嫁ね。私だって下から産めるなら、そうしたいですよ」 「式を欠席するわ。勝手に腹切るわ。ありえないわ。土下座で謝罪させるから、覚悟しなさい」 ほのかは受話器を握る手に力を込めた。なぜ私が謝らないといけないのだろう。その思いが、思わず口からこぼれかけた。 「なぜ私が謝らないといけないのでしょうか?」 「非常識なことばかりしてるからよ。日にちをずらせないの?」 「私だって、わざわざ式の日にぶつけたりしませんよ。ただ、手術の予定もその日しかなかったんです」 「最近の若い子はダメね。私の時代は、そんな甘い許され方はなかったわよ」 「確かに下から産むって大変なことよ。逃げたくなる気持ちも分かるわ」 「逃げたとかじゃなくてですね」 「私もね、誠とほのかを産んだけど、そりゃもう痛かったわ。でも、その痛みは私が頑張った証。誇らしかった。だからね、ほのかさんも下から産むべきよ」 「ごめんなさい、帝王切開の方が痛いらしいですよ」 「産む時に痛くなきゃ、意味ないでしょ。全く。そんなんで、ちゃんと母親が勤まるのかしら」 「下から産んでも、鼻から産んでも、ちゃんと育てますから」 「私なんてね。誠が高校を卒業する前に、夫に病気で先立たれて。それ以来、女一人で育ててきたのよ。それに比べて、あんたは楽ばっかりして」 「子育ても、悟に頼るつもりじゃないでしょうね」 「二人の子供なので、当然協力して育児しますよ」 「ダメダメ。育児は女の仕事。結婚式などの親族の付き合いに顔を出すのも、嫁としての大事な勤めなのに、それを放棄するのは許さないわ」 ほのかは、ここで一度言葉を切った。義母の主張は、あまりにも一方的だった。だが、これ以上言い争っても平行線だろう。 「そこまでおっしゃるなら、式には父が代わりに行きますので、それでいいですか?」 「なんで父親が関係あるのよ。招待もしてないのに」 「一応、親族になりますよね」 「じゃあ、父親に土下座させるわ」 「父が何を謝る必要があるんですか?」 「まあ、親子揃って謝罪しないって言うの?」 「出席できないのは申し訳ないと思ってますが、わざとではないし、土下座させられることでもありません」 「親が親なら、子も子だわ。普通は出席するよう説得するのが父親の役目なのに。ダメな親ね。だから娘にも常識がないのよ」 「父はちゃんと、人として大事なことは教えてくれました」 「教えてないから、今こうなってるんでしょ。親とは何たるかを、私があんたの父親に教えてあげる。式で会えるの楽しみにしてるわって、伝えておきなさい」 電話が一方的に切られた。ほのかは、深いため息をついた。隣で聞いていたのか、夫の誠が気まずそうに口を開く。 「お父さんが代わりに出席って、本当か?」 「うん。私の隣に座るんだろうね」 「マジで冗談じゃないんだけど」 「その日しか産めないんだから、仕方ないじゃん。それに、親族席に穴を開けるなって怒ったのは、あなたのお母さんだからね」 「だからって、普通、お父さんを呼ぶか?非常識だろ」 「そうかな。この上ない代役だと思うけど」 「ふざけんなよ。俺がお前の分の飯も食おうと思ってたのに」 誠の言葉に、ほのかは呆れて頭を振る。 「家だけじゃなく、人の結婚式でも食い尽くすのやめてよ」 「俺は常に腹が減ってんだよ」 「お母さんは、あなたにも欠席して出産に立ち会って欲しかったのよ」 「それもそれで、気まずいから嫌だよ」 「なんでよ?」 「だって、お父さんと二人きりになるんだろ。気まずいじゃん」 「そんな言い方ないでしょ。自分の子供が生まれるんだよ」 「そうだけどさ、俺、病院が苦手なんだよね」 「だったら、待合室で待っててもいいよ」 … Read more

25 September 2026

義母に「息子の稼ぎでのうのうと暮らしてるくせに」と言われた瞬間、私は黙っていられなくなった。夫の父の一周忌の席で、親戚全員の前だった。「私はあなたに養ってもらってるわけじゃありません」と返したら、義母は笑いながら「親族の前であんたを罵倒するの、最高に楽しいわ。これからこれを趣味にしちゃおうかしら」と言った。その夜、夫に「お母さんが嘘を言ってるのよ、否定してよ」と泣きついた。なのに夫は「お前が…

ともこさん、来月、夫の一周忌があるのは分かってるわよね。それにはあんたもちゃんと参加しなきゃダメよ。 はい、もちろんです。承知してます。 お母さんはお一人になられて大丈夫なんですか? 寂しいとか、不安とか、そういうのはないんですか? 何それ。バカにしてるの? 私がたった一人で何もできない女だとでも言いたいの? いえ、そういう意味じゃなくて。私はあなたとは違うんです。自分で仕事だってしてますし、生活だってちゃんとできてます。あの収入に頼って暮らしてる人とは違うんですよ。 頼ってるというのは間違いですね。でも私だって家事だってやってますよ。 ふん。ああ、本当に不憍だわ。せっかく大手に入社して、出世もしてるっていうのに。その妻がこんなに地味で、何の取り柄もない人だなんて。どうせなら、もっと美人な人の方が良かったでしょうに。 勝手なことを言わないでください。私たちは仲良くやってますから。 あらあら。何も知らないのね。 どういうことですか? あなたのような人と、うちの息子が結婚したこと自体が信じられないと言ってるんですよ。 お母さんに、とやかく言われる筋合いはありません。私たちは幸せですから。 幸せなのはあなただけよ。息子の稼ぎでのうのうと暮らしてるんだから。 私は、やれることはやってます。それに、専業主婦になったのだって、話し合った結果です。もし文句があるなら、結婚する時に言えば良かったじゃないですか。どうして結婚してもう十年も経った今頃に言うんですか。 何か、陰であんたが夫に好かれてたから、気を使って言わなかっただけよ。 お父さんがいなくなってから、態度を変えるなんて、意地悪なことはしないでください。私はあの人の幸せのためにやってるんです。 余計なお世話よ。やめてちょうだい。 あんたね。 では、一周忌に関しては参加させていただきます。失礼します。 三時間後。 と、とにかく悪いな。今日も残業になった。飯はいいから、先に食べててくれるか? また最近、そればっかりじゃない? 仕事ばかりでしょ。 出世して、与えられる仕事の量も増えたんだよ。それに、勤務外でもやらないといけないことも多くなったし。 接待とか、そういうこと? そうそう。でも、これをサボるわけにはいかないんだ。俺はまだまだ出世したいと思ってる。ようやく出世コースに乗れたんだ。ここで緩めるわけにはいかないんだよ。 あなたが昔から、仕事で成果を上げたいって言ってたのは知ってるわ。私もそれは応援してるつもり。でも、あんまりにも仕事ばかりで心配なのよ。全然、家にも帰ってきてないじゃない。 それだけ頑張ってるんだ。そんな俺のことを応援してくれよ。 心配の方が強いわ。 それと、お父さんの一周忌のことなんだけど。お母さんから参加するようにって連絡が来たわ。ちゃんと休みを取ってくれるよね? まあ、なんとかしてみるよ。 お母さんからも嫌みを言われてるんだから、私を一人で行かせるみたいなことはしないでよ。 母さんから何か言われたのか? そうよ。お父さんが亡くなってから、すごく厳しいの。前はあんな感じじゃなかったのに。なんか、お母さんを怒らせたんじゃない? そんなことするわけないでしょ。 とにかく、母さんとは仲良くしてくれよ。俺にとっては大切な母親なんだからさ。 分かってるわよ。それじゃあ、俺は遅くなるから。 はい。体には気をつけてね。 三日後。 お姉さん、今度の一周忌は来られますよね。 え、もちろんよ。久しぶりにお姉さんに会えるの、楽しみにしてるわ。 そうね。何度か一緒に遊ぼうって約束してたのに、結局叶わなかったわね。ごめんなさい。私からお誘いしたのに。 いいのよ。お仕事も大変でしょ。あなたのように仕事を頑張ってる人は素晴らしいと思うわ。私なんて、ただの専業主婦だから。 そんなこと言わないでくださいよ。お姉さんがやってくださってることは、私、よく知ってますから。 そんな大したことはやってないわよ。 そんなことはありません。私もお父さんも、本当に感謝してるんです。 それなら、救われるわ。 お姉さんは絶対に参加してくださいね。正直、私、お姉さんがいないのなら行きたくないくらいですから。 え、そうなの? お父さんの一周忌は大切ですよ。そうじゃなくて、お母さんと会うのが、あんまり好きじゃないんです。 へえ、そうなんだ。 なんか、肩書きとか年収とか、そういうので自慢する人じゃないですか。別にお母さんは普通の人なのに、兄さんのことを利用してマウント取ってるし。 確かに、そんな感じはあったわね。 … Read more

25 September 2026

妹から突然の電話があった。「ヤッホー、お姉ちゃん。15年前に奪った彼と実家に帰るから、出て行く準備してね」。夕食の支度をしていた手が止まった。15年間、一度も連絡を寄越さなかった声。夫を奪って逃げた妹が、今度は実家と遺産を目当てに戻ってくるという。「お姉ちゃんに拒否権なんてないから。勝手に入るね。荷物も処分しておくし、42歳で実家暮らしって恥ずかしいよね」。母に相談しても「妹と仲良くしなさい…

「ヤッホー。お姉ちゃん、久しぶり。15年前にお姉ちゃんから奪った彼と、実家に帰るよ。だから、出て行く準備しておいてね」 突然の電話だった。姉は受話器を握る手に力が入るのを感じた。懐かしい声、いや、忘れたい声だった。 「はあ?何を馬鹿なこと言ってるの。今更何なのよ。15年も連絡もしてこなかったくせに、いきなり意味不明なことを言わないで」 「えー、私なりの気遣いだよ。だってさ、お姉ちゃん、私と会うの気まずいでしょ?だから、一応連絡してあげたんだよ」 「気遣い?あんたよく言うわね。15年も前に私の夫を奪って逃げたくせに、よく平気な顔して私の住む実家に帰ってこれるわね。何様のつもり?」 「でも、私の実家でもあるんだから、帰る権利あるよね。それに、どうせお姉ちゃんまだ独身でしょ?だったら、出て行った方が結婚できるんじゃないの?」 「独身だろうが一人暮らしだろうが、あんたに関係ないでしょ」 「うわ、そうやって言い訳ばっかりで、本当に惨めだよね。でもさ、出て行った方がお姉ちゃんのためだよ。さすがに元夫がいたら住みにくいでしょ?だから、出て行って欲しいの」 姉は頭が真っ白になった。元夫、その言葉に、15年前の記憶が鮮明に蘇る。妹は何も分かっていない。いや、分かっていて言っているのだ。 「元夫って…あんた何言ってるの?さっきから自分の主張ばかり。私がいたくないなら、来なければいいでしょ」 「ちょっと節約したいんだもん。実家なら家賃かからないじゃん。私の家でもあるんだし。お姉ちゃんが追い返すとか意味わかんない。勝手に決めないでよ。大体、私はお姉ちゃんと会いたくもないんだから」 「私の夫を略奪しておいて、どの面下げて帰ってきたのよ。ふざけんな」 「心は変わるんだよ。それに、お姉ちゃんが出て行くのは決定事項だから。私が帰るんだもん。当然でしょ?」 「当然?あんた、正気?」 「お姉ちゃんに拒否権なんてないから。実家の鍵、まだ同じでしょ?勝手に入るから大丈夫」 「何を勝手に…」 「お姉ちゃんの荷物も、適当に処分しておくね。部屋はそのまま使うから。ねえ、42歳で実家暮らしって、恥ずかしいよね。ちゃんと自立した方がいいよ。正直、キモいから」 「何が『実家だから帰る権利』よ。大体あんたこそ、15年も音信不通だったじゃない。それで『家は私の帰るところ』?思い上がるのもいい加減にしなさいよ」 「そんなの知らないし。家は家だもん。てか、お姉ちゃんこそ、なんで結婚しないの?」 「結婚より、仕事してる方が好きだからよ。もう結婚はごめんだわ」 「見栄っ張りは相変わらずだね。は?結婚できないのは、要するに、男に振り向いてもらえないからでしょ?お姉ちゃんって昔からどん臭かったもんね。だから浮気されるのよ。魅力がないから」 「それは、違うわ」 「何が違うの?確かに浮気した彼が悪いのかもね。でも、わざわざ私の夫を狙ったのは、お姉ちゃんじゃないでしょ?結果的に彼は私を選んだんだよ。分かる?仕事ばっかりで、彼の気持ちが離れたことにも気づかないで、奥さん面してたんだから」 「私は、仕事も家事も、全部やってきたのよ。それなのに、浮気されて…」 「それって、お姉ちゃんが悪いってことでしょ。私はちゃんと彼を満足させられたもん。お姉ちゃんができなかっただけ。お姉ちゃんに女としての魅力がなかったってことじゃん」 「違う…」 「仕事ができても、女としてダメなら意味ないんだよ。私はどれだけ頑張ってきたか。ねえ、でも結局浮気されたんでしょ?ってことは、頑張り方が間違ってたってことじゃん。お姉ちゃんって本当、頭悪いよね」 「…っ」 「だから、実家も当然私がもらうから」 「もらう?何言ってるの?」 「え?意味分かんない?でも安心してよ。家族の面倒は、適当に私が見てあげるから。お姉ちゃんは、養ってもらえる相手もいないし。施設とかどう?施設って、そんな年でもないけど。今から探しておいた方がいいんじゃない?よかったら、施設の写真とか送ってあげよっか?」 「大きなお世話よ。大体、なんでそんなこと言い出すのよ」 「しばらく、親と関わらないといけないんだもん」 「なんで今更、関わろうとするのよ」 「だって、その方がお金の管理もできるでしょ?最後にもらえるものも多くなるじゃん」 「…お金?」 「そう。遺産の話。最後には、私がもらうから。ねえ、お母さんたちの貯金とか、どうなってるの?ちゃんと貯めてるのかな?」 「ちょっと待って。お母さんたちの財産の話?まだ生きてるのに、そんな不謹慎なこと、よく言えるわね」 「まあ、どうせお姉ちゃん、一人じゃ何もできないでしょ。私が帰ったら、全部管理してあげるから。そうなれば、遺産は自然と私のものになるってわけ」 「遺産目当て…。ちょっと待って。あなた、本気でそんなこと考えてるの?」 「当たり前じゃん。お父さんとかお母さんの貯金とか、不動産とかあるでしょ?ゆくゆくは相続することになるんだから、その時は全部私がもらうから。お姉ちゃんには、無理でしょ」 「あんた、15年も連絡してこなかったくせに、いきなり遺産の話?正気?」 「お姉ちゃんこそ、ずっと実家にいたのに何してたの?お金、貯めてないの?あー、まあ、お姉ちゃんの稼ぎじゃ、無理か。私はちゃんと働いて、ちゃんと貯金もしてるけどね」 「へえ…。でも、どうせ大した額はないんでしょ?…あのさ、お父さんとお母さんの介護とか、どうするつもりなの?あんたが面倒見るって言ってたけど」 「介護?そんなの、施設に入れればいいじゃん」 「…!」 「お金あるんでしょ?お姉ちゃんが何とかすればいいじゃん。簡単に言うわね」 「だって、めんどくさいし。お姉ちゃんがやればいいじゃん。ずっと実家にいたんだから。あ、そうだ。お姉ちゃん、私が帰るまでに、部屋の掃除しといてね。あと、私の布団も、新しいの買っといて。お金はお姉ちゃんが出してよ」 「なんで、私が…」 「家族でしょ?当然じゃん。あとね、冷蔵庫も新しいのが欲しいから、買っといて。エアコンのクリーニングも、よろしくね」 「は?あんた、何言って…。家族?あんた、私のことは、もう妹ですらと思ってないのよ」 「血の繋がりもあるし、戸籍もあるんだから、家族でしょ。お姉ちゃんの主張とか、どうでもいいから。ぐちぐち言い訳しないでよ。みっともない」 「…」 「かわいそうに。ねえ、お姉ちゃんって、人生失敗したよね?私を見習えばいいのに」 「あんたみたいな、人の旦那を略奪するような奴から、見習うことなんて、1ミリもないわ」 … Read more

25 September 2026

あの日の電話は、まさにその一言から始まった。「あんたの月祝いでバーベキューやるから、週末うちに来なさい」。義母の声はいつも通り有無を言わせなかった。臨月の私は「できることなら家でじっとしておきたいです」と穏やかに断った。でも「妊婦は動かないといけないのよ」「あんたはうちの嫁なのよ」と畳みかけられ、さらに「夫の父が末期なの。おじい様が、もしかしたら出産に間に合わないかもしれない」と言われて、私…

あの日の電話は、まさにその一言から始まった。 「あんたの月祝いでバーベキューやるから、週末うちに来なさい」 義母の声は、いつものように有無を言わせない調子だった。私は腹に手を当て、もうすぐ生まれる子のことを考えながら、できるだけ穏やかに返した。 「お祝いなら、3でお願いします。元気な子が生まれるよう、気を使ってやってるんでしょ」 「できることなら家でじっとしておきたいです」 本当にそう思っていた。臨月の身体は重く、無理をすればすぐにお腹が張る。病院からも安静にしろと言われているわけではないが、無理は禁物だと医師にも言われていた。 「本当に常識がないのね。妊婦は動かないといけないのよ」 「はい、知ってます。自宅付近を毎日散歩してますので」 「じゃあ問題ないじゃない」 問題ありまくりだ。私はため息を飲み込んだ。お母さん主催のバーベキューには、嫌な思い出しかない。結婚して初めてのバーベキューでは、準備に追われて肉にありつけなかった。次の回は買い出しに行かされている間に終わってしまい、誰もいなくなった後の炭の残り火だけが残っていた。その次は、私の服に火の粉が飛んで軽い火傷をした。あれは火の粉なんかじゃなかった。義母がチャッカマンで私の服を間違えたんだ。いや、違う。あれはわざとだ。あの時、義母は笑っていた。 「お母さん、私は行けません」 「はあ? 何言ってるのよ。あんたはうちの嫁なのよ。我が家にとってバーベキューは伝統的なイベントなの」 「私、あれはやめた方がいいと思います」 「はあ?」 「前回、ご近所さんが怒鳴り込んできたじゃないですか。うるせえって」 「あんな変屈いさんの言うことなんて聞くことないのよ」 「住宅街の真ん中でバーベキューして大騒ぎっていうのは、いかがなものかと」 「あんたはうちの伝統を知らないから、そんなこと言うのよ」 「そうですか。では、伝統を守るべく頑張ってください」 「文句あるの? 「いえ、人ごとだと思ってるので」 「人ごとじゃないのよ。あんたも来なさい」 「何度断れば分かっていただけますか?」 「どうしても来て欲しい理由があるの」 「なんですか?」 義母の声が急に低くなった。何か企んでいる時の声だ。嫌な予感がした。 「夫の父が末期なのよ。おじい様が、もしかししたら出産に間に合わないかもしれないの」 一瞬、言葉を失った。義父は去年まで元気だった。沖縄に引っ越したと聞いていたが、病気だったのか。お世話になった人だ。孫の顔を見せられないかもしれないと言われれば、断る理由もなくなる。 「それは知りませんでした」 「大きいお腹だけでも見せてあげて欲しいのよ」 「おじい様にはよくしていただきましたし。そういうことでしたら、伺います」 「本当? 長時間は無理かもしれませんが」 「それでいいわ。あなたは何もしなくていいから」 「最初からそう言ってくださればよかったのに」 「義父は自分の病気のことを伏せたいらしいのよ」 「そうなんですか」 「だから、あってもそういう話はしないであげて」 「わかりました。夫のスケジュールも確認します」 「息子は連れてこないで」 「なぜですか? おじい様も私より孫に会いたいのでは?」 「あの2人は馬が合わないのよ」 「そんな話、聞いたことないんですが」 「平日の16時だし、どうせ仕事でしょ」 「確かにそうですが」 「あなた1人でいらっしゃい」 当日、私は一人で義実家を訪れた。玄関をくぐると、すでに宴は始まっていた。親戚が数人、庭で飲み食いしている。私はお腹をさすりながら、義父を探した。が、姿が見えない。具合が悪いのか、もう部屋で休んでいるのか。 「来たわね、おめでたいお腹を見せてちょうだい」 義母が私の前に立ちはだかった。顔は笑っているが、目が笑っていない。それにもうビールの匂いがプンプンする。酔ってるな、多分。 「お父様はどちらですか?」 「ああ、急に具合が悪くなったって、さっき病院に行ったわよ。あれ? 報告来てなかった?」 「いえ、聞いてませんが」 … Read more

25 September 2026

昼下がりに姑が突然訪ねてきて、玄関を開けた瞬間から嫌な予感がしたんです。だって、その顔には「今日は機嫌がいいわよ」って書いてあるみたいな笑みが浮かんでいたから。三年間、毎日のように私を責め続けてきた人が、急にそんな顔をするなんて、絶対におかしいじゃないですか。お茶を出しながら、私は心の中で警戒していました。すると姑は、まるで私の心を見透かしたように、とんでもないことを言い出したんです。「ふか…

姑が突然訪ねてきたのは、昼下がりのことだった。顔には「今日は機嫌がいい」という微笑みすら浮かんでいる。それがもう不気味だった。ふかは台所からお茶を運びながら、訪問の理由を探る。姑はいつもの強気な態度ではない。何かを決意したような、妙に落ち着いた顔をしていた。 「ふかさん、息子の浮気を許してくれてありがとう。本当にあなたは最高のお嫁さんだわ」 何の話をしているのか、一瞬分からなかった。広告や会社の書類の話ならまだしも、夫の浮気? 確かに、つい先日、けんかをした。つい一週間前、夫のひろつぐから「浮気をした」と聞かされたのは。だが、それを姑に話した覚えはない。姑が何かの勘違いをしているのは明らかだった。 「お母さん、何の話でしょうか? 私は何もお聞きしていませんが」 「ひろつぐに聞いたわよ。浮気したけど、許してもらえたって。あの子、あなたに言ったんでしょ?」 「……まあ、少し。確かに、そんな話はありました。ですが、私はまだ何も決めていません。許したわけでは」 「あら、そうなの? でも今、怒ってないわね。アンタの顔を見れば分かるわよ。男は必ず本斎の元に戻ってくるのよ。自信を持って堂々としてれば、それでいいの」 ふかは湯呑みを置いて、ゆっくりと息を吐いた。この姑が急に優しくなった場合、何か裏がある。これまで三年間、毎日のように辛く当たってきた人間の態度とは思えなかった。 「ふかさんは会社を立ち上げて、立派に経営してらっしゃるしね。こんなことで同じる弾じゃないわよ」 「お母さん、仕事のことと夫婦のことは別です。それに、お母さんが急にそうやって態度を変えられると、正直困ります」 「あら、どうして? 私はアンタのことを考えて言ってるのよ」 「そんなこと、お母さんは一言もおっしゃいませんでしたよね。『女社長なんか、三文の値打ちもない』って、何度も言ってましたよね。会社にまで押しかけてきて、『こんな小さな会社、潰してしまいなさい』って。社員の前で怒鳴ったことも忘れたんですか?」 姑は一瞬、言葉に詰まった。それから気まずそうに目をそらして、手に取った茶碗をじっと見つめた。何かを隠しているときの癖だ。 「……言った記憶はないけど。言ってたとしたら、ごめんなさいね」 「妙に態度が違うのが怖いですよ。何があったんですか? ひろつぐに何か言われたんですか?」 「アンタね、私、やっと自分の謝ちに気づいたのよ。確かに、息子が可愛いがあまりにアンタに強く当たってきちゃったわね。でも、それに気づいたのはホントの気持ちに気づくまで、時間がかかったみたい。可愛い息子が選んだ人だからこそ、大事にしなきゃいけなかったのよ」 「気づくのに三年かかったんですか?」 「そうなのよ。でも、今からでも遅くないわよね?」 「……どうでしょう。だいぶ遅いと思いますよ」 姑の表情が一瞬、こわばった。が、すぐに話題を変えた。手をポンポンと叩きながら、何か思いついたような顔になった。 「そうだ、ちょっと話は変わるんだけど、車が欲しいのよ」 「は? いきなり何の話ですか?」 「人生で一度でいいから、ベンツに乗りたいのよ。あれに乗ってみたいのよ、ずっと」 「買えばよろしいのでは? お好きにすればいいじゃないですか」 「え? いいの? 本当に買っていいの? 嬉しい! 若い頃からずっとアルファードに憧れてたんだよ。あ、違う、ベンツ。ベンツに乗りたいの」 「……まあ、お好きなものをお買いになれば」 「やった! 早速ディーラーに行ってくるわ! ありがとうね、ふかさん!」 姑が帰った後、ふかは深いため息をついた。何だったんだ。急に優しくなって、車を買うお金はどうする気だ? それに、あのときの会話の中で、姑は「アルファード」と言いかけた。ベンツと言いながら。あの人が本当に欲しいのはベンツではないのかもしれない。いや、そんなことはどうでもいい。それよりも問題は夫のだ。 「お母さんから連絡が来たんだけど、どういう風に話をすれば、あんな勘違いになるわけ?」 翌日、会社から帰ってきた夫・ひろつぐは、開口一番にそう言った。ふかはスマホを見つめたまま、返事をしなかった。 「『息子の浮気を許してくれてありがとう』だって。俺、お前に言った覚えはないけどな。何言ったんだ、お前が?」 「何って……許してくれたじゃん、って言っただけよ」 「その『許してくれた』ってのが、もう勘違いの元だろうが! 俺はまだ許したとは一言も言ってないぞ?」 「でも、あのとき、『反省してる』って言ったじゃない。『これからはちゃんとする』って。あれが許したことになるんだろ? 私、勘違いしてたかな」 「そりゃ、2時間も粘って謝ってきたら、逆にこっちが悪者になるだろ。事実、怒鳴ったらいきなり『離婚届』をプリントアウトして、俺に投げつけてきたの、忘れたか?」 「あの……あれは、一時の怒りというか。頭に血が上ってたっていうか。反省してるって意味で書いただけよ。本気で切るわけなかったし」 「じゃあ、お前、その『反省してる』って言葉に、俺の「浮気した」って事実が上書きされたわけ? すごい解釈だな」 「はぁー……まあ、そのままの意味よ。お母さんが急にべったりしてきて、あれでもう少し変わったかもね」 … Read more

25 September 2026

「ひろし、どこにいるの?今日は定休日だからお店の掃除をやる約束でしょ」と電話で聞くと、夫は面倒くさそうに「給料入ったから今日はパスで」と答えた。私は十五年、ほぼ無休でこの店のために働いてきた。なのに彼は「お前の仕事は楽だろ。接客と裏方だけなんだから」と言い放った。その一時間後、常連のエリカから電話が鳴った。「ひろしが、このLINEで予約を取ればいつでも入れてやるって言ってくれたの」。私は嫌な…

「ひろし、どこにいるの?今日は定休日だからお店の掃除をやる約束でしょ。まさかもうお店に行ってるの?」 電話の向こうで、夫は面倒くさそうに言った。 「悪いけどさ、給料入ったから今日はパスで。」 「え、ちょっと待ってよ。私一人でやれって言うの?」 「うちの若い職人たちが何人かいるだろ。あいつらに連絡してやらせておけばいいんだよ。」 「ちょっと待ってよ。そんな急に呼べるわけないでしょ。一応休みってことになってるんだから。」 「休日出勤なんてこの業界じゃ常識なんだよ。」 「それならあなただって仕事をしないといけないんじゃないの?」 「俺は毎日寿司を握ってるんだぞ。おかげで店も大人気になってる。そんな俺が休みの日まで働かないといけないのかよ。」 私は思わず声を尖らせた。 「私は十五年以上、もう無休で働き続けてるのよ。」 「それはお前の仕事が楽だからだろ。接客と裏方だけなんだから、簡単なもんだろ。」 「そんなわけないでしょ。あなたは私の仕事をちっとも理解してないのね。」 「それはこっちのセリフだ。親父の潰れかけた店を立て直したのは俺だ。そのことを分かってるのか?」 「あなたもその一員であることは分かってるわよ。でも、一員でしかないって自覚して。」 「そんなわけねえだろ。俺以外が何人集まっても結果は変わらない。俺の味を求めて、たくさんの常連客がついてるんだからな。」 「自信を持つのはいいけど、過剰になりすぎてるわよ。特に最近のあなたは。」 「ようやく周りが俺を認めてきたんだ。」 「あんまり調子に乗りすぎない方がいいわよ。いつか足元をすくわれるから。」 「俺がそんなことになるわけがないだろ。なめるなよ。」 「お願いだから。お父さんが作ったお店の看板に泥を塗るようなことはしないで。」 「あんなやつはもうとっくに超えたよ。」 「それは大きな勘違いよ。」 「何だって?」 「もう来ないのなら別にいいわ。私一人で清掃はやっておくから。」 「掃除は別にいいけど、店の味を落とすようなことだけはするなよ。」 「そんなことするわけがないでしょ。」 「じゃあ、好きにしたらいいさ。」 一時間後、私はため息をつきながら、店の入り口に予約の連絡をくれる常連客からの電話に出た。 「とみさん、ちょっと予約を取りたいんだけど、いいかしら?」 「エリカさん、予約は公式ホームページからお取りくださいと、前に何度もお伝えしたはずですが。」 「だって、それだと取れないんだもん。あなたたちの店って、本当にいつも予約がいっぱいじゃない。」 「ありがたいことに、そうなっております。ですが、直接私に連絡をされても困りますよ。」 「だって、ひろしがね、このLINEで予約を取ればいつでも入れてやるって言ってくれたんだもん。」 私は眉をひそめた。 「ひろしからそのように言われております。ですから、これまでに二度ほど予約をお受けしましたけど、さすがにもう無理です。」 「あら、どうして?あなたを入れると他のお客様たちに迷惑がかかるからですよ。それに、大学時代のお友達だったんですよね。」 「そうそう。とっても仲良しだったんだから。だから、そんな私の予約を断ったりしたら、ひろしに怒られちゃうわよ。それでもいいの?」 私はしばし迷ってから、観念した。 「分かりました。予約は入れておきます。ですが、これが最後だと思ってくださいね。」 「ええ、もちろん。これがきっと最後になると思うから。」 「そうなんですか?」 「うん。あなたにお願いするのはこれが最後よ。」 一週間後、今度は私から魚屋の前田さんに連絡を入れた。 「前田さん、お世話になっております。明日なんですけど、ご予約のお客様の中に白身魚をお好きな方がいらっしゃるので、いつもより多めに仕入れさせてもらいたいんですが、大丈夫ですか?」 「そうだなあ。明日なら、ひらめ、たか、かんぱちあたりは多めに入れることはできるよ。特に、かんぱちは旬だから、身が締まっていていいと思う。」 「ありがとうございます。では、その辺りを明日、買い付けさせてもらいます。」 「分かった。すぐに出せるように準備しておくよ。いつもありがとうな。」 「前田さんのところの魚は、とにかく新鮮でお客様たちからも評判ですから。」 「そこは自信を持ってやらせてもらってるよ。何せ、うちは歴史があるからな。漁師との繋がりもあるし。」 「本当にありがとうございます。」 「でも、とみさんの店も繁盛してるって、俺のところまで噂が回ってくるよ。」 「本当ですか?正直なところ、やっと黒字になったくらいですけど。」 「おお、そうか。ずっとあんたのところは大変だったからな。仙代の旦那さんは腕は一級品だったが、商売の才能はからっきしだったからな。」 「ええ、そのせいで店が潰れかけたくらいですからね。でも、本当に腕も人柄も素晴らしい方でした。私、今もお父さんの握ったお寿司が忘れられませんよ。」 … Read more

25 September 2026

「は?何言ってるんだよ。親父の葬式をほったらかして温泉だと?ふざけんなよ。」朝の慌ただしい支度の最中、夫の順夜から電話が鳴った。義父の葬儀の日。私は喪服に袖を通し、最後のボタンを留めようとしていた。なのに、順夜は「今日は欠席する。温泉行くから」と平然と言った。前々から予約が取れなくて苦労したんだ、葬式より大事だと。私は耳を疑った。すると彼は続けた。「ああ、これだから親なし女は困るんだよ。自分…

「おい、順夜。今どこにいるんだ?なんだよ、こんな朝っぱらから。」 「はあ?だから何だよ。今日は親父の葬式だって分かってるんだろ。なんでまだこっちに来てないんだよ。こっちは手伝いがあるって言ってあっただろ。」 「ああ、そのことか。悪いけど、今日は欠席するわ。温泉行くから。」 「は?何言ってるんだよ。親父の葬式をほったらかして温泉だと?ふざけんなよ。」 「いや、前々から楽しみにしてたんだよ。今日の温泉の予約取るのが大変だったんだ。それは分かってるだろ。葬式の方が優先に決まってんだろ。」 「お前が散々遅れてくるから、俺がいなくたって問題ないだろうが。母さんたちにはお前からよろしく言っといてくれ。」 「バカじゃないの?実の息子の葬式よ。お前、何考えてんだよ。」 「だから、遺体に会ってどうすんだよ。喋りもしなきゃ動きもしないのに。それに、あの親父が喋ったって腹が立つだけだしな。」 「何それ?最低なんだけど。」 「はあ、もういいだろ。これで文句ないだろ。あ、そうだ。もしや親の葬式に出ないとか、息子失格とか気にしてるのか?だったら心配すんなよ。俺は別に気にしてないから。」 「ああ、これだから親なし女は困るんだよ。自分の親がいないからって、他人の親をありがたがりすぎなんだよ。」 「ちょっと待って。今なんて言った?今、何て言ったの?」 「事実だろ。お前はガキの頃に両親が亡くなって、天涯孤独のぼっちだったんだから。」 「なんでそんな言い方するの?私、何か気に触るようなことした?」 「別に。ただ、昔からお前はそうだよなって話だよ。」 「どういうこと?うちの親の点数稼ぎだけは上手いって言いたいの?」 「私、別にそんなつもりじゃ——」 「俺と結婚したのだって、親へのアピールだろ。お前にはうちの親以外、家族なんていなかったんだからな。」 「そんな風に思ってたの?私、そんなこと思ったこともなかったよ。」 「思われてたんだろ。うちの親も、お前の方が可愛いんだろうな。俺がガキの頃からずっと引け目を感じてたんだからさ。」 「私、ひがんでなんてないよ。」 「ひがんでるんだろうが。俺よりもお前の方が学費の高い大学に行かせてもらってさ。いい会社に入って。お前はよそ様の金で、ようやくそこまでやれたんだな。」 「さっきから何なの?そんなに不満があったなら、なんで私と結婚したのよ。」 「安牌だったからだよ。身近にいたし、親もお前には甘いし。結婚するのも悪くないかなって思ったんだ。」 「最低。最低よ、順夜。」 「まあ、好きに言ってろ。じゃ、俺はもう行くわ。魅惑の夢が待ってるんでね。あとは頼んだわ。」 「本当にそれでいいのね。」 「ああ、いいぞ。じゃあな。」 電話が切れた。受話器を置いたちさとは、しばらくその場に立ち尽くしていた。拳が震えているのは、怒りなのか悲しみなのか、自分でも分からなかった。 翌日、葬儀が終わり、通夜ぶりに家に戻ったちさとを待っていたのは、義母の絹江だった。葬儀の間中、泣き疲れたように見えた絹江は、それでも凜とした態度を崩さずにいた。 「お母さん、先日はすみませんでした。順夜のことで……私がちゃんと止めていれば」 「順夜のこと、どうしてあなたが謝るの?私は前日からこっちに泊まってたんだから。その時に無理やりにでも順夜を止めさせればよかったのよ。」 「そんな、結果論でしょ。それに、もう終わったことです。私がちゃんとしなかったから、順夜があんな風に——」 「もういい。終わったことよ。それより、あなた、お父さんのことをあんな風に言ったって聞いたわ。『お父さんが喋ってても腹が立つだけ』って」 「あれは、つい……私だって精一杯で。確かにお父さんは厳しい人でした。でも、それは順夜のことを思ってのことであって」 「順夜は相変わらずね。何を言っても、あなたの気持ちなんて考えようともしない」 「お母さん、相変わらずって……何か、他に何か言ったんですか?」 「あの子、『親なし女』って言ったんでしょ。あなたのこと。それも、あなたにまで『家庭の点数稼ぎが上手い』って」 ちさとは息を飲んだ。あの日、順夜が言った言葉が、そのまま義母の耳に入っていたのだ。順夜とちさとが結婚したのも、この家に来たのも、すべては両親の顔色をうかがってのことだと言ったのだ。 「お母さん……私は、そんなつもりじゃ」 「分かってるわよ。あなたが言ったんじゃないでしょ。でも、あの子は自分の思い通りにならないと、人を傷つける言葉を選んで当てる。昔からそうだったのよ。お父さんに怒られれば怒られるほど、あなたに当たってたんだから」 「私は、そんなことは……」 「いいの。もう。あなたがずっと、この家のことを真剣に考えてきてくれたことくらい、私だって分かってるわ。お父さんが入院してから、病院に一番足を運んでくれたのは、あの子じゃなくて、あなただった」 ちさとは黙って目を伏せた。義父は入院中、何度も何度もちさとに話しかけてきた。弱った声で、懐かしい昔話を。まるで回復を信じているかのように。 「ちさと、あなた、うちで引き取られて、何年になる?」絹江が急に穏やかな声で尋ねた。 「私が小学生の頃に両親が亡くなったので……もう20年くらいですね」 「そう。私とお父さんが、あなたを引き取ったのは、あなたの両親の忘れ形見だったからよ。あなたのお父さんとあたしたちはずっと仲が良かった。親友っていう言葉じゃ収まらないくらいにね。あなたの両親が亡くなった後、あなたは親戚中をたらい回しにされてた。それを聞いて、お父さんが『俺たちが引き取る』って言い出したの」 「それは、何度も聞きました。お父さんが私を引き取ってくれるって、昔から言ってくれてたって」 「でも、お父さんは言ったの。『お前らみたいな役立たずに、ちさとを任せられるか』って。あなたの血の繋がった親戚たちに向かって、『あんな奴らに育てられるくらいなら、俺がもらう』ってね」 「でも、その大事なお父さんを、今度は私が……」 「ちさと、もういいの。あなたは何も悪くないわ。順夜が……順夜が言い出したこと。あなたと順夜の関係が、もううまくいってないのは、前から分かってた。だから」 「お母さん?」 「ちさと、あなた、順夜と離婚して、この家を出ていきなさい」 ちさとは、一瞬、絹江の言葉の意味が分からなかった。絹江は、静かに続けた。 「順夜がそう言ったのよ。『ちさとには、ち草という存在がある。俺には血の繋がりのない者を抱えていく意味はない』ってね」 … Read more

25 September 2026

母さん、俺、たぶん父さんが戻ってきたら、あの人の顔を見たら、もう何も言えなくなっちまいそうだ。そう思うと、今ここで聞いておきたいんだ。母さん、それは何かの間違いだろ?どうして俺じゃないんだ?俺はずっと、父さんの後を継ぐために勉強も仕事も頑張ってきたんだぞ。それなのに、何十年も隠れていた愛人との子供に社長の座を渡すって?「十分だ!俺は俺の責任で決めた。お前たち一家は、もう十分に俺からもらったは…

わかったわ。でも、どうして急にそんな話になるの? あなたがそこまで取り乱すなんて、本当に珍しいわね。お願い、教えて。今日はちゃんと話したいの。 母さん、俺、たぶん父さんが戻ってきたら、あの人の顔を見たら、もう何も言えなくなっちまいそうだ。そう思うと、今ここで聞いておきたいんだ。父さんの口からじゃなくてもいい。 あなた、何をそんなに改まって言うの? まさか、私が怒るようなこと? いや、違うんだ。ただ、今の父さんの考え方って、少し変だと思わないか? 会社を孫に継がせるって言い出したことだよ。しかも、急に。俺はああいう話、父さんから一度も聞いたことがなかった。 ああ、それね。私もあなたにちゃんと話さないといけないと思ってたの。お父さんはね、昔から息子であるあなたに会社を継いでもらいたいって言ってたのよ。それは本当よ。でも、昨日、病院でお父さんと話した時に、彼は「会社は直に任せる」ってはっきり言ったの。愛人の子供である直にって。 母さん、それは何かの間違いだろ? どうして俺じゃないんだ? 俺はずっと、父さんの後を継ぐために勉強も仕事も頑張ってきたんだぞ。それなのに、何十年も隠れていた愛人との子供に社長の座を渡すって? あなたの気持ちは分かる。私だって、あの人がそう言った時は、耳を疑ったわ。でも、あの人にはあの人の考えがあるんでしょ。それに、あの人も好き好んでそういう関係を続けてきたわけじゃないかもしれない。 はあ? 母さん、まさか父さんの肩を持つ気か? 父さんはずっと私たちを裏切ってたんだぞ? 母さんに隠れて愛人を作って、しかも子供まで作って。その上、その子供に会社を継がせるなんて、どう考えてもおかしいだろ。 あなたの言う通りよ。でもね、怒鳴っても、恨んでも、あの人が癌で死ぬって事実は変わらないの。あの人は緩和ケアを選んで、残りの時間を自分の好きなように使いたいって言ってる。私は、あの人を無理に延命治療させるつもりはないわ。 だったら、なおさらだよ。死ぬ間際になって、何も隠すことはないだろ。なんで俺に相談してくれなかったんだ? 俺は父さんの息子だぞ。 安明、あなたは怒って当然だと思う。でも、お願いだから、今日だけは、お父さんとちゃんと話し合って。お父さんも、あなたにどうしても伝えたいことがあるんだと思う。そして、それで縁を切るかどうかを決めるのは、あなたが冷静になってからにして欲しい。 冷静になれるわけないだろ! 安明、声を荒げないで。お母さんは、あなたがそう言うと思って言ってるんじゃない。ただ、本当に大事なのは、血の繋がりだけじゃないってことを、あの人に教えてあげて欲しいの。 何を言ってるんだ、母さんは。俺はもういい。父さんには会わない。そう言って、安明は電話を切った。 裕子は受話器を置いて、深くため息をついた。病院からの帰り道、彼女はずっと考えていた。直美という女性のこと。ナツキという愛人。そして、いつか安明に伝えなければならないであろう、もう一つの真実について。 あの日、病室で夫が明かしたのは、浮気の事実と隠し子の存在だけではなかった。 「それで、アンタは私にどうしろって言うんだい? 何も知らないふりをして、これからもアンタの愛人と子供を見て見ぬふりをしろって言うのかい?」 「違う。そうじゃない。ただ、直には会社を継がせたいんだ。お前は父の命令として受け入れてくれ。」 「お前のいうことはよくわかったよ。あんたの息子、直くんを厄介なことにしたくないんだろう。だからって、私に何の相談もなく、よくも勝手なことを…!」 「十分だ! 俺は俺の責任で決めた。お前たち一家は、もう十分に俺からもらったはずだ。家も、金も、地位も。何不自由なく暮らしてきただろう? この何十年、俺がどれだけ働いてきたと思ってる?」 「それを言うなら、アンタの子供のために自分を犠牲にした女性がここにいる! 私はアンタのために何を捨ててきたと思ってるんだ!」 「もういい。決めたことだ。これで話は終わりだ。私は今から直に連絡をして、正式に身の振り方を話し合う。ナツキにはここに来てもらうように言ってある。お前、もう下がれ。」 その日から、裕子は何かを諦めたような顔をするようになった。そして、安明には悪いと思いながらも、本当のことを伝えられずにいた。自分の夫が、実は若い頃に一緒に働いていた男性との間に産んだ子供だったということを。直が実の息子だと聞かされた時、裕子の心は複雑に乱れた。夫の長年の裏切りは、自分自身が重ねてきた一生の嘘によって、かえって清算されるような気がしたからだ。 廊下の時計が、夜の九時を指そうとしていた。安明からの返信はまだない。裕子はもう一度だけ携帯を手に取り、一番下に表示されている「ナツキ」という連絡先を押し込んだ。 コール音の後、聞き慣れない、でも若々しい声が応答した。 「もしもし、どちらさまですか?」 「…私よ。ナツキ、一度ちゃんと話がしたいの。今から駅前の喫茶店に来てくれないかしら? あなたにも、私にも、知ってもらわなければいけないことがあるんだ。」 ナツキは無言だったが、数秒の沈黙の後、静かに「…分かりました」とだけ言った。 喫茶店で、二人は向かい合った。ナツキの顔色は、覚悟を決めた者のように青ざめていたが、裕子はそんなことを気にする様子もなく、鞄の中から一通の封筒を取り出した。 「あなた、これを見たことがあるかしら? 古い写真よ。ここに写っているのは、若い頃のあなたの父親と、それからもう一人、男の人の二人。あなたの父親にそっくりだろう?」 ナツキは写真をまじまじと見つめ、血の気が引いていくのが分かった。そこには、知っている人物の顔があった。いや、知っている人物とはちょっと違う。若い頃の裕子の夫。いや、それだけはない。一番左に写っている男の顔。それは、間違いなく自分の育ての親である、一つ年上の叔父だった。 「あなたの叔父さんは、若い頃、うちの夫と恋仲だったのよ。公式には、あの人は私と結婚することによって、あなたの叔父さんが告白しなかったっていう話になっている。でも、本当は逆。あの人、あなたの叔父さんに告白して、断られたのは私なの。私はあの人のことが好きだった。でも、あの人は違った。ただの友達としてしか見てくれなかった。だから私は身を引いて、今の夫と結婚した。そういう過去があるの。あなたの存在も、実はずっと知ってた。」 ナツキの顔色が、見ているうちにさっと青ざめていく。違う、そういう話じゃない。そう思いたかった。自分の持っているものは、そんなものではないはずだ。 「違うわ。おばさんが話すのは、汚い大人の事情でしょ。私は、亮さんのために何かしたいだけ。そのために社長の座に興味があるわけじゃない。でも、あの人が望んだことだから、私はそれに従うだけだ。」 「ふふ。本当に健気ね。でも、直美さん。あなた、本当に自分が誰の子供だと思っているの?」 「…どういう意味よ。」 「あなたのご両親は、結婚していたの? あなたの育ての親は、あなたの叔父さんでしょう。そして、その叔父さんというのが、若い頃の私の夫の恋人。つまり、あなたは血の繋がらないあなたの家の事情も、全部知った上でずる賢く近づいてきた……わけじゃないのは知ってるけど、まさか」 「黙って!」 直美はテーブルを思い切り叩いて立ち上がった。近くの客が驚いて視線を向ける。だが、彼女の怒りは、そこから先の言葉を紡ぐことを許さなかった。 「彼が私のことをどう言おうと、私はもう何も聞きたくない。あの人は私に新しい人生をくれようとしている。あんたみたいな人に、それを止める権利はないんだ!」 そう言い捨てて、直美は財布も取らずに店を飛び出していった。テーブルの上には、慌てて置かれたコーヒーカップがまだ揺れている。 その後ろ姿を、裕子はただ静かに見送っていた。しばらくして、ひとりごとのようにつぶやいた。 「あなた、自分が何をやってるのか分かってないみたいね。私はあなたを守るために、あの人のもとを去ったんだ。あの人があなたのために用意した罠に、落ちないようにね…」 その頃、安明は自室でパソコンを閉じ、深くため息をついた。父の計画を調べるために、会社の関係者に連絡を取り、直美の素性について調べさせていた。かつて父が愛した女性の子ども。それが自分を陥れようとしている罠でないことを願いながら。 彼は窓の外の夜景を見つめ、誰にともなく言った。「あの人が、どうしてこんなことを…」そして、電話帳からある一人の男の名前を探し出し、通話ボタンを押した。 「もしもし、探偵事務所ですか。もし宜しければ、とある人物の身元調査を詳しくお願いしたいのですが…」

25 September 2026

「ねえ、ゆういち、浮気してるでしょ。」その一言が、私の日常を一瞬で壊した。8ヶ月の大きなお腹を抱えながら、私は震える指でスマホを握りしめていた。彼は「残業中だ」と言い張ったけど、画面には「さゆり」からの通知が残っていた。「新しい下着を買ったから、早く見せたいな」——その文字が、私の視界から消えてくれなかった。問い詰めると彼は「ゲームのキャラだ」と笑い飛ばし、挙げ句の果てに「妊婦のくせに」「一…

「ねえ、ゆういち、浮気してるでしょ。」 「は? いきなり何言い出すんだよ。俺は今、残業中なんだけど。」 「その残業、本当に仕事なの?」 「千尋、俺はお前のお腹の子のために働いてるんだ。なんでそんなひどいことが言えるんだよ。」 「この間、あなたのスマホの画面に出た通知を見たの。『さゆり』って人からメッセージが来てたよ。『新しい下着を買ったから、早く見せたいな』って。」 「お前、人のスマホを見るってプライバシーの侵害だぞ。」 「たまたま目に入っただけよ。ごめんなさい。でも、ちゃんと説明してくれる?」 「ゲームのキャラクターからの通知だよ。LINE と連動してて、実際にやり取りができる疑似恋愛ゲームなんだよ。」 「じゃあ、そのゲームの名前、教えて。」 「しつこいな。妊婦のくせに、俺の浮気を疑って離婚だの言い出すのかよ。」 「離婚したいなんて、まだ一言も言ってないでしょ。でも、疑うなら離婚でいいよ。私、一人で育てるから。」 「一人で育てるって、お前にできるのか? 今、何ヶ月だ? 8ヶ月だろ? 父親のいないかわいそうな子供になるぞ。」 「だから、そうならないためにも、ゲームの名前を教えてって言ってるの。私だって、疑いたくて疑ってるわけじゃないの。」 「なんで、そこまで言ってゲームの名前を教えなきゃいけないんだ。俺に自由はないのか? 千尋って、そういう束縛するタイプだったんだな。」 「違う。そんなこと言ってないでしょ。どうして、そこまで隠すの? そんなに知りたいなら、何でも教えてくれる男と結婚すればよかったんでしょ。」 「本当にそう思うなら、離婚して一人で生きてみろよ。」 「わかった。じゃあ、離婚して一人で頑張ってみるね。」 「やめとけよ。千尋にできるとは思えないけどな。俺がいないと、お前は弱くて何もできない生産性のない女だろ。社会の荒波に簡単に飲み込まれて、ゲームオーバーだぞ。」 「私、結婚する前は、法制工場で8年働いてたんだけど。」 「それは高卒で若かったから、みんなが優しくしてくれただけだろ。しかも工場勤務だろ。なめてんのか?」 「何、それ? 工場勤務をバカにしてるの?」 「バカにはしてないよ。でも、社会的な立場は俺の方が上だろ。俺は大卒で営業だし。こっちの方がずっと厳しい仕事なんだぞ。」 「業種が違う時点で、比べられないでしょ。どんな仕事だって、大変なことに変わりはないわ。それに、専業主婦になってって言ったのは、ゆういちの方でしょ。」 「まあ、そうだけど。でも、ここまで怠けるとは思わなかったよ。妊娠してから、つわりを言い訳にして、家事をサボってばかりじゃないか。」 「本当にしんどかったの。ご飯はおろか、お水さえ飲めなくて、吐き続ける毎日だったのよ。つわりがひどすぎて、点滴のために入院もしたでしょ。もう忘れたの?」 「その割には、編み物とかしてたじゃん。」 「え? かぎ針編みのこと? あれは気を紛らわせるためにやってたのよ。好きでやってるわけないでしょ。」 「金にもならない無駄な趣味だな。」 「別に、ゆういちに迷惑はかけてないでしょ。」 「俺の稼いだ金で、毛糸を買ったんだろうが。」 「違うわ。私が独身時代に貯めたお金で買ったのよ。それに、そんなこと言ったら、ゆういちだってゲームに課金ばかりしてるじゃない。あれこそ無駄遣いでしょ?」 「俺の金なんだから、別にいいだろうが。」 「じゃあ、私の趣味だって同じことでしょ。ゆういちにとやかく言われる筋合いはないわ。」 「はいはい、わかったよ。好きにしろ。」 「うん、わかった。じゃあ、実家に帰るね。」 「おい、待て待て。なんでそうなるんだよ。まだ離婚したわけじゃないだろうが。」 「『一人で育てればいい』って言ったのは、ゆういちの方でしょ。だから、私が一人で育てるわ。」 「だけど、本当にいいのか? あんなに結婚を喜んでくれたお母さんを、裏切ることになるんだぞ。」 「それは、ちょっと心苦しいけど……でも、あなたは私にいてほしくないんでしょ?」 「そんなこと言ってないだろ。……分かったよ。離婚するまでの間だけだぞ。ちゃんと家事をするなら、家に置いておいてやってもいいぞ。」 「それって、選択とか掃除とかを、自分がやりたくないだけなんじゃないの? 私のことを、ただの家政婦としか見てないんだなって、よくわかったわ。今からお母さんに連絡して、今夜中に実家に帰るから。」 「ああ、そうかよ。せっかく引き止めてやってるのに、わからず屋だな。」 「最後にもう一度だけ聞くけど、本当に離婚でいいのね?」 … Read more

25 September 2026

美由から「久しぶり、元気してた?」って連絡が来たのは、平日の昼下がりだった。三年前、私の夫を奪って出ていった妹。その名前が画面に浮かんだ瞬間、指が止まった。実家を立て直したと親戚から聞いたらしく、彼女はこう言った。「私たちも一緒に住むからよろしくね」。会社が倒産して住む家がない、家賃も払えない、だから実家に転がり込む。しかも「お姉ちゃんは気まずいから出て行くでしょ」と当然のような顔で。私は住…

お姉ちゃん、久しぶり。元気してた? 誰かしら。 うわ、ひどいなあ。妹の身だよ。知ってて聞いてるでしょ。 今更何の用よ。ようやく謝罪する気になったの? え? 謝罪? 何のこと? それよりさ、親戚から聞いたんだけど、実家を立て直したんだって。すごいね。やっぱりお姉ちゃんは成功してる。 で、だから何が言いたいの。 あのさ、三年前にお姉ちゃんの旦那を奪ったのは私だけど。でもさ、実家を立て直したなら、私たちも一緒に住むからよろしくね。 はあ。だから住むの、実家に。 住むって誰が許可したの? え? 許可とか必要なくない? だって元々は私たちの家じゃん。お姉ちゃんだけのものじゃないでしょ。だから住むのにお姉ちゃんの許可とかいらないよ。 でも親の許可はいるでしょ。実家なんだし。 お母さんたちは優しいから、きっと許してくれるよ。 何その滅茶苦茶な理由。まあいいわ。来れるなら来てみなさい。 え、本当? 実家の住所送ってよ。行くから。行けなきゃ困るし。 何が何でも行くって感じだけど。何があったの? 夫の会社が倒産して、本当に困ってるのよ。 ああ、たけしの会社が潰れたのね。それは大変そうね。 大変なんてもんじゃないわ。アパートの家賃も払えなくて、追い出されそうなの。 へえ。だからうちに逃げてくるわけ。 うん。まあ、そういうこと。 あなた、恥ずかしいとかないわけ? 仕方ないじゃん。生活に困ってるんだし。お姉ちゃんは弁護士事務所まで持ってるんでしょ。依頼者もたくさんいて、稼ぎもすごいんだって親戚から聞いたよ。実家を立て直せるくらいお金があるんだから、私たちくらい助けられるでしょ。 へえ。よく調べたのね。 だって余裕のない人に助けてって言っても無駄じゃん。 そういうとこだけはしっかり常識があるの、本当に何なのよ。それに、父さんの会社って、何が原因だったの? 助けて欲しいなら、事情くらい話せるでしょ。 経理担当の人がミスしちゃったみたいでさ。 ミス? うん。簿記の数字が合わなくて、それも結構何回もミスがあったみたいなのよね。そのせいで取引先との契約も切れたらしくて。 ……あなた、働いてなかったのよね。会社の手伝いすらしてなかったの? 私、全然わかんないわよ、そういうの。経理なんて専門家の仕事でしょ。社長夫人なんだから、家で待ってるのが仕事でしょ。 あ、そういう考えなの。じゃあ、あなたは父さんには関係なかったわけね。たけしは本当に真面目に経営してたのよ。社員の給料も遅らせずに払ってたし、取引先にも誠実だったし。 そういえば、あいつは会社の人間にはいい顔してたっけ。でも、自分のせいで会社が潰れたって思い悩んでるんでしょ。その経理担当の人は、今どうしてるの? その人も仕事を探してるみたい。気の毒よね。 社員みんな気の毒じゃない。働き口がなくなったんだし。あなただって、今、生活に困ってるんでしょ。でも、私はたけしを責めるつもりはないから。 え? あなたが真っ先に責めそうなのに。 私を何だと思ってるの? 姉の夫を略奪した最低の性格ブス女、ってこと? 妹に何てこと言うのよ。大体、誰だってミスはするし、責めるのも仕方ないでしょ。 そう。随分優しくなったじゃない。 当たり前でしょ。お姉ちゃんと違って、私には思いやりがあるのよ。 思いやりがある人は、略奪なんてしないし、平気で実家に住ませろとか言わないわよ。 実家なら家賃かからないもん。それにお姉ちゃんは実家を立て直せるほどお金があるんでしょ? 別の家を借りればいいじゃない。 はい。なんでそうなるのよ。 私たちが実家に住むんだから。お姉ちゃんは気まずくて出て行くでしょ。元夫婦が同じ屋根の下なんてありえないし。 ああ、やっぱり性格はそのままね。うん。なんかちょっと安心したわ。 え? … Read more

25 September 2026